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言葉と伝えたいこと

     2009/10/23  No.29の便りを改変


★現代社会と平安時代


 近年、どんどん書類が増えて整理が追い付かない…と思っているのは私だけなのだろうか?と思っていたのですが、そうでもないようですね。
 どんな仕事にも書類が増えていき、記録や報告の書類書きがいっぱい。学校のプリントの多さに辟易しながらも、書面で貰わないと不安になったりしています。ことばや絵で形にして、記録しておいてもらうことに慣れてしまったのでしょうか。


 「ことば」が独り歩きをしてるみたいなことろは、ちょっと平安時代に似てるのかな?と思ったりします。
 ネットで出会って、メールでやりとりして「恋人」になったり「結婚」に至ったりしたカップルを何人か知っていますが、顔も見ず言葉も交わさずに、文のやりとりだけで結婚に至る平安貴族の世界となんとなく似てるような気がします。
 ある日の会話で、子どもが「平安時代の文学作品って覚えにくいんだよね」というので、私が前から思っていた
「源氏物語って、ちょっとご都合主義で展開が急すぎるし、読者ウケを狙ったケータイ小説っぽいよね」と話すと、そうだね!って、どんどん盛り上がっていって、枕草子はブログっぽくてレスつけたくなる、とか。レディースコミックみたいな作品がある、とか
 文章を深読みしすぎて変な誤解をする話とか、評判を聞いて実際に会ってみたら全然違っている話も、言葉や評判にふりまわされてる人間模様が現代に近いね~って
「じゃあ「男もすなる、日記といふものを・・・」って『ネカマ(ネットの中で男性が女性を装っていること)』ってこと!?」というところで大爆笑しました。
 真面目に研究している人にはふざけすぎと思われるかもしれなくて、申し訳ないけれど、こんな楽しみがあるなんて、身近な存在に感じられて面白いです。
 大きな戦がなく一般市民は平和、その中で文(ふみ)のような間接的なコミュニケーションが発達していることは、今の平和やネットが発達しているところと同じようなものといえるのかもしれません。文学作品の中でみえる人の姿も、今の人間が抱えている課題ににている部分があるので、共感できるのでしょうね。


★ア行トーク

 私がコミュニケーション講座でよくする「ア行トーク」という2人組でするエクササイズがあります。
 例えばAさんが「出身地は?」と聞いたとき、Bさんは子音をなくして母音のみにして答えを言うのです。Bさんは例えば「やすぎ」→「あうい」という感じで答えます。Aさんは何度聞き返してもいいですが、その母音のみの答えで、何を言っているのか当てる、クイズのようなエクササイズです。
 なかなか難しいので、結構盛り上がります。
 そんなとき、耳で聞いた母音の言葉を、そのままメモして答えを当てようとする人って、かなり多いのですよね。パズルを解くように必死になって、メモに集中してしまって、目の前の人そっちのけで、答えという言葉のパーツの方が大事!みたいになってしまいます。
 実は、その「ことば」にこだわるより、その人のしぐさ、目線、息づかいなんかをヒントにする方が当てやすいのです。 

 言葉ばかりでは平安時代から続く滑稽な?誤解も起きてしまいます。言葉ばかりに振り回されないように、人が伝えようとしているものはことばだけではない、というのを思い浮かべておくことが大切なのかもしれません。
 本当に伝えたいことは、ことばにしにくいものかもしれないからです。
                    ゆかり

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 現在はネット婚も多いですし、言葉ももっと進んできたような気がします。ペーパーレス化しているとはいえ、書面も多いですね。
 先日、スマホ本体とネット環境を変えた時には、次々に来る確認事項(書面もタブレット使用のものも)の多さに、電気店で4時間もかかりました。
 言葉から逃げられないのだなと思ってしましました。


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