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うねり 

クラスメイトが友だちに天然パーマをイジられていた。
彼らの視線の先にいる私は、その言葉が、私、いや私の髪の毛に向けられているような気がしてしまう。つい手を当てた前髪は明らかにうねうねしている。
左端はひらがなの「し」のように。右端はアルファベットの「J」のように。
窓の外を見てみると、ほらやっぱり、雨が降りはじめていた。私の前髪はわかるのだ。
こんな前髪を公衆に晒すのは惨めだから、仕方なくヘアピンで留めた。あの人とかその人とかの、こんな湿気った環境にあってもまっすぐのままの前髪が妬ましい。
後ろの髪もお団子にまとめているので、図らずもバレリーナみたいになった。もさもさのバレリーナ。バレエはどへたくそ。

***

最近、詞のある音楽が聴けない感じの時期に来ている。
意味のある日本語を、耳が拒んでいる。
昔から、私は眠っている時間以外ずっと頭の中で何かを考え続けてしまう。だからときどき言語を頭に入れるのが心底嫌になるのだ。何も聞きたくないし、考えたくなくなる。
けれど何かしらの音楽にはふれていたくて、クラシックを聴いたりジャズを聴いたりしていたが、数日前、haruka nakamura にたどり着いた。
今いちばん好きなのはこのアルバム。

haruka nakamuraさんのこのアルバムを喩えるなら、と考えていて(あれ?よく考えたら結局考えてる…あれ!?)、クッキー缶を思いついた。
どれも卵のように、ふんわりとしてやさしい。けれど、ひとつひとつはチョコレート味だったり、真ん中にアーモンドが載っていたりする。すべてハンマーの弦を叩く音がはっきりと響くピアノの曲たちには、しかしそれぞれに独特の表情があった。

今日は、このアルバムをはじめから流しながら帰路についた。
すると、『雨の日のために』という、今日にふさわしい名前の曲があった。
ちょうど時計が17時を指したとき、『17:00』という曲に変わった。
ぴっちり留めた前髪のおかげで、景色がよく見えていた。

蔦が這う住人のない家々、潰れたスーパー、坂の向こうに灯った赤信号。
詞のない音楽は、夏の終わりの雨降りの、ちいさい街をふんわり包んだ。

私はいつか、このうねりを、まっすぐに愛せるようになりたい。

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