「不発弾処理のため交通規制が行われます」
「不発弾処理のため◯月◯日は通行止めになります」
沖縄ではこのような看板が建てられている時がある。
これは太平洋戦争のときの不発弾が見つかった際に建てられる看板だ。沖縄県民からすれば特別珍しいものではない。私も今まで何度か見たことがあるし、私の家のすぐ近くでも見つかったことがあるらしい。
ビルや住宅が建ち並ぶ市街地に、ただの工事の看板と同じように建っているその看板。驚かない自分に違和感を感じてしまった。
一見、戦争とは無縁のように見える場所で、確かにそこはかつての戦場であったのだということを示している。
今年89歳になる私の祖母は戦争体験者だ。祖母はいつもお喋りで、にこにこしている。しかし祖母は自分について話すことが少ない。
一度だけ気になって戦争のときの話を尋ねたことがある。たしかその日は平和学習があり、それがきっかけだった気がする。沖縄では平和学習といい、毎年慰霊の日が近づくと戦争について学ぶ授業が設けられるのだ。
そのとき初めて祖母に兄弟がいたことを知った。
祖母は、自分の兄が戦争に行き亡くなったことを教えてくれた。あまり詳しくは覚えていないが、そのあとは戦時中の食べ物のことなどを話してくれた気がする。
それ以来、私は祖母にその話を聞いていない。その時の私は小学生か中学生だったが、祖母がいつもより真剣で少し寂しそうに見えた記憶がある。
戦争を体験していない私と祖母とでは、あの看板の見え方は変わることだろう。70年以上前のことなのに、誰1人として忘れた人はいない。その跡がまだ残っている。
戦争を知らない私に、かつて戦場であった事実を伝えてくる。徐々に戦争を知らない世代が増え、戦争体験者が少なくなっている今、不発弾の存在そのものが、言葉を通さずとも戦争の悲惨さを物語っている。
私が今歩いている道の下にも不発弾があるかもしれない。それはあながち嘘でもないのだ。