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彼女の恋物語

それは、むかし、むかし・・・といっても、そうね、それほどでもないちょっとだけむかし、のお話。

あるところに、年頃のとてもうつくしいむすめがおりました。
彼女には、とても愛し、愛されている恋人がおりました。
むすめの美しさからすると、その恋人はさえないというか、ぼんやりしているというか、とにかくちょっと釣り合わない気もするのですが、二人の深い深い愛情の前では、そんなことはまったく関係ありませんでした。
ふたりは時々けんかもしましたが、たいていはその日のうちに仲直り。
いつか結婚しましょうね、と二人で約束をしあっておりました。

数年後。
あいかわらずけんかもしましたが、やっぱりすぐに仲直りした二人は、約束通り結婚することになりました。
春になったら、むすめはいよいよ花嫁になるのです。
嬉しいような、恥ずかしいような、なんだか複雑な気持ちです。
けれども、むすめには一つ、大きな不安がありました。


それは、恋人が心変わりしないだろうか、ということです。
今の恋人の愛を疑っているわけではありません。
ただ、将来は誰にも見えないだけに、一度不安にとりつかれると、心配でたまらなくなってしまうのです。
結婚してからも、恋人はむすめのことをずっと愛してくれるだろうか。
ずっと大切にしてくれるだろうか。
そんなことを考え出すと、むすめは夜もろくに眠れませんでした。

そんなとき、ふと思い出したのが、むすめが幼いころに聞いたひとつの噂でした。
一年に一度、元旦に、ある場所で売り出される福袋。中には、さまざまな形の時計が入っていて、その時計を手にした者は、すばらしい時間を手に入れることができるというのです。
どの店に行けばその福袋が買えるのか。
肝心な情報を、むすめは知りませんでした。
もしかしたら、あまりに小さい頃の話なので、忘れてしまっているのかもしれません。
ひょっとしたら、その噂自体が、真実でないのかも知れないのです。
何しろむすめの周りでは、そんな時計を持っているという人の話を聞いたことがありませんでしたから。

それでも、むすめの心は、すでに固まっていました。
むだに終わってしまうかもしれない。それでも、やってみる価値はある。
そう思ったむすめは、どこに並ぶかさんざん迷った挙句、町でいちばん大きな百貨店なら間違いがないだろうと見当をつけました。
むすめが百貨店にやってきたのは発売の3日前だというのに、すでに数人が列を作って待っていました。
きっとここにちがいない。むすめはそう思い、その列の最後尾に並びました。

強い風や雪に耐えながら、ようやくやってきた元旦。
むすめの手には、小さな紙袋がありました。
これで、恋人とのすばらしい時間を本当に手に入れることができるのでしょうか。
半信半疑ではありましたが、むすめの心の中は満足感でいっぱいでした。
とりあえず、この福袋を持って、恋人の元に向かおう。
そう思って百貨店を出たとき、むすめの前に現れたのは。

「あけまして、おめでとう」
白い息を吐きながら、むすめにそう言って手を振ったのは、彼女の恋人でした。
どうしてここに?
驚くむすめに、恋人は笑いながら言いました。
「新年のあいさつは、君にいちばんに言いたかったんだ」
恋人は、ポケットからマスクを取り出すと、
「ほら。君より先に出会う人に、先におめでとうと言っちゃわないために、マスクをしてここまで来たんだよ」

ああ。
むすめはあまりの驚きと、それからあまりのうれしさに、言葉もありませんでした。
こんなに優しい恋人が、いつか心変わりするかも知れないなんて、不安になってしまった自分が恥ずかしくなりました。
「ところで、何を買ったの?」
そうたずねる恋人に、むすめは福袋を後ろ手にして隠し、微笑みかけました。
「何でもない」
そして、
「あけまして、おめでとう」
そう。
愛し合う二人には、すばらしい時間をもたらしてくれる時計なんて、必要なかったのです。

・・・・・・

「ふーん。で、その時計は結局どうなったわけ?」
私はこたつに入り、みかんを頬張りながら聞いた。
「どうなったって・・・、今も、とってあるわよ。一応ね」
母はそう言っていたずらっぽく笑った。
「あなたがお嫁に行くときには、花嫁道具の一つとして、持たせてあげるわよ」
「残念ながら、まだまだ予定はないでーす。あーみかん、うまぁぁぁい」
私は耳をふさいで聞こえないふりをする。
「だいたいお母さん、自分のことを美しいむすめだなんて、よく平然と言えるわね。
お父さんのことも、さえないとか、ぼんやりしてるとか、言いたい放題じゃない」
そんな親娘の会話を聞いているのかいないのか、こたつの中でうたたねしていた父がううん、と寝返りを打ち、私は母と顔を見合わせて笑った。

こんなお正月。
これもまた、すばらしい時間の一部、なのかもしれない。

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