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ロジハラの弔い合戦を親ガチャに期待するの話
今やもう3年半前のツイート、ここからロジハラの歴史は始まった。
正論ばかりの人を「ロジハラ(ロジカルハラスメント)」と呼んでます。
— ふじきぶちょー (@choku_nyu) March 12, 2018
仕事グイグイ進めるには童話「北風と太陽」での北風のように押し付けるのでなく太陽のようにマイルドに迫る、という考えなんでしょうが全然マイルドじゃない...
肝要なのは物事がすすむ"適論(場にあった適切さ)"だと思うんです。
別にこのツイ主が発明した言葉でもないらしいけど、このツイートきっかけでロジハラという言葉が広まった。
広まった後の反応はみなさんもご存じのとおりで、
批判一色。
「こんなことまでハラスメントにされちゃ何もできない」
「正論を言ってはいけないってどういうこと?」
「感情ばかりが優先されてしまう」
ってな感じ。
当時はまだ定義自体も曖昧だったが、この3年半世間で揉まれた結果、現在ロジハラは以下のように定義される。
「ロジハラ」とは「ロジカルハラスメント」の略称で、正論を振りかざして、相手を追い詰める行為を意味します。
正論をただ言っただけでロジハラになるわけではなく、他者の気持ちを配慮せずに正論を押し付けて、相手に必要以上のストレスを与えることで、はじめてロジハラになります。
(ビズアルより引用)
https://bizual.jp/%E5%B0%B1%E6%B4%BB%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%A6/294/
ロジカルであることは問題ではなく相手の気持ちや事情を考慮せず、またTPOもわきまえず、正論を押しつけるのがロジハラの本質である。
そんなロジハラの弔い合戦を親ガチャがするってどいうこと?
その疑問に答えるためにはまずロジハラの潜在可能性が潰されたことについて説明しなければならない。
まさしく俺が本記事を執筆しようとした動機はこの潜在可能性を風呂入っている時に思いついたからである。
「こりゃあ名アイデアじゃわい!さっそくNOTEに書いてやるべ!!」とさっきまで意気揚々としていたが、ググってみてもうすでに指摘している人がいることを今知った。
その方というのがこちらに引用したKakkn.Yさんです。
引用記事後半の「私の回答」部において、俺がでかい面して開陳したかった「新発見」が見事に言い表されております。
やられたというくやしさ。
無人島だと思ったら仲間がいた嬉しさ。
ふたつ我にあり。
そんなことはさておき。
俺が言いたかったことを引用記事より抜粋します。
「自分は『正論』を言っている」という前提そのものがおかしいことがあるということに、「何がロジハラじゃ笑。そんなんじゃ、議論できんわ!笑」みたいに言っている人って気づいているのだろうか?
言論の場では、必ずしも論が真に近いかどうかで勝負が決まるのではなく、言語運用能力の高低や立場の強弱、声のデカさで決まることが往々にしてある。
実は『正論』を述べている人の言葉が、言語運用能力の高い人の詭弁や威圧的な物言いにより、制圧されてしまうことが往々にしてある。
......(中略)......あなたがいくら賢くてもすべての話題に対して、正しい判断ができるということは基本的にはないので、もう少し謙虚になっていただきたい。(強調はKakkn.Yさんによる)
そういうことです。
俺の言うロジハラのポテンシャルとはそういうことです。
ロジハラするような傲慢な人間に自分の思考が不完全で誤りのあるものだということ気づかせることができたはず。
大学でも神社仏閣でも裁判所でもない残余(ロジハラ人間がよく使う言い方をすると社会)で暮らしている以上、俺たちの誰も正論何て言えやしない。
だって判断する基準がないからね。
いかに社会人だと理知的に見せたところで、社会でなされるコミュニケーションは結局のところ口喧嘩である。
この点においてKakkn.Yさんは議論・コミュニケーションを「互いに歩み寄る過程」とみなしており、俺とは異なる。
社会のみなさんを一段階謙虚にすることができたロジハラは、残念なことに潰されてしまいました。
潰したのはロジハラをする人です。
まさしくその高い言語運用能力と威圧的な物言いでロジハラをねじ伏せ、自己の振る舞いを見直すこともしませんでした。
ロジハラは相手に配慮しようという道徳目標を提示するにとどまり、道半ばで斃れることとなりました。
大体ロジハラをする人なんて、ツーブロックゴリラのフィジカルエリートか、教師とか大企業の管理職とか役人とかの下の人間と触れ合うばかりでつけあがったアスペ気味のサイコパスしかいないんだし、もとから話が通じる見込みは絶望的でした(偏見)。
あいつら息吐くようにセクハラ・パワハラしてそうだし(偏見)。
知らないこと・わからないことはこの世にたくさんあるので、完璧な論理などは誰も持ちえない。だから、相手の論理を尊重し自分の論理も高めていこう。
なんて。
やつらは自分の至らぬ点を省みるそれだけのことができませんでした。
なので親ガチャには頑張ってほしい。
あいつらの使う傲慢な嘘を消し去ってほしい。
「貧乏な家に生まれたからこそ僕は努力できた」
「親のありがたみがわからないのね」
「人生には色んなガチャがある。どのガチャに外れても生きられる社会を」
こんな注意して聞かないと反論しづらい美辞麗句をひとつ残らず消し去って、現実と向き合わざるを得なくしてほしい。
裕福な家に生まれたうえで努力してたらもっと成功してただろ!
親がいて子。子がいて親。親だけがありがたいなんて儒教みたいなこと言ってんじゃねえ!
主語をでかくして目くらまししてんじゃねえ!
阿Qの精神的勝利よろしく、やつらは現実を思考により都合よく捻じ曲げ現状に甘んじる。
「生まれた親が外れだった」
ただそれだけ。
「日本が実は身分社会でした~」なんて主語のでかい話はどうでもいい。
若者に広がる諦めなんてのもどうでもいい。
現実を素直に記述する。
それができれば傲慢さも消えて、ちったあロジカルにものが考えられるんじゃねえの。
じゃあな。