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[アジアところどころ] 高雄#3 旗津島
旗津島はかって旗后(後)半島と呼ばれていた。灯台のある旗山の後ろに蹲るような形で集落が発展したからだ。長く高雄は内陸の農業経済中心だったが海岸地区である打狗も定住者が増えていく。
1673年には旗后に天后宮が作られるまでに人口も増えた。開港190年前である。天后宮は媽祖廟の別名であり媽祖様は10世紀頃福建実在の女性。漁師であった父や兄を海難から救ったことから海に携わる華人の守護神となった。
淡水には関渡宮があるように中国台湾の主だった港町には媽祖廟がある。世界各地に定住した華人の街にも媽祖廟が数多く作られた。海を渡って外地に住んだ自分たちの出自と彼方の故郷に対する望郷がそこにある。
旗后灯台の右下は当時の外洋との水路。灯台の左側には旗后砲台がある。砲台は水路を守ったわけではなく砲頭は外海を向いている。当時の対抗勢力フランスの軍艦に外海から打狗港を砲撃されるのを守ったものだろう。
1975年半島の付け根が取り除かれ高雄港は外海につながった。灯台下の狭い水路に頼らなくともよい時代が来た。旗后半島が旗津島になったのである。
旗津の歴史は高雄の歴史。だから鼓山から旗津に渡るフェリーは旅情がある。打狗地区を旅してこそ高雄の歴史とそこに暮らしてきた人々の思いを理解することが出来るのだ。