サインは自分でもらってこそ意味がある~サインの転売について思う事~
・高校生のころ、自分の住む近くに昔からよく読んでた小説家の先生がサイン会に来たことがあった。その時自分は、周囲9割年下の女子である状況にもめげずに、その先生のサイン会の列に並んだ。初めて目の前に憧れの先生が表れたとき、「ああ、ほんとうにいるんだ」と変な感動の仕方をしたのを覚えている。当時もらったサインは、今もなお手元に置いて大事に保管してある。それを見返す度、あの時のドキドキや興奮がよみがえってくるのだ。
プロスポーツ選手や芸能人のサインが転売される話を聞いたとき、なんでそんなものを買う人がいるのか、意味が分からなかった。自分の足でその人に会い、直接もらってこそサインは思い出として価値が残るが、そうでもないサインをもらって何になるんだろうか、と自分は思う。サイン書いてる瞬間も自分で確認できてないものなのに、ようそんな大金払う気になるな、と思うのである。売る方も売る方だが、買う方も買う方である。
思い出のないサインは、ただの文字の羅列だ。自分が直接もらうからこそ、それは記憶に残る代物となる。転売サインを買うお金があったら、それを公式グッズを買うお金やチケット代に充てたほうがよほど幸せだろう。推しにとっても自分にとっても。