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アタタメマスカ?

電子レンジが壊れてしまった。
2年程前に知人に安く譲ってもらったもので、その時点でも相当な型落ち品だったからよく今まで働いてくれたと言ってもいいかも知れないが、それでも僕と妻は途方にくれた。
何しろ僕たちの食卓は、ほとんどこの電子レンジでまかなわれていたようなものなのだ。

扉を開け閉めしてもボタンを押しても叩いてみても無反応、既にただの粗大ゴミと化してしまった電子レンジの亡骸の前で、僕たちは二人揃ってため息をつく。
「新しいのを買いに行かなくちゃ」
「週末まで無理ね。困ったわ、それまで温かいごはんが食べられないのね」


どんなに忙しくても、せめて一日に一度だけは、二人揃って食事をしよう。
僕たちが結婚する時に決めたこの約束は、今まで一度も破られたことがない。
結婚しても仕事を続けている妻のことを、いまどきの男である僕は誇りに思い、彼女の負担を少しでも軽くするために、できる限り家事だって分担してきた。


仕事をしているときの妻の姿を僕は見たことがなかったけれど、それでも彼女がどれくらい自分の仕事にプライドを持っているのかは理解していたつもりだし、大抵のことは完璧にこなす彼女の唯一の弱点、すなわち料理ができないということにくらい目をつぶるだけの寛大さも持っているつもりだった。
実際、僕らが二人揃って取る夕食は、豪華とまではいかないが、いつだってそれなりに温かさを伴うものであったし、僕はそれで十分満足で、そして幸せだったのだ。


「今日は何だか疲れちゃった」
その夜、妻が帰ってきたのは夜の10時を過ぎた辺りだった。
「ごめんなさい、デパートもう閉まっちゃってたから」
そう言いながら、彼女はコンビニの袋から弁当のパックを二つ取り出し、テーブルに置く。
「一応、温めてはもらってきたんだけど」
「いいよ、たまにはこういうのも」
申し訳なさそうな彼女を遮って僕は微笑んでみせる。
そう、たまにはこういう日があったっていいじゃないか。
彼女はハードな仕事を終えて疲れているんだし、僕はそんな彼女のことを誇りに思っているんだし。
実際この日の彼女は本当に疲れきっているようで、僕が何を話しかけても返事をするのが精一杯の様子だった。
せっかく買ってきた弁当にもほとんど箸をつけようとしない。つられて僕も食べるスピードが落ちてゆく。
「やっぱり、あんまりおいしくないわね」
彼女のその一言が合図になったように、僕らは弁当を半分以上残したまま、二人揃って箸を置いた。


次の日、妻は更に遅い時間に帰宅した。
「ごめんなさい。帰る間際にクライアントから苦情が入って」
そしてまたコンビニの袋から、前の日と同じ弁当を二つ取り出し、無造作にテーブルに置く。
「せめて違うのにしようと思ったんだけど、これ以外は売り切れちゃってて」
「・・・いいよ、たまにはこういうのも」
僕は昨日と同じ言葉を唱えたけれど、そのぎこちなさは彼女にも伝わってしまったようだ。
彼女は弁当のラップも剥がそうとせず、
「何だか疲れたから、もう休むわ」
と一人先に寝室に入ってしまった。
僕は小さくため息をつき、彼女の分の弁当を冷蔵庫に放り込む。
どうせ明日になっても食べることはないのだろうけれど、と頭の片隅で思いながら。


結局、電子レンジが壊れた、ただそれだけのことで、僕らの生活は一変してしまった。
タイミングが悪かっただけなのかも知れない。
妻の仕事が忙しい時期でなければ、デパートでそれなりの惣菜を買ってきてそれなりの食事をすることだってできただろうし、例えコンビニの弁当でも、二人の会話が弾めば十分食べられるものであったはずなのだ。
不思議なものだなと思う。
僕と妻の間にあった、少なくともあったと互いが信じていた温かさが、実は電子レンジで加熱されただけのものに過ぎなかったことに、僕らは今まで一度も気づかなかったのだ。


妻の帰宅時間はますます遅くなってゆく。
夕食の時間が憂鬱になり、苦痛になってゆく。
新しい電子レンジを買えば、冷めてしまった二人の関係も、もう一度温めなおせるだろうか。
その答えは分からないけれど、とりあえず僕は今、週末が来ることを心から待ち望んでいる。

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yotsuba siv@xxxx
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