何に心揺さぶられているのかをめげずに問い続けないと見えないものがある 〜えも言われぬ気持ちに言葉を探して〜
たつ子さんはしばらく黙っていました。そして席を立つと、奥の業務用冷蔵庫から、大きなグレープフルーツを取ってきました。ごとくのような爪で、さくさくと剥く。これまで何千、何万個の果物を、大切に扱ってきた分厚い爪で、あっという間に剥いてしまう。
「さあ、おたべなさい」
薄皮を割り、たつ子さんはいいました。
「たべて、腐ったもののことは忘れちまいなさい。いまどきのグレープフルーツは、まったく目がさめるような味がしますよ」
『果物屋のたつ子さん』 いしいしんじ
何を描きたいか。何を撮りたいか。という問いは、作家でも鑑賞者でも同様に持っているかと思います。何に心揺さぶられるか。という言葉にも置き換えられます。作家も鑑賞者も、心揺さぶられる何かを求め、自分の身に引き寄せ、見ようとする活動をしているのではないでしょうか。
人の心を揺さぶる世界は複雑で、奥深いものです。人それぞれに違うので答えは一つでないし、時代や環境との関わりでも変化していきます。問い続けていないと、見ているようで見えなくなります。
『果物屋のたつ子さん』には若い画学生が登場します。彼は何を描きたいのか? 何に心揺さぶられているのか? を想像しながら、考えさせられる短編小説です。あたたかい気持ちになる一方で、自分の目で世界をちゃんと見ることができるようめげずに問い続けようと思わされました。
たまたま本屋で立ち読みして、その場で2度読み、買い求めました。ほんの10分のひと時ですが、忘れられない10分になりました。