【言葉通り1丁目1番地】 魂の殺人
大阪地検のトップだったら罪に問われないという時代錯誤が罷り通る世の中を終わらせるには、どうすればよいのか。
被害者の苦難はこれまでも、そしてこれからも続くというのに、加害者は刑期を終えれば、しかも大抵は量刑より早く出所することが当然のように許されている。
強姦、強制性交はある意味殺人より罪は重い。
同じ目に被告の妻が、娘が遭った時にお前が誘ったのだからとか、合意したお前にも責任があるとか、たった一回なんだから交通事故に遭ったと思って忘れろなどと言えるのか。いや言うのだろう、鬼畜なら。
鬼畜は地位や身分など無関係だ。ただ欲望を自制出来ない下等な生き物というだけである。そして下等な生き物は自己保身に走り、社会的にそれが許されてきた。なぜなら法を司る立場も、法を作る立場も、法を執行する立場も、全て下等な生き物たちが実権を握っているからだ。
そう、つまりは人間のオスども権力に固執し、組織に君臨し、社会を支配し続ける限り、魂の殺人は軽微な罰で済まされるだろう。今もこれから先も。
私自身、生物学的にはオスである。だが、下等レベルには堕ちたくないし、堕ちないよう強く意識して、生きてきた。ただ身近に下等なオスが一定数存在することを容認してきた。これは痛恨の極みである。私の妻は若い頃この卑劣な犯罪に遭遇した経験を持っている。そのPTSDに今も苦しんでいる。30余年も前の記憶が未だに悪夢として蘇るという。その都度自分は生きる価値がない人間だという思いに至る。妻は自分を取り戻すためにも、仕事に打ち込んだ。その道では知る人ぞ知る存在となった。後輩からも厚い信頼を得ている事を私もいろいろな場面で実感している。だが職場の人間たちの一定数から、それも男女関係なく、女のくせにと妬み、女だからと不当な評価しか下さなかった。下衆なオスとそれに擦り寄るメスたちだった。
妻は過去の傷に加え、さまざまなハラスメントのせいで仕事が続けられなくなった。自身の存在を肯定する拠り所を失ってしまった。
いま妻は処方薬がなければ生きていけない身である。社会復帰することも諦めざるを得ない現実を何とか受け入れて、今日を懸命に生きている。新たな生きがいを見つけられる日が来るよう、今は私が支えなければならない。猫の手も借りながら。