創造的であり続けるには、良いしくみを編み出し、動かし続けることではないだろうか?
「何周かしてみるとこの人はこんなこと考えてるんだってわかると思いますよ」
落合陽一個展「未知への追憶-イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬-」について、ご本人のコメントだ。
展示空間には作家の思考回路のままに作品が並んでいるという。観客は、作家の思考過程で具現化された作品を見て、思考の部分を感じ、全体を感じていくことになる。
たしかに一周目よりも二周目の方が、あ、そういうことか! と一周目では見えなかったことに気づくようになる。ベンチに座ったり、道草する余裕も出てくる。自分なりの思考も働いてくる。
会場は渋谷モディ2階の全フロアを使っている。配線などがむき出しになったコンクリート壁の空間はさながら作業現場だ。実際、開催が始まってからも工具片手に機械や照明を調整し、プラチナプリントを作り続けていたそうだ。
開催まもなくと終了間際の2度観に行ったが、2度目には当初には無かった作品が展示されていた。会場で作り続けていたプラチナプリントを使った新作だ。まさにこの思考回路(個展)は現在進行形で稼働中というわけだ。
ところで、個展タイトル「未知への追憶」は、落合氏のyoutubeタイトルでもある。言葉から世界観を想像し、詩的なわからなさをじっくり噛みしてみることも醍醐味だ。ちなみに本個展のアーティストステートメントは以下の通りだ。展示会場では後半エリアにこれが壁一面に掲示されている。
質量と物質、ボケと精微、
映像のようでいて物質であるもの
幽かでいて玄なる根源に近づくもの
イメージ、記憶、認識、人格、
人の持ちうる環世界が
デジタルとアナログを越境し、
物質と非物質の垣根を往来する。
映像と物質の間の探究に、
計算機が存在の物化を促すような
新しい自然の息吹が聞こえる。
波動・物質・知能。
映像・解像度・処理能力。
工業社会以後のヴァナキュラ―、
偏在し寂びた計算機が作る新しい民藝。
人とメディアの作る生態系に、
空間と時間の五感的融合がもたらす、
言語と現象の枠組みを超えた風景の変換。
解像度を超えた風景が、新しい霊性を惹起し、
主体と客体に跨がる新たな風景を作り出す。
物化の過程に零れ落ちた残滓を拾い集め、
壊れやすいものを愛でる蒐集家のように
質量への憧憬を見出していく。
存在の輪廻に乗り切れなかった
解像度の外側の世界を拾い集めては、
呼び名を与える作業に集中する。
文脈を漂白し、記憶も情念も漂白しながら、
無為に近づく意識が整うまで反芻し、
忘却の中で未知を追憶し続ける。
初見では捉えきれず、もやもやするのではないだろうか?
わたしにとってそれは会場を何周かすることで解消された。言葉と作品を行きつ戻りつしながら見ると浮かび上がってくる感覚がある。言葉が作家に手作業を促し、具現化された作品が作家にまた新たな言葉を見出させ、世界観を膨らまし続け、、という円環する日々を想像した。
冒頭でも書いたが、「何周かしてみるとこの人はこんなこと考えてるんだってわかると思いますよ」と作家は言った。この人はこの個展では創造的であり続けるためのしくみを見せようと考えているのではないかなと思った。「未知への追憶」のような捉えがたい感覚世界を探求し続ける道程は長いのだから。
ここからは会場の展示に沿って撮影した写真をご覧いただきたい。
I 映像と物質 アリスの時間(2016)
作品には観客の影が映り込む。影の重なりを見て、長谷川等伯の「松林図」の松の重なりを思った。影の背景には時空を超えて影が重なっているという記憶のイメージ。知らないのに知っているような感覚になるのは、影のせいだろうか?
Ⅱ 物質と記憶
プラチナプリントのための作業道具も置いてある
モルフォ蝶のサイアノタイプさらにプラチナプリントを重ねて。試行錯誤を見るのは楽しい。
注連縄(2020)
注連縄の質感を実物以上に感じるプラチナプリント。そのほか、被写体になっている現物は会場の至る所に見つけることができる。現物を見て感じる印象とプラチナプリントから得る印象が違うのがおもしろい。違いは何だろう? プラチナプリントに何を見ているのだろう?
計算機自然の視点 Ⅰ (2020)
剣山に花を生けるけど、ブレッドボードにモルフォ蝶を生けるのですね。剣山というより敷板や花器にあたるのか。モルフォ蝶のはためきに目が離せなくなる。いつまでもポールに止まったまま。花を生ける場合も花は切られて死んでいる。花を殺してまでも生けるのだから花を生かし切らないと、、という花人の言葉を聞いたことがある。
プラチナプリントは右奥の紫外線の機械を使うらしい。思考回路に現場がある。
Ⅱ 物質と記憶エリアからⅢ 情念と霊性とⅣ 風景論方面を眺める
Ⅲ 情念と霊性 風景を切り取る(渋谷)2020
2019年のカラープリント大型作品が並んでいる。心のひだひだに絡みつく。情念とか霊性とか見えないものをどうすれば見えるようになるの? こうすればいいのか。高解像度と低解像度、ハレーションや滲みなど、カメラの(壊れた)レンズを使いこなして見えないものを浮かび上がらせている。
鉄板の風化感
燐光する霊性(2019)
メガネしないとネオンいっぱいの雨の夜道はこんな風に見えて好きだったの思い出す。絵の具がついた筆先を水に入れて滲むのを見るのが好きだったのは小学生の頃か。霊性見てたのかな?
雑誌「文学界」風景論のゲラ。ふむふむ。
Ⅳ風景論エリアからⅢ 情念と霊性の方を眺める 左の風景論エリアの4枚組写真もしっとりしてる。夕焼け・海岸・都市・機械というタイトル。4枚組で柱に。
Ⅳ風景論 焦点の散らばった窓(2019) レビトロープ(2016)
手前のベンチに座って瞑想タイム。右上横で仏具(ティンシャ)が鳴り響いている。京都のお寺で丸窓を前に正座して何を見た? 俗世にまみれた渋谷繁華街の喧騒を借景にしながら風景と一体になっていく心地を味わう。
Ⅴ 風景と自然 XXの風景(鳥 Ⅰ )(2019) ・XXの風景(鳥 Ⅱ)(2019)
タマムシの羽を拡大するとこんな風に見えるのだって。
ⅵ 質量への憧憬 鉄骨(2019)
神社の鳥居だと思い込んでた。
コロイドディスプレイ(2016)
シャボン玉液にモルフォ蝶が浮かび上がる。命を見てしまう。切ない感覚を見る。
モニュメントゼロ(2020)
枯れ木にプラチナプリントで作られたモルフォ蝶がたくさんとまっている。羽ばたく前の静けさに待機するエネルギーを感じる。奥にはおみくじが結ばれた風景の写真。
裏側は漆黒のモルフォ蝶。背景にはアーティストステートメントが圧巻。
Ⅵ 質量への憧憬エリアから来た道を振り返る
Ⅶ 共感覚と風景 借景,波の物象化(2019)
日本科学未来館に展示されている作品が映像となって移り変わるとともに、その前では重そうなくびれた物体が宙に浮いて回っている。なんだか音楽の聞いているような心地になる。
真上から見ると立方体が乗っているのが全くわからない。
物化の過程 Ⅰ (フレームからの漏出)(2020)
これが会期中に生まれた新作。モニュメントゼロ(2020)を別の観点からみるとこんな感じ? という気もするし、展示最初に登場したアリスの時間(2016)との連関も感じる。フレームから外へ漏れ出している蝶は潜んでいた何か?
ゾートログラフ(2016)
会場最後の影に見つけた作家の落書き。
「変わり続けることを変えず、作り続けることを止めない」
展示最後には記念品売り場があった。作品モチーフのマスクやマフラータオル、手提げ、お菓子、水などよりどりみどり。会場は丸井なので買い物する場所。日々の生活に「未知への追憶」の感覚を持ち帰る。
※なんと9月末まで会期延長とのこと‼︎