
“袖”に見るは誰かの日常に漂う誇らしい香り
「誰が袖図屏風」という絵をご存知だろうか。「これは誰の袖でしょう?」と問いかけられているような題名だ。作者名はない。人物も描かれていない。着物が衣桁に無造作に掛けられている様子だけが描かれている。サントリー美術館で開催中の「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」でこの絵に遭遇した。
上質そうで上品な色合いの着物は能衣装で、箱は能面を入れる面箱だそうだ。衣桁の横には分厚い囲碁盤があり、碁石が散らばっている。水墨画が描かれている屏風にも着物が掛けられている。
絵の前に立つと、描かれた世界にすっと入り込むことができる。人物が描かれていないからだろうか。程良く背筋が伸びた佇まいと程良くリラックスした佇まいの日常に憧れを感じるからだろうか。具象的だけど抽象的だからだろうか。深呼吸して、暫し、そこはかとなく漂ってくる雅やかな香りを纏う。
時には、誰かの素敵な日常の香りを纏ってみるのはいいものだ。こんな体験ができるのが「誰が袖図屏風」の醍醐味なのだろう。そもそも「誰が袖」とは、古今集和歌集の読み人知らずの和歌からきているそうだ。
色よりも 香こそあはれと おもほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも
画題についての説明文を以下に引用する。
誰が袖屏風(たがそでびょうぶ) 江戸時代に贅美を尽した婦人の衣裳さまざまを衣桁にかけ、それを屏風等に描いたもの屏風絵の一つの型となつてゐる、『誰が袖』の名は古今集の色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰が袖ふれし宿の梅そもの一首から来てゐるといふ、藤堂家には伝宗達筆の屏風があつたが今は無く、現存のものでは団伊能氏所蔵、根津美術館、大橋新太郎氏所蔵のものなど聞えてゐる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
視覚的に描かれた世界そのものというよりは、実際にはない香りをその佇まいから感じ取る趣向のようだ。そうした感性は江戸時代、さらに遡れば平安時代の誰かからも脈々と続いていると思うと、人は繋がってるのだなぁと不思議な気がする。
本展覧会では現代版も展示されている。“ニッポン画家”である山本太郎の「誰ヶ裾屏風」だ。袖じゃなくて裾だ。本作は写真撮影禁止だったため掲載できないのが残念だが、とても面白い絵なので、ぜひ山本氏のサイトでご覧になって頂きたい。「作品集 Works 1998-2009」の2005年に見ることができる。
山本氏の「誰ヶ裾屏風」には、衣桁に俵屋宗達の風神雷神図と思われる柄のズボンや琳派モチーフのシャツや手ぬぐい、現代のデザイナーである皆川明によるテキスタイルと思われる手提げ袋など掛けられている。衣桁にはエレキギターが立てかけられ、ラジカセや黒いMac PCなどが置かれている。
同時代だから「あ、これ!」と見て分かる物もあるので絵の中に入り込みやすい。持ち主が選び抜いたと思われる物たち一つ一つを眺め、配置された空間の居心地を感じ、そこに漂う持ち主のケレン味ある香りを味わう。
「誰が袖図屏風」の一連の絵に味わうのは、誰かの日常における矜持なのだろう。目に見えない香りとなって立ち現れるそれを感じ取ることは、会ったこともない誰かを誇らしく思うことなのかもしれない。ふと尊敬の気持ちがわいてきて喜びになる。
ここで得た微かな残り香を記憶しておきたいと思った。