無一文で時間をつぶす
桜並木沿いにある公園のベンチに「立ち入り禁止」のテープが巻かれていた。もう座ってゆっくり桜を見ることもできなくなった。
多少の不満はあるものの、自分に特段支障はない。ただ、ここがホームレスの人の居場所だとしたら。誰でも使える公共の場から実質的に排除していることになるんじゃなかろうか。
いつかこういう違和感も忘れてしまうのかと思うと、自分が感じたことをこうして書き残しておくのはいいかもしれない。というわけで、noteを再開する。
私も公園に助けられた経験がある。とってもしょぼい理由で。
昨年、家に財布を置いたまま、神戸の高速舞子行きの片道の電子チケットだけ持って高速バスに乗り込んでしまった。当時住んでいた徳島を出発し、気づいたらもう鳴門大橋を渡るところで後戻りできない。さらに最悪なのが、梅田での待ち合わせなのに、舞子行きにしたということ。海を見ながら電車でゆっくり行きたいというふわっとした気持ちと、格安切符を買ってちょっとでも節約しようというケチさ。これが災いした。
スマホに電子マネーも入れていないので、本当に無一文だった。モバイルバッテリーも持ってないので、命綱のスマホを延々と触るわけにもいかない。
梅田行きにしておけばお金がなくてもウインドーショッピングで何時間でも時間をつぶせたのに、よりによって舞子。しかも着いたのが朝8時半で駅ビルも開いていない。目の前の舞子公園で過ごすしかなかった。
当たり前だが、鉄道や警察はこういうとき、自宅へ帰るための金しか貸してくれないようだ。友達に迎えに来てもらうよう助けを求めたが、到着予定は午後1時半。元気いっぱいの小学生ではないので、寝不足でスマホ依存症の27歳の人間が公園で無一文で5時間過ごすのは無理だと思った。
でも案外大丈夫だった。むしろ満喫した。
明石海峡大橋の真下から、対岸の淡路島や貨物船を眺める。そばにある望遠鏡は100円がいるので使えないが、観光客気分を満喫できる。仕事で山間部の担当だったとき、山頂から遠くの海が見えて感動したが、やっぱり目の前で波打つ景色が一番きれい。
シロツメクサの広場を進むと、水色のレトロな洋館がある。国重要文化財の孫文記念館(移情閣)。孫文の来神時に昼食会場となった建物で、日本で唯一の孫文の記念館だという。獅子文六の小説「バナナ」にも登場するそうで、一場面を記した石碑があった。入場料はたった300円だが入れない。六角形のおしゃれな外観もすてきだし、窓から中をちら見すると飾り照明に赤い絨毯と重厚感たっぷり。
敷地内のベンチに座れるので、建物をゆっくり眺められる。無一文の人間にも寛大な孫文(の記念館関係者)。孫文に特に興味があるわけではなかったので、こんな機会がなければ行かなかったと思う。偶然の出会いっていいな。
記念館からさらに進むと、海釣りをするおじさん軍団に遭遇した。日焼けも気にせず、竿を振る。それを石段に座って眺める。海はぼーっと見ているだけで楽しいし切ない。何より無料。偉大だ。そりゃ昔の人は和歌も詠みたくなるし、現代人はSNSにアップしたくなる。
1キロほど歩くと、海水浴場に着く。人はまばらで、浮き輪をした子どもが静かにぷかぷか浮かんでいる。父親らしき人が売店で焼きそばを買って、砂浜で待っていた。ソースのにおいで腹が減るが、金がない。海は腹を満たしてくれない。
到着時刻に近づいたので、駅ビルの本屋に移動した。椅子がないので立ち読みするしかないが、窓から明石海峡大橋が臨めて、さんざん見たのに得した気分になる。
そうこうしているうちに、友達が駅に到着し、無事に「無一文チャレンジ」を終えた。
舞子公園は規模が大きいというのを勘案しても、座って休憩するスペースさえあれば、どこでも楽しめるポテンシャルがあると思う。少なくとも私は。妙にハイになって、友達にひたすら公園の素晴らしさを語ってうんざりされたのだった。
どんな人でもどんな状況の人でも受け入れてくれる公共の場の意義を実感した1日でした…。