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シルバー・バーチ『霊訓』

 私は死後の世界にずっと興味があるので、その手の本はいろいろ読んできた。
 モーゼス『霊訓』、キュブラー・ロス『死ぬ瞬間 死とその過程について』、レイモンド・ムーディ『かいまみた死後の世界』、立花隆『臨死体験』、エベン・アレグザンダー『プルーフ・オブ・ヘヴン』など、書名を並べていったら際限がないのでやめるが、出発点となったのは、水木しげるや丹波哲郎の本だった。

 私は死後の世界がある方がよい、楽しいと思っているので、死後の世界があるという証明を求めて、さまざまな本を読んだ。
 しかし、証明はある程度まではできるが、完璧にはできないのだ。結局、いま見ることのできない世界であることは変わらないので、理屈で「ある」「ない」をいくら考えても、あることを疑う方が簡単だ。
 ええい、まだるっこしい、直接行ってみようじゃないか、で行ければよいが、そういうわけにはいかない。あるかないかは、結句、死ななければわからないのだ。

 平成六年に、近藤千雄『心霊科学本格入門』が発刊された時、すぐに買って読んだ。近藤はシルバー・バーチの『霊訓』を絶賛していた。ぜひ読んでみたいと思ったが、全十二巻(本編十一巻と抜粋集一巻)と大部の本である。一万円を超えてしまうのはつらい。結局、読まなかった。
 図書館にあったらすぐに読んだだろうが、どこにもなかったのである(いまもない)。図書館にはあまりこの手の本は置いていないのだ。うさん臭い本という扱いなのだろうが、怪しい霊能者の本は平気で置いているところをみると、こういったジャンルの本を峻別できる図書館員があまりいないのだろう。

 それはそうと、『霊訓』がネット上で無料で読めることを最近知ったので、三十年を経て、やっと読むことができた。とても良い本だと思ったので、まさにペーパーバックという感じの私家版に近い簡易装幀の本も購入した(ひとしなみにうさん臭い本という扱いで、こうした本が大出版社から出ないのは残念だ。すこぶる付きのうさん臭い本は山ほど出しているのに)。

 この本でいろいろな疑問が氷解した。「愛」が霊界の軸になっているという話は、ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』に重なった。「愛」といっても、もちろんいろいろな愛があるが、その愛こそが霊界の基本なのだ。
 
 本というものは、読む者が自分なりに感じ取り、理解したいことを理解するものだから、誰もが『霊訓』を読んで同じ結論に至ることはないだろう。死んでみないと分からない世界について書かれた本が、一様に受け止められるはずはない。

 私が読んでいて感じたのは、死後の世界はあってほしいと思った人にはあるし、あってほしくないと思う人にはない、それでいいではないか、ということだった(※『霊訓』にそんなことは書いていない。ただし事実上、死後の世界がない人もいるという記述はある)。

 どのみち、他人と話し合ったところで、意見が合わない者とは永久に合わない。
 多少はすり合わせれば、合ってくることもあるが、全部合うわけではない。人には好みもあり、感情もあり、経験もあり、知識もあるが、それらはすべて一様ではない。
 私は人と理解しあうことほど困難なことはないと思っているので(人間が想像以上に頑固なものだ、ということもこの本から学んだ)、死後の世界について侃々諤々の論争をすることなどに興味はない。
 あったらいいなあ、と思っている人だけ読むとよいと思う。そうでない人が読めば、豚に真珠である。

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