蓮華会舞復興記念公演を観て
2008/03/29 No.11 を改変
★ 蓮華会舞を見に行きました
(2008年)3月2日に『隠岐国分寺 蓮華会舞 復興記念公演』を見に行ってきました。私は前から前売り券を買って楽しみにしていたのですが、当日券売り場が凄い行列でしたね。みんな無事に入れたのかしら。
2007年2月の火災で隠岐国分寺本堂は全焼し、蓮華会舞の道具も全て焼失してしまいました。地域の人たちは県や町に働きかけ、住民自らが立ち上がって協力し、見事に1年後に復興を果たしたというものです。
前半が山路興造(やまじこうぞう)先生の講演。後半が蓮華会舞の公演でした。
平安時代から伝わる、国分寺の蓮華会舞は、宮廷舞楽の流れをくむといわれる貴重な舞です。かつては120種の舞を5日間にわたって舞い明かすという島最大のイベントだったそうですが、明治のころ、激しい廃仏毀釈で道具や記録は燃やされてしまいました。大正時代に3人の住民が復興させて、7種の舞を今に伝え、国の重要無形民俗文化財に指定されたのです。
これが燃え、復興させるということがどれだけ大変だったことか。関係者の方々の感謝の言葉や涙で伝わってきて、じ~んときました。
舞はインドや中国のようなお面をかぶったもので、日本のどこにもなさそうな不思議な姿です。子どもの舞はかわいくて笑えたし、中学生や大人の舞はとってもかっこ良くてワクワクしました。隠岐の子たちはこんな面白いものを見て育つんですね。
『祭り』というのは、地域住民の手によって行われるので、手の届くところで、近い位置で、身近な大人がやっていて、それにあこがれて子どもたちは育っていくのかもしれない。
中ホールじゃ小さすぎるんじゃ?と思ったのですが、この息遣いを感じられるからこそ祭りなのだとしたら・・・これ以上大きいと『祭り』っぽくないのかもな、と思ったりしました。
★ 地域文化が残ること
山路先生の講演はとても印象深いものでした。
有形文化財は焼けてしまえばそれで終わり。無形文化財は人が残そうとすれば残るもの・・・衣装や面は復元できるけど、舞は人と人が伝授し合って、つながっていかなければ残っていかない。
文化財をつないでいくのは、人がつなぐ『こころ』の問題なんだ。
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/2008cs1.html
それを聴いてから、これを見た昔の人たちは何を感じてたのか、何に向かい、舞を舞ったのか。感じ取りたいと思いながら鑑賞しました。
蓮華会舞は大陸を感じさせる芸能ですが、全国にあったはずの国分寺の芸能もみんな同じようなものだったのでしょうか。
隠岐は古代から渡来人もいただろうし、大陸文化も身近だったかもしれない。平安時代の当初は、日本という国をたたえたり結束を固める目的があったのかもしれませんが、地域文化として残っていくときは、地域のために舞われているのかもしれない。
本土の国分寺はきっと日本的になっていって、この離島の文化の方が大陸的なものを保っているのも、見ているところが違うからなのでしょうね。
★ こころを支えるもの
島根県は伝統芸能や神話がかなり多く残っている土地です。
日本古来の宗教的な儀式は、先祖や渡来人、神とのつながり、自然への畏敬を感じさせてくれます。
石見神楽の変遷などを調べていく中でも感じたのですが、その土地にある感覚的なものが反映されて、残るべき形で残っているようです。
舞は芸能の一種としての形態なので、他の人と感覚を共有しやすいものだろうとも思います。その土地にある『こころを支えるもの』が感じられる。
舞を見る人と舞う人がいるという中での、凝縮された一瞬が、そこに住む人たちの思いをつないでいるのでしょう。
これから伝統行事がたくさん行われる時期ですね。私はいくつか見に行こうと計画中です。
未来のその土地に住む人たちへのメッセージのようなものが、伝わってくるように、感じています。
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今、隠岐の島に毎月通っています。これを書いたときは思ってもみませんでした。運命だったのかな~。
ゆかり
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