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わたしの人生のバイブル・ちびまる子ちゃん

わたしはさくらももこ先生のちびまる子ちゃんがとても好きだ。


そして漫画を読むことがとても好きなのだけど、去年今年と、読まなくなった漫画本をたくさん手放した。

その中でも手元に残したものがあって、そのうちのひとつがちびまる子ちゃんだった。元々は父の持ち物で、家にあった単行本は7巻くらいで止まっていた。

小学生のあるとき、わたしは漫画のちびまる子ちゃんにドはまりし、続きを古本屋さんなどで父が買ってくれた。


そして最近、久しぶりにそれを引っ張り出し、眠る前に一巻ずつ読んでいたのだ。

改めて読んでも、やっぱり好きだなぁと思った。わたしは飽き性なところもあるので、あれこれ移り変わっていくほうが多い。だけど、こうして変わらない好きなものもあるのだなと思った。忘れた頃に読んで、「そうそうこんな話あったなぁ」ってまた少し新鮮な気持ちやワクワク感で読むのが好きだったりする。

ちびまる子ちゃんの世界観が好きなのと、ぐうたら怠け癖のあるまるちゃんにわたしは今も昔も親近感を覚えている。

わたしは、基本的に活字の本はあまり読まない。理解するのに時間がかかるため苦手なのだ。聞き覚えのないワードが入ってくると、一気に読む気を失くしてしまう。
漫画は昔から好きで、文字と絵があるため理解しやすく、気軽にその世界観に飛び込めるのが好きだった。

だけど、たまに本を読んだりもする。知識のない人・本が苦手な人でも理解しやすいような内容だと、読みやすくてとても好き。わたしは、想像がしやすいもの・分かりやすいものを好む傾向がある。



話は戻り、毎晩読んでいた漫画も読み終わってしまい、今度はさくらももこのエッセイを読んでみることにした。これも父が持っていたものだったかな。何冊かあって、自分で買ったものもあると思う。

活字に苦手意識のあるわたしはほぼ読んでいなかった。
なので、正直ほぼ初めて読んだ。


もものかんづめを読んだときの、自分の気持ちをnoteに残しておこうと思った。

【メルヘン翁】
さくらももこの祖父が亡くなったときのお話

【結婚することになった】
さくらももこの家族の話

今回はこのふたつについて。
あとがきも含まれているのだけど、さくらももこの家族の話と、家族についてどう思っているか。これを書いたことによる世間の反応と自分自身についての話が、わたしは印象的だった。


祖父について思い入れはない。父・母・姉のことは、血が繋がっているからということを抜きにしても、好きだということ。親の所有物として生きてきたつもりはなく、親もそのような気持ちを持ったことは一度もないと思うと綴っていた。

『親にとって、姉やわたしは、お腹の中からやってきた、これから一緒に喜んだり悲しんだりする、いとおしい仲間であった。』というフレーズが、とても素敵だと思い胸を打たれた。


メルヘン翁を掲載したときに、さくらももこの文章が受け入れられないという人もいたそうだ。

それを知ったさくらももこの感想は、『そうか、もう読みたくないか。それじゃ仕方ないな』となるそう。

事実に基づいたことをばからしくデフォルメすることは出来ても、美化して書く技術はないそうで。今後も私はそのような文章を書く恐れがある。遅かれ早かれ、受け入れてもらえない日は来たであろう。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい。

そう綴っていて、そういうマインドで自分の好きことや出来ることを貫く生き方がかっこいいと思った。

さくらももこは、こんなことも綴っていた。

自分は親が好きだけど、時折「親が嫌いだ」という人もいるし、そういうことも十分ありうると思う。その人の人生はその人しか分からないと。


いろんな受け取り方や感じ方があることを理解しているようだった。だからこそ、祖父に思い入れがない自分を悪だとも判断しないし、自分と考え方が違っていても、『そういうこともあるよな』とジャッジせず受け入れることができるのかなと思った。

そんな器の大きさや潔さに、わたしは憧れた。


嫌われたくない。
受け入れられないことが辛い。
自分は間違っているんじゃないか。

そんなふうに思わず、どんな自分も受け入れることができるのならば、たくさんの人が楽に生きられる思う。


そういう人がいても仕方のないことだと思えない人もいる。

わたしにもその節がある。癖みたいなもので、大丈夫なときもあれば、必要以上に勝手に自分で食らって、どうしたらいいのか分からなくなるときもある。

これが、嫌われないように行動することに意識がいってしまい、自分のことがわからなくなるという現象なんだと思う。

さくらももこのマインドやスタイルをわたしも取り入れたいと思った。

傷つけようと思って発信することとはもちろん違うし、さくらももこだってそんなつもりはきっとない。自分の性質や育ってきた環境によって、考え方や受け取り方は一人ひとり変わってくる。


だけど少数の受けり手のことばかり考えていたら、何も出来なくなって身動きが取れなくなってしまう。

そうなってしまうくらいならば、自分の出来ないことばかりに目を向けるのではなくて、自分にできることをやり続けていって、それを好きだと言ってくれる人を喜ばせることにフォーカスしていったほうが、世界が循環していくのだと思う。

わたしもそんな生き方が出来るようになりたい。

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