もう一回
「クラス全員、さかあがりができるようになるまで
鉄棒の授業は終わりません!」
と、
センセイが言ったことばを真に受けて
「もう人生おしまい・・・」
と思った、小学一年生の春。
「だいじょうぶ!一緒にがんばろ!」
さっそくその日の放課後から個人特訓が始まった。
コーチはクラスでいちばん仲のよかったあっこちゃん。
放課後になるとあっこちゃんは、いちばんに教室を飛び出し校庭へ。
「はやく!こっちこっち!」
のろのろと体操服に着替えて出てくる私を
いつも鉄棒にもたれながら待っていた。
「こんなふうにね、地面を足で蹴るようにしてね、くるんってまわるの!」
そう言いながら、あっこちゃんは鉄棒を軸に軽々と一回転してみせる。
アドバイスに従って、私はいち、にの、さん!
自分の中ではめいっぱい両足を振り上げてみたつもりだけれど
まったく鉄棒には届かないまま、ばたんと落ちてしまう。
「だめだよ!おなかと鉄棒をぴったりくっつけなきゃ!」
もう一回。ばたん。
もう一回。ばたん。
その繰り返し。
下校時間を告げる音楽が校庭に響くまで、私はただただ地面を蹴り続けた。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、私はさかあがりができないままだった。
「だからこうすればいいって言ってるじゃん!」
はじめは優しかったあっこちゃんの口調も、進歩のない私にいらいらしてきたのか、だんだん厳しいものになってくる。
サビがついて茶色く汚れた手のひらが、ひりひりと痛い。
でももっと痛かったのは、多分、心の奥の方。
なんで私だけ、さかあがりができないんだろ。
なんで私だけ、毎日毎日こんなことをしなくちゃいけないんだろ。
なんでさかあがりができないだけで、こんなに嫌な思いをしなくちゃいけないんだろ。
あと一回だけやってみて、それでもできなかったら、あっこちゃんに言おう。
こんな練習もうやめるって。
あっこちゃんは怒って、私と絶交するって言うかもしれないけど、でも言おう。
あと一回だけ。
「いち、にの、さん!」
あっこちゃんのかけ声にあわせて、私は目をぎゅっとつぶり、両足を蹴り上げた。
「あっ!!」
一瞬、何が起こったのかはわからなかった。
気がつくと私は鉄棒を両手で握ったまましゃがみこんでいて、
それはいつもと同じ姿勢だったのだけれど
でも今までの感覚とは、どこかが違っていた。
「できたよ!さかあがり!」
あっこちゃんに言われて初めて気がついた。
「もう一回やってみなよ!」
くるん。
今度は自分の体がちゃんと一回転したのが分かった。
鉄棒とおなかがぴったりとくっついている感覚も分かる。
「一回できればもう大丈夫!」
くるん。
くるん。
本当に。
今までできなかったことが信じられないくらいだった。
くるん。
くるん。
手のひらの痛みも、心の奥の痛みも、もうどこかに行ってしまっていた。
***
すっかりおとなになった今も、あの頃のことを時々思い出す。
あっこちゃんはその年の冬に、お父さんの転勤で遠い町へ引っ越していってしまった。
ずっと友達でいようね、と約束したけれど
何度か手紙をやりとりしたあとは、それっきりだ。
どうってことのない、子どもの頃のひとこま。
さかあがりができないくらいで人生が終わるはずもなく、何かがだめになるわけでもない。
でも私は時々思う。
もし、私があの時さかあがりができないままだったら。
もし、あの時あきらめてしまっていたら。
何かにつまづいた時、落ち込んでしまう時。
「もう一回!」
私はあっこちゃんの声を思い出すことにしている。