マイノリティを作らない考え方
診断名はあまり重要ではないんだよなぁと最近特に思います。
例えば、この子はASDで、とか言われると、ああ、そういう感じね、こだわりがあったり、コミュニケーションが苦手だったりするのかなとなんとなくわかるけど、でも、ASDと言われてたって、ADHDと言われてたって、性格もあるし特性もそれぞれ違います。
結局はその人自身の特性を知ることが大事です。
いわゆる定型の人だって大なり小なり何かしら特性はあるし、それに気づいていないだけかもしれません。
改めて考えてみたら、自分では当たり前になっていたけど、実は人と違っていることや特徴的なことがあるはずです。
就活の時に自分の強みとかアピールポイントを考えると思うのですが、それと同じで、自分に向き合って自分の特徴を考える機会があるといいと思います。
例えば、特性チェックリストみたいなものがあって、感覚とかこだわりとか衝動性とか気持ちの不安定さとかコミュニケーションとか考え方とか、生きづらさにつながりそうだったり配慮が欲しい項目をいくつか挙げておいてチェックする形だと、自分で自分の特性にも気づきやすいかもしれないです。
そうすると、人に伝えるだけでなく、自分でも特性に気づけて、工夫を考えたり配慮を申し出たりしやすくなるとも思います。
自分の取扱説明書を持っていて、初対面の人同士で交換し合ったり、新しい所に所属する時には渡して見てもらったりしたら、人に伝える時にはわかりやすいですよね。
名刺交換みたいに、みんな自分の取扱説明書を渡し合ったらわかりやすいなぁと妄想してみたり。
マイノリティの人を炙り出して配慮を考えるのではなく、一人一人の特徴を知ることでそれぞれの人にそれぞれ対応することで、障害とか壁とか垣根とかなくなるんじゃないかなと思います。
ただ、この人はこういう人でこんな特徴があるからこういう工夫をして対応しようということをそれぞれにしていくだけ。
みんなが自分と同じで、これができて当たり前だと思うから、できない人を抜き出したり排除してしまったりことになるのです。
一人一人違って、それぞれに何か配慮するポイントがあって、一人一人に異なる対応をする、ということが自然にできる社会なら、差別や排除はなくなると思います。
その人はただそういう人なだけ。
みんながみんな、ただそういう人なだけ。
「普通」なんてない。
みんな同じなんてない。
みんなそれぞれ違う。
だから、知る。
一人一人に対応する。
そんな世の中だったらいいなと思いました。