どないもならへん
天気予報では今日の降水確率は50%だといっていたのにすっかり忘れて家を出た。エイジと待ち合わせている鶴橋駅のセブンイレブンで黒い折畳み傘を税込1,100円で買った。「PayPayで」ミカはスマホを店員に向けてから「やっぱし現金で」と言い直した。財布に2枚あった一万円札のうち1枚を出す。
「ただいま五千円札を切らしておりまして」 返ってきたのは千円札が8枚と五百円玉1枚、百円玉4枚。ミカの小さな三つ折り財布はホックが留まらないほど膨らんだが、エイジと焼肉を食べ支払いを終えるとまたスリムな形に戻った。エイジは先に店を出てスマホをいじっていた。
「あの店、あんま旨なかったよな」出てきたミカにエイジが言った。「結構ええ値段とるくせに」
ふたりで8千円というのがええ値段なのかどうか、ミカは知らない。エイジはスロットでそれくらいの金額を1時間で軽く使い切るし、ミカはバイト先のスーパーで8時間レジを打てば同じ金額をもらえる。
鶴橋駅での別れ際「ごめんやねんけど・・・」とエイジが切り出した。ミカは自分の財布の中身を確認する。千円札1枚と一万円札1枚と小銭少々。「ただいま五千円札を切らしておりまして」コンビニ店員の真似をしながら一万円札を抜きエイジに差し出した。「来週、絶対返すから」自分の財布にそそくさとしまう。「あんたが財布出すとこ、今日初めて見たわ」ミカの言葉にエイジは「ほんまや」と笑った。
「そんじゃ」背を向けたミカに「雨降ってきたわ」エイジの声が聞こえた。
「これ使い」さっき買った折畳み傘をエイジに投げて渡した。
「忘れんと返してや」「わかった」「お金もやで」「わかってる」
階段を上って内回りホームに着くとすぐ電車がやってきた。車内は空いていたがミカはドアの手すり横に立った。雨が激しくなってきていた。京橋で乗り換える時にまた傘を買わなくてはならないほど。
エイジには言わなかったが、今日はミカの誕生日だった。
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伊藤緑さんの企画への参加作品です。