空虚と名前(『戦争と女の顔』を観て)

カンテミール・バラーゴフ監督の『戦争と女の顔』〔Дылда〕を見た。俳優の一瞬一瞬の目の動きや表情、それからごくごく細い道を過たず進んでゆくストーリーの運び方。ちょっとでも間違えれば物語が崩壊してしまいそうなほどに繊細なバランスをとりながら、最後まで一瞬たりとも気を抜いた瞬間のない映画だった。見終わった観客は、大きな宿題を監督から課された気分で疲弊して映画館を出ることになるだろう(その宿題といえばあまりに複雑で、問題文を自分のものにすることにすら数週間はかかりそうな具合である)。帰宅後に、『ユリイカ』2022年7月号のアレクシエーヴィチ特集に掲載された木下千花さんの「肉の空洞」(pp.207-213)を読んで、考えることの拠りどころとさせてもらった。しんどいから誰にでもおすすめできる映画ではないけれど、ずっしりとした映画を観て考えたり人と話したりする時間が好きな人にはぜひ観てほしい。

監督のインタヴューをいくつか読んで、作家アンドレイ・プラトーノフに強い影響を受けた映画作家と知った。この映画でいえば、例えばセリフ遣いにはいかにもプラトーノフの主人公が口に出しそうな、単純だけれど抽象的で特異な身体感覚が具現化した表現がいくつかあったし(「わたしは空っぽ(я – пустая/напрасная)」、「わたしの中に人間が欲しい(внутри меня хочу человека)」など)、そして空っぽの容れものとしての主人公イーヤ(“のっぽ=ディルダ”)の造形もたいへんプラトーノフらしい。プラトーノフの未完の長篇『幸せなモスクワ』の主人公モスクワ・チェスノーワや、後期のうつくしい短篇「ポトゥダニ川」のリューバがインスピレーション源として挙げることができそうだ。余談として二つエピソードを書いておくと、バラーゴフ監督はできれば『幸せなモスクワ』を映画化したいと述べている(同時に、無理だろうが、とも言っている)し、「ポトゥダニ川」(と長篇『チェヴェングール』)はバラーゴフ監督を映画の道に導いたアレクサンドル・ソクーロフ監督のデビュー作『孤独の声』のインスピレーション源でもある。

名前のこと。イーヤ(Ия)という名前は、母音二文字というちょっと珍しい響きだけれど、実在するロシア人女性の名前。作中では「ギリシャ語でスミレのことだ」(?だったかな)と言われ、実際にギリシャ語起源の名前(< Ἰάς)ではあるようだけれど、異説には「イオニア女性」の意味とされる。たぶん正確にいうと、作中のセリフは「ギリシャ語」ではなく「ジョージア語」が正しいのだろう(脚本の錯誤か、あのおっさんのそういうキャラ付けなのかは判断できない)。ジョージア語初学者はみんな最初に「აი ია.(ai ia;これはスミレです)」という文章を覚える。そこに出てくるのが「ია (ia)」(スミレ)である。別の観点からすると、Ияはи - яと分解できて、つまり「わたし-も(me - too (!))」なのだ。空っぽの容れものであり、主体性が消されたイーヤという女性のキャラクタをよく表す名前だと思った。プラトーノフは『チェヴェングール』で、今はじめて行われる主体性の構築の瞬間を描いた、あるいは描こうとした。その点でも、主体性の恢復をめぐる今回の映画を作るにあたっての監督の参照点となったかもしれない。

ひるがえって『チェヴェングール』の登場人物について考えてみると、作中の「空っぽ人間」である主人公「アレクサンドル(サーシャ)」の名前は、これもギリシャ語のΑλέξανδρος [Aleksandros]が由来であって、その語源は「ἀλέξω+ἀνήρ」(護る+者/男)だという。これもまた護る対象の何かに対する存在ということでもあって、「空っぽ人間」には似つかわしい名前ともいえる(「魂の宦官」などの形象を思い起こせば、アレクサンドルはたしかに「護る人」としての造形がほどこされているといってもよい)。キリスト教神学では「ケノーシス」という、体の空虚をめぐる議論があり、このあたりをつなげることもできるかもしれないとも思っている。

ちなみに、プロコーフィ(Прокофий)の由来はギリシャ語で「成功・功績」、ザハール(Захар)の由来はヘブライ語で「ヤハウェの覚えめでたき者」などなど、名前の由来で『チェヴェングール』の登場人物を見直してみると、プラトーノフが意外に名前にも細心の気配りをしていることがわかるかもしれない。文学研究者Е.ヤーブロコフは一冊まるまる『チェヴェングール』のコメンタリーに捧げた研究書において、一部の名前についてはその由来の解読を試みている。

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工藤順 / Нао Кудо
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