何故reiさんは英語を理解出来ないのか?
最近インターネットで以下のような文章がバズっているのを見ました。
有料記事ですが無料部分に大きな間違いがありましたので、大してできるわけでもない数少ない英語の知識でマウントを取りたいがために英語の勉強ネタがてら紹介したいと思います。
尚、無料部分しか見ていないため、文全体の良しあしについては触れません。ただ、枕にしている英文をここまで派手に誤読していることを考えると、全体を通してもあまり質の良い文章ではないと予想しています。
【以下引用部分】
だがマクロで見た場合、全体の傾向として「女性は感情的で男性は論理的」なのは確認されてる以前に、女性自身が反論理なのを表明している。例えば米国政府から助成金を割り当てられ活動しているMen Stopping Violenceは男性向けDVチェックリストにこのような項目を入れている。
Claiming “the truth,” being the authority, defining her behavior, using “logic.”
日本語訳すれば「真実を主張して、権威を持ち、論理を使って自分の行動を説明する」といったところだろう。
【引用おわり】
どういう誤訳なのか
まずはreiさんの訳と、素直に訳した場合の訳、元の文章を踏まえてやや意訳したものは以下の通りです。
【reiさん訳】
真実を主張して、権威を持ち、論理を使って自分の行動を説明する
【素直な翻訳】
“真実”を主張し、権威であるように振る舞い、彼女の行動を定義し、“論理”を持ち出すこと。
【意訳】
独善的な意見を正しいものとして押し付け、絶対の基準であるかのように振る舞い、彼女の行動を決めつけ、自分に都合のいい理屈を押し通すこと
素直に訳した場合はややハイコンテキストで、意訳したものは長いですね。多分専業の訳者の方ならもう少し良い訳を考えていただけると思います。
reiさんが誤訳している点
reiさんの翻訳には3つの誤りがあります。
クォートの無視
権威を”持つ”
defining her behavior の誤訳
それぞれを見ていきましょう。
クォートの無視
元の英文にはクォートされている箇所が2か所あります。
Claiming “the truth,”
using “logic.”
この場合のダブルクォートは「一般的な概念とは異なる」「皮肉」「話し手がその言葉に疑問を持っている」ことを示してます。
この文章がDVの加害者に対するチェックリストの一文であることを踏まえて訳すと「『真実』を主張し(押し付け)、」のような文となるかと思います。より意訳するなら「独善的な意見を正しいものとして押し付け、」でも良いと思います。
(ちなみにこのような文を会話中で出したときに英語話者が両手の中指と人差し指を曲げて宙にダブルクォートを描くしぐさを「エアクオート(Air Quotes)」といいます。)
権威を"持つ"
rei さんは "being the authority" を「権威を持つ」と訳してますが、「権威を持つ」のように「客観的に権威を持っていること」が明らかである場合は "having the authority" となります。
"being the authority" には その場において自分が権威の立場であると振る舞う、またはそう主張する というニュアンスがあります。素直に訳すなら「権威であるとして振る舞う」のように実際に権威であるかどうかを含意しない文であるべきです。
defining her behavior の誤訳
「自分の行動を説明する」と訳していますが、herが完全に訳抜けしてしまっています。
「彼女の振る舞い、行動を決めつける(こうあるべきだと押し付ける)」
あたりが適切ではないかと思います。
おわりに
こういった資料からの引用で構成されている文章でも、時間があれば自分で引用部分もよく読んで検証した方がいいと思います。極端な意見や自分の直観に反するものであってもです。
記事の書き手が言及したり引用したりしている資料を基にきちんと読み込んでいくと、結果的に読んだ記事が間違っていてもいろいろな知見が得られて勉強になることが多いです。
(追記)そのあとの引用部分の誤読について
この後でやっている誤読部分が偶然かなり面白くなっていたので、この節を追記させてもらいました
reiさんはこの「論理を使って自分の行動を説明する」がDVにあたるのは「女性が論理を理解できないから」と論を展開しています。
しかし、そもそもの文章を誤訳しているので、この節についてはすべて誤りであると言わざるを得ません。
実際は「自分に都合のいい理屈を押し通すこと」であり、reiさんの誤訳と修正訳の対比が奇しくもDV加害者と被害者によくある視点の違いと同じとなってしまっています。
そして、とても面白いのが、この後にreiさんが引用している「Creating a more feminist science」が偶然にもこの「客観性」の問題を提起していて、かつ、そこについてもreiさんは誤読、誤訳していることです。
I always get nervous when we try to assert the “objectivity” of any facts or ideas. A feminist slogan in the 1970s and 1980s (perhaps some NOW members remember) read “Objectivity is Male Subjectivity.”
【拙訳】
私は様々な事実や考えについて “客観性” を主張しようとするとき、いつも不安になります。(NOWのメンバーの中には覚えている人もいるかもしれませんが)1970年代から1980年代にかけてのフェミニストのスローガンに、『客観性とは男性の主観性である』というものがありました。
ここで言われる『客観性とは男性の主観性である』がどんな背景を持ったスローガンだったかというと、これは生物学的決定論(Biological Determinism)に代表される、政治的な背景に基づく「客観性」への批判であることが、reiさんが引用したあとの文章に書かれています。
reiさんの訳ではなぜ著者が不安になっているのかわからなくなってしまっていますが、「客観性」がそうした政治的な悪用をされがちなので自分が使う際もそうしたことをしていないか「不安になる」わけですね。
この恣意的な「客観性」の使い方は男性が“論理”(と称したもの)を持ち出すこととよく似ていますよね。
reiさんが引用した文章で奇しくも氏が行ったような手法への批判が行われているわけですね。これがとても面白いなと思って追記しました。
本当に最後に
こういう指摘は地味だし、攻撃的でもないので、きっと誰も読まない文章だとは思うのですが、こういうものがネットに残っていることの価値はきっとあるんじゃないかなと思ってここに書き残しておきます。