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そらのうえのにじ
そらのうえのにじ
Mikio 作
今日も俺は、眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。むやみやたらと考えている。しかしそれは、とてもじゃないが、建設的な考えとは言い難い。そういうものとは、無縁の類いの考えだ。今日も、思考がどうにも止まらない。止められない。今日もまた、思考に飲み込まれてく。どんどん流されていく。目まぐるしい速さで。それが、俺の自然な姿だ。そう、いつも通り。8月の空はやたらと青い。太陽は天高く昇り、雲は堂々と、ゆっくり流れてゆく。優雅に形を変えて。いつも通り。
−−日頃難しい顔をしている奴ほど、この世界を思いのまま歩むことはできない。お前もいよいよ世の中から見放されるぞ。
ん?何だ、ついに幻聴が聞こえてきたか?ま、今の俺には関係ない。どーでもいい。
誰かに、そう宣告されている気がした。見上げると、強い空、見下ろす太陽、大きな雲が、俺に詰め寄ってくる。それに反抗するものなら、夏空はがらりと様子を変え、俺に向かって凄まじい落雷を落として来るのではないだろうか。その物凄い迫力に、逃げ場を失い、とどめの一撃を喰らわないよう注意……脳内でハチャメチャな天気予報が繰り広げられた。
大学中退後、俺はあらゆる仕事を点々としている。今やってるアパレルの倉庫の仕事も、はっきりとした志を持ってやっているわけではない。同年代の奴らがキラキラと働いている傍らで、すっかり目標を見失っているのだ。俺に何ができる?何かやりたいことは?得意なことは?興味あることは?志望動機ない、ない、ない、ありません!分かりません!すんません!俺の履歴書は中身の無い、ただの空白だらけの紙切れ。仕方なく埋めた意味のない文字。本気で埋めようものなら、書ききれない職務履歴欄。オマケで、気持ちの悪い作り笑顔写真付き。何だ、これは。俺は、何なんだ!
俺という人間は、どんな職にありついたとしても、小さな壁を乗り越えることができず、当然のように途中で投げ出すようにできているのか。また、毎回自らそんなことしておいて、一丁前に、何故いつも自分はそうなのかという、真面目な問いに支配される。その問いのせいで、無駄な空白の時間を作り出し、また空白を埋める「履歴書とかいう名の紙」を追い求めることになるのに。あー。そうやって、真剣になって脳に負荷をかけ続けていると、また、つい眉間に力が入っていく。前頭葉に萎縮を覚え、これらの問いにいっこうに答えを導きだすことのできない自分自身に、やり場のない苛立ちを感じる。どうして良いかわからない。今日も我が道の見えぬまま、真夏の空の下でだらだらと生かされている。あ、唯一の味方だった、南西から吹く風がピタリと止まった。
俺「暑いっ! クソっ!」
口に出すつもりはなかったが、吐くように声が出た。小さな公園内には人が居なかったが、なぜか視線を感じ、小さくなってしまう。腹いせに、空を睨みつけた。…俺が鬼の形相で睨みつけるも、平然と動いているこの世界は、これでもかと言うほどに鬱陶しい。
そうか、死のう。
このような時、ありきたりのことしか思い付かない自分は、実は無邪気な子供なのではないかとふと思って、衝動は収まる。邪気も無い、そして全く可愛くもない子供の俺は、大人にいつも、「お前なんてそんなもんだ」と鼻をへし折られるのだ。だが、今日の俺はムーブを変える。これまで出会ったすべての人、気に入らない奴らにも、それぞれ思いを込めたメッセージを書き残し、死後の世界の平和を静かに祈って、なんらかの方法で穏やかに最期を迎える「オワコンなりのムーブ」を行う。この方が大人としての意地が感じられ、人生としての見栄えが良かろう。俺はこの世からおさらばしたとしてもなお、人様のめ目線を気にする絶世の小心者だ。
しかし、それで成仏できるだろうか?死んだら魂って浄化されるの?そしたら善人も悪人も関係ないのかな?あっ、死神っているのかな?一応、神だよな?もしかして全知全能?人を救ったりする?死って漢字付くけど、ホントはいい奴なんじゃない?俺、いろいろ考えてるだけで、どうせまだ死なないし、生きることに未練たらたらだけど……道に迷い、行き場が見つからず、死に向かって確実に歩んでいる未来だってある気もするのだ。現実がもっと追い込んで、追い込まれて、本当になす術がなくなったら俺のとこにも来る感じなのかな?いや、
俺「もう、あー死神さんよ、ちょっと早めに迎えに来てもらってもいいですよ!来て、見て、話すだけ。お金ないけど。お待ちしてますよ!」
???「おーい。もしもーし。おにーさーん。何怖い顔してぶつぶつ言ってるんだ? イケメンゴリラ顔が台無しだぞ。」
俺「そうかもなー。でも……俺はお金より、あなたのことを信じてますよー!」
???「は?」
ん?何だ!職質か?警察!?
ふと我に返ると、ぎょろっとした目。ロン毛にパーマ頭を後ろで束ね、白のタンクトップに黒地の布を身に纏う、中肉中背の中性的な男が、俺の顔を覗き込んでいた。年齢は多分、同じくらいかちょい上か。
俺「うわっ、何だよ、警察かと思った……びっくりさせんな! 誰お前!?」
男はニヤリと笑った。のっそりと立ち上がると、背負った黒いメッセンジャーバッグから紙を取り出し、筒状に丸めた。そしてそれを口元に当て、
???「えー、平和で安全な公園にて、超不審人物発見。ブランコに乗っている、只今テンションマックスなこの男。こいつは、即捕獲した方が良さそうです。やらかす前に、イチイチゼロっ!」
俺「え?」
この声に、一瞬にして辺りの平然な空気はどこかに消え去った。公園内は誰もいないが、道路の通行人がチラチラこっちを見ているぞ。いつの間にか、今度は俺が世界の人たちから睨みつけられる!
俺「おい!やめろバカ、突然大きな声を出すな!」
ついてない、相当ヤバいのに絡まれたな。どうする?とりあえずここを離れないといけない。逃げろ、考えるのはあと!
???「あのー。ちょっといい? 冗談なんで。冗談。通じないの? 頭固いんだな。さてはお前、モテないだろ。顔怖い上にノリも悪い。あー可哀想。それに、あいつら通行人なんて見てるだけで、何もしてこないぜ。何でかっていうと、お前のファンでも監督でもないから。そんなにビビらなくて良くない?」
こ、こいつ……!!
平和で安全な公園で起きた、突拍子もないクソ事件。明らかな相手の人間としてのモラル的なルール違反あり。強引に巻き込まれてしまい、我を忘れ取り乱してしまった。どうする。感情に身を委ね、猛烈な怒りを爆発させ雄叫びを上げるか。それが思わしくないなら、考えつく限りの屁理屈を駆使し、煙を巻き起こすか。……どんどんメラメラが……。策を練るだけで燃え尽きてきた俺は、野次馬にも見捨てられかねない。
???「なぁお前、話聞いてる? さっきから上の空じゃん。何か降って来たか?」
俺「そ、空? あぁ?」
俺は力の無い返事をすると共に、何となく空を見上げた。そして、少しだけ目を閉じた。すると俺の気持ちは高ぶるどころか、急激に静まり返っていくのであった。
−−体の感覚に従って、ゆっくり目を開けてくだしゃーい!
了解。
覚醒した負け犬は、野次馬の蹴り技をかわし、リングに戻ったのだ。これ以上、ルールも守れないやつに揺さぶられない。屈しない。こんなやつの術中にはまってたまるか。公園は誰もいない。外の通行人も日常を取り戻している。
俺「あのー。俺もちょっといい? 初対面だろ、待てって。お前のコミュ力どうなってるの? あっ、外国育ちとか? フランク過ぎるぞ、悪い意味で。絶対普通じゃないよな。お前こそ超不審人物だよ。あんまり俺を侮辱するとマジで通報するぞ。」
???「お、早速俺の影響を受けて、通報ネタパクったな。やっぱカリスマだわ。やれやれ。俺はな、知らない奴に話しかけて、クソみたいに無視されるの慣れてるんだ。そうやって人間観察するのが趣味なんだよ。意外と楽しいぞ。お前は俺を無視しなかった、というかできなかったな。ナイスリアクションだったぞ。ところでお前さっき、空に向かって独り言みたいなの言ってなかった? 何かあったのか?」
俺「えっ?」
何かあったというか、いつも通り我が道を問うが答えが出ず、挫けそうになりふと死が頭をよぎるも。実行に移すには衝動が弱く収まり、大人も子供も一緒になって遊んでしまい。小心者の最期についての妄想を膨らませていると、たぶん全知全能、救いの神である、死神さんに迎えにきてもらえるんじゃないか、とか。早く来てーとか思っ……あっ!
俺「し、死神さん、お前、死神さんだよな! 仕事はえー。さすが神!」
???「え? 死神さん?」
おっとタメ語はまずい。一応こいつ、いやこのお方は神様だもんな。
俺「お待ちしておりました死神様。この世界へようこそ。さ、ご案内致します。」
???「じょ、情緒っ! おい、コラ、何だいきなり! 敬語とかやめろよ。」
俺「先程まで、色々と誤解をしておりました。私の不徳の致す所でございます。大変申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。どうかこの私をお許しください。」
???「分かったから、その気持ち悪い敬語をやめろ! やめないと、今すぐあの世行きだ!」
俺「ちょっ、わっ、分かりました、やめますって! 気性荒いっすよ、死神さん!」
???「普通に喋れ。愚か者が。しかし、よく気付いたな。気付かれないように人間の姿で現れたんだが。まさかこんなにも早く見破られるとは。お前はなかなかの観察力を持っているようだな……よし。人間の名は吉川勉だ。ツトムと呼べ。お前も名前を教えろ。」
俺「あー、仮の姿ってやつね。気を使ってもらってありがとね。ツトムか。分かったよ。俺は水前寺マジュ男。マジュって呼んでくれたらいいよ。」
ツトム「マジュか。オッケー、じゃー行きますか。」
マジュ「えっ、行くって、どこ行くの?」
ツトム「考えるのはあと。 着いてこいよ。」
マジュ「お、おう。」
まぁいいや。どういう訳か俺は今、正に神に導かれているのだ。
夏空に反旗を翻す。身体は軽い。暑さが気分を高揚させる。導く者があれば、俺はまだ歩くことをやめない。