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実家的音楽と小旅行的音楽

最近、羊文学にハマっている。
初めて聴いた羊文学の曲は『光るとき』。山田尚子監督のTVアニメ『平家物語』の主題歌として知った。
(このアニメのお話はまたいずれ)

羊文学というバンドは、私にとって「キラキラでふわふわで、淡い色の服と無印良品をこよなく愛する丁寧な暮らし系女子の御用達バンド」というイメージだった。これはなにも悪口じゃなくて、そういう品のいい、おしゃれなバンドという印象で。ともかくも、私とは相容れないジャンルだと思っていた。
けれど、実際の羊文学はそうではないのだ。キラキラとふわふわの中に棘だったり、スパイスだったりが隠れていて、ふとした瞬間にそれらが姿を現すものだから、私はびっくりした。
私は羊文学に夢中になった。特にEP『きらめき』。最高。ここだけの話、こないだのnoteはこの『きらめき』に大変インスピレーションを受けた。

ただ、私の羊文学に対するイメージは、当初とあまり変わっていない。こんな陰気な私も受け入れてくれるあったかいバンドだけれど、羊文学はやっぱり上品だし、洗練されていておしゃれだ。私は、そういう女の子になりたいと願うとき、ちょっと背伸びして羊文学を聴く。


ここで、(私のnoteをいつも読んでくださる方ならおわかりかもしれないが)私には圧倒的最推しバンドがある。神聖かまってちゃんである。
羊文学が好きな人はいても、かまってちゃんが好きな人には出会ったことがない。
かまってちゃんの音楽は羊文学のそれとはまさに対極をなす。死にたいなあ、と最初から最後まで言い続けている曲とか、死ねよ佐藤!と言い続けている曲とか。上品さの欠片もない。
そこが好きなのだ。
かまってちゃんの音楽は私の辛さや苦しみに寄り添ったり慰めたりなんかしてくれない。そんな優しさは持ち合わせていない。私は勝手に救われている。勝手に心動かされている。
私にとっての神聖かまってちゃんは、なんだかんだ帰ってきちゃう場所、「実家的音楽」だ。どんなに変わろうと思っても、変えることのできない心の奥。私という人間の薄暗い根底に、かまってちゃんがある。
とはいえ、私もいろんな自分になってみたい。すてきな女の子になることを夢見て、音楽の海を越え、羊文学というバンドへ旅をする。「小旅行的音楽」である。
小旅行なのはこだわりだ。行ったきりではいられないから。しばらくすると、またなにかに落ち込んで、しかたなく帰ってきてしまう。それはもうトボトボと。
実家的神聖かまってちゃんまで辿り着き、ああまた戻ってきちゃった、でもやっぱり落ち着くんだよねと考える。ちゃんと揺るがぬ居場所があってくれてよかった、と安堵する。
実家もあってほしいが、旅もしたい。どちらにいても、私は私だ。


あなたの実家的音楽はなんですか 

どんな音楽に旅をしますか。

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