「”本当の笑顔”であふれる社会に」ウィルドアを通じて、僕が創りたい未来と3つのアイデア
竹田の一番根っこにある原体験
「人はどうすれば笑顔になるの?」
もし小学生にこんな質問をされたら、皆さんはどう答えますか?
この問いは、僕自身が小学生の時に抱いた問いでした。
僕は小学生低学年の頃「にこにこぴー大賞」という名誉なのか不名誉なのかわからない賞をもらうくらいには「笑顔」が多い子どもでした(もしかすると意外と思われる人もいるかも?)
しかし、親の転勤の都合で転校して以来、僕はあまり心から笑えなくなりました。
「何か変な表情したらいじられるんじゃないか」「楽しそうにしないと、仲間に入れてもらえないんじゃないか」
ちょっとした文化の違いや、流行っている遊びの違い、そして思春期特有の周囲の目を意識し始め、素の感情を出すのが怖くなったからです。
そんな中、僕は冒頭の問いと出会いました。
それは、夏休みに「ポケモンフェスタ」というポケモンカード大会に参加した時のこと。
その時のことは今でもはっきりと覚えています。ずっと転校後に抱えていたモヤモヤがさり、すごく自分の気持ちに素直になれて、そして心から楽しくて笑顔になっていて。知らない人に勇気を出して話しかけてカード交換したり、バトルしたり・・・そこにいる子どもたちはみんな笑顔で、楽しそうで。
「こんな風にみんなが笑顔でいられる場所がいい。僕も子どもを笑顔にする仕事がしたい」
自分も子どもなのに「子どもを笑顔に」という言葉を紡いでいたのは自分の中でも変な感じはしつつ、そんな夢に向けて人の笑顔について考えるようになりました。
そしてさらにその後の生活の中で、小学校・中学校・高校と「笑顔でない」人の存在に敏感で、勝手に心を痛めているような出来事が重なっていきました。先生が生徒に暴言はかれて辛い顔をしている時、いじめられていたり、その場に馴染めず息を殺すように教室にいるクラスメイト・・・みんな話せばすごくいい人で、いいところもあるのに、なんでこんなに「笑顔」でいられない環境があるんだろうと。
人は幸せな時、笑顔になる。そして笑顔は伝播し、いつか世界平和にもつながる。
でもいろんな要因で笑顔になれない人達がいる。どうすれば、人は笑顔になるんだろう・・・
探究の結果、たどり着いた問い
この問いに出会ってから約15年間。少しづつ自分なりの仮説を立てて、色々なことをしてきました。
中学生になると生徒会長に立候補した際に、笑顔=HAPPYだと考え、僕がふやしたい笑顔とは、作り笑い・愛想笑いのような心から笑っていないものではなく、幸せを感じている”本当の笑顔”だと考えるようになりました。(そのときには「Happyの3条件」と称して、笑顔になるには友情、あいさつ、美化が大事なのでは?と考えそのための生徒会活動を展開していました)
高校生の時には、神奈川ハイスクール議会というイベントに参加し、「高校生の課題」は何かというテーマで様々な学校の高校生と議論する中で「高校生には夢がない」という結論に達し、夢こそ笑顔でいられるために必要なのではないかと考えるように。
そしてその想いを持ったまま大学生になってからは、東日本大震災の被災地での出会いや、大学4年間で1000人近くの様々な大人との出会いから考えを深めていきました。
そんな中で気づいたのは「自分なりのワクワクする未来に、自分の意志で向かっていることと感じていること」の重要性でした。
実際は大変だったり、疲れたりしていたとしても、小さくても大きくても心の底からワクワクする自分なりの理想を持ち、そこに向かっている人はすごくキラキラして見えたし、自分の人生に胸張って生きていると人は自然と笑顔になれる。こんな笑顔な人が増えたらもっと楽しいのに。
そうした気づきから、もともと大事だと思っていた「夢」の定義を「それをイメージしただけで自分が無条件でワクワクするような未来のイメージ/出来事」と言語化し、どうすれば、人は夢を持ち、そしてそこに向かうことが出来るのかということをその後ずっと考え続けています。
笑顔であふれる社会を作りたい。
ウィルドアを立ち上げた5年前から、ずっと僕のほしい未来は変わりません。
みんなが、見ていて自分も笑顔になってしまうような、キラキラした笑顔で自分のことを話せている未来。自分が誰かの役に立てていると思えるような居場所を持ち、一人ひとりが大事な誰かを笑顔にできている未来。漠然としたイメージでしかありませんが、僕の頭の中にはそんなイメージがあります。
抽象的な理想イメージを追い求めて15年。
非効率で、うまい仮説検証を重ねられたわけではありませんが、
色々な人にお世話になりながらそのために必要なことは何かを考え続けてきました。
地域への参画を通した様々な価値観との出会いや、
ちやほやされる経験が大事なのではないか?
自分の想いから社会に対して働きかけるような、
自分が主役になれる経験こそ大事なのではないか?
自分と向き合い、内省する機会があれば自分の声に気付けるのではないか。
出会いが大事で、もっとあたりまえに接する大人や大学生といった人との出会いや、様々な機会との出会いが届くようになれば良いのではないか。
正直目指すものが漠然かつ大きいゆえに
なかなか自分の中でも整理がつかず、これで良いのかと1日中何も手がつかず悶々と考え続けるなど苦しんだ時期もありました。
今だって、明確にその問いに答えが出たわけではありません。
でも、5年色々やってみて一つの重要な軸となる要素を見つけました、
それが、「わたしからはじまる学び」をできる環境をつくるということです。
クラウドファンディング挑戦中(7/19まで)
https://camp-fire.jp/projects/view/295893#menu
「”わたし”からはじまる学び」は、人を笑顔にする。
「自分はこう在りたい」「こんな未来がほしい」そんな自分の中にある理想に近づくための学びが出来ている時、きっとその人は笑顔になります。
しかし、日本では学校での学びを得る営みを「勉強」という「無理にでも(=強)努力して励む」という言葉で表すように、学ぶことは無理やりやらされることという意味合いが強く感じます。その背景にあるのは、「学ぶ目的」は常に成績や受験といった外発的なものであるのが当たり前で、そこに「一人ひとりの理想」は重視されずむしろ邪魔なものと扱われもする社会的な仕組みから生まれた雰囲気だと思っています。
この仕組はきっと少し前の時代であればむしろ正しいというか、より多くの人を幸せにするものだったかもしれません。でも、これからの時代はきっと違う。人生100年時代と言われるようにそもそも生きる時間が長くなった上、変化が激しく仕事でも私生活でも100年同じことを続けて生きていける保証は全く無い。またテクノロジーの発展、グローバル化等によりより一人ひとり選択ができる幅が広がって、自分にとっての幸せを追求することも出来るようになったこれからの時代は、僕のイメージする本当の笑顔にみんながなれる社会へと進むすごくチャンスに溢れていると僕は考えています。
その上で、僕は高校生というタイミングに焦点を当て「わたしからはじまる学び」を世の中にもっと増やしたい。僕の中で「わたしからはじまる学び」とは以下のような学びを意味しています。
みんながやっているから ↔ 自分の理想に近づくため
強制的に与えられる ↔ 自分で選択する
既存の場に参加する ↔ 自ら学びの機会を創出する
念の為、言葉にしておきますが、従来の学びのすべてを否定するつもりはありません。
そうした横並びの強制的に与えられる場で得る学びだって、時には重要です。ただし、それがある一人にとっての学びのほぼ全てになっている現状に強い問題意識を持っています。
実際に、これまで様々な取り組みを通してこうした学びをする高校生たちにたくさん出会ってきました。そんな学びを語る彼らの笑顔は本当にキラキラしていて素敵でした。何より、そんな学びを手に入れた彼らは、その先の大学生活/社会人生活も時に迷走しながらもそんな時期も乗り越えながら豊かな人生を作り上げているように思います。
「そんな高校生、意識高い一握りだけでしょ?」
「頭がいい高校生なら出来るかもしれないけど・・・」
「地方には機会がなくて、そんな事できない」
僕の話は理想論に聞こえ、そんな想いを持つ方も多いかもしれません。
しかし、そんなことはないと僕は思っています。もちろん、経済的事情などの家族事情や身体的な事情など、様々な課題を乗り越えないといきなりすべての人がこんな学びの機会を得られるのは難しいかもしれません。
でも、これまで多くの高校生と対面してわかったのは、先生や多くの大人が「何も考えていない」という人でも、何かしら自分なりの理想や興味はあるし、きっかけ/後押しされる環境があれば自ら学び出す可能性は持っているということ。
偏差値や意識の差ではなく、自分の中にある理想に目を向ける機会の有無や、それを誰かに応援してもらえる環境の有無、そうした学び・生き方をする人との出会いの有無などの環境によるところが大きいと僕は考えています。
例えば、マイプロジェクトアワードのプレゼンはその感覚の一部をきっと共有できると思います。例えばこちらを見てみてください。
https://myprojects.jp/project/4134/
ただの偶然ではなく、計画された偶然で”わたし”からはじまる学びを手にすることが出来るように。
しかし、こうした学びを出来ているのはまだまだ一握りで、それも確率低めの偶然を重ねた人だけがそのような環境にいられている感覚がとても強くあります。
だからこそ、僕はそんな偶然の確率をもっともっと高めていきたいと思っています。
そのために必要なのは、より多くのこうした学びの在り方の価値を理解し高校生を応援できる人がもっと増え、そして一歩踏み出す機会をより自然に得られるように機会が広く行き届くことです。
一人ひとり理想も違うし、環境によって必要なサポートも違う。
だからこそ、一見非効率かもしれなくても、目の前の一人ひとりの高校生に向き合いサポートできる人や機会の絶対量は全然足りないと思っています。
そんな課題に向けて僕たちが担う役割は、そうした学びを手にしたロールモデルを増やすこと、そして”わたし”からはじまる学びを応援しようとする人たちをサポートして関わる人の数を増やすことです。
僕らの今の強みは、徹底的に目の前の一人に向き合えること、そしてその可能性を信じられること。そして目的のために団体の枠組みに囚われず、いろいろな人と想いを重ねられること、そして「場の設計」を職人のようにこだわり良き事例をつくることです。
大事なのは役割分担。この5年で改めて自分やこの組織の現状の体制の強みと弱みをようやく理解できてきました。
僕ら自身に「こんな教育が理想」という手段にこだわりがないからこそ、目の前の高校生一人ひとりを見てよりあったらいいなと思えるサポートのカタチを、様々な人・団体と連携することが出来ます。
それこそ、「起業したい!」といった強い意欲を持ちすぎて周りに理解されない子から、自分の意見をもう少し人に話せるようになりたと内向きだけどちょっと変わりたいと願う人まで、幅広い理想に向けての一歩をフラットに扱うことが出来、そのために色の違う団体と連携しながら動いているのは我ながら変わっているのかもなと感じています。
そして、職人のように徹底的に目的を言語化しそのために作り込むことを志向すること。メリット/デメリットある性質ですが、再現可能性やビジネスとして拡がる場という観点ではなく、その目の前の高校生にとって最も価値を得られる場をつくるためのノウハウをこれまで蓄積してきました。その結果を広めたり発信する弱さはこれから改善すべき点ですが、確実にこのノウハウや志向でより多くの良きロールモデルを生み出し、こうした学びの在り方を広げる波紋をつくるところに注力したいと考えています。
社会が動き、教育もどんどんと理想の方向へと動く流れの中で、そんな強みを生かして僕らはより早くそして着実に創りたい未来に向かっていくための機能を果たしていきます。
クラウドファンディングの先に挑みたい3つのアイデア
現在行っているクラウドファンディングは、これまでの5年を振り返り、改めてほしい未来に近づくために次の5年でより挑戦していきたいという意思表明でもあります。
正直、これまでは「目の前のできること」を本気でやってきた5年間でした。
実際、事業計画をしっかりと書いたことはありません。特に昨年度までは、毎年年度の最初には1年間生き残れる見通しはない中で、気づけばキャッシュフローも回っていたみたいな状態です。
組織を作るのも僕はとても下手で、頼れる相棒の武口始め仲間たちによって少しづつ形になってきていますが、常勤2名で昨年からようやく業務委託であったり、今年は関口というメンバーが週1コミットで共に働けるようになったくらい。まだまだ、非効率で組織としてのパワーを出せていないフリーランスの集まりみたいな部分もあると思っています。
一見いろんなことに挑戦し、様々な力をつけてこれたのは、様々なチャンスをいろいろな方々から頂き、そこに本気で応えてきたから。これまでの5年間走らせていただいたことには感謝してもしきれません。だからこそ、これからはより「理想に向けて出来ること」に挑戦し、今度はチャンスを色んな人に渡せる側になりたいと思っています。
最後に、これからクラファンが成功した先に、挑戦してみたい仮説がいくつか出来てきたのでそれを簡単に紹介させてください。また一緒にこれら取り組む仲間も大募集していますのでもし連携できそうな方、ご一緒できる方いればご連絡ください!
(長々と書くのもあれなので、エレベーターピッチのつもりで思いだけ書きます!)
アイデア①地域全体を、ゲーム会場に!「変わりたい、でも何していいかわらかない」そんな全国のモヤモヤ高校生に、最初の一歩を。
色々な高校生で出会う中で、一番もどかしいのは、
「なにかしたい!」という未知のものへの興味や変化への意欲はあるのに、
特に興味があることがなかったり、やりたいことはないために、
その子に火がつくきっかけを後押しできないこと。
世の中の多くの機会には、何かしらの「テーマ」があります。
国際理解、地域活性、教育、環境・・・、それぞれ関心がある人向けに作られるがゆえに、本当に知識や興味がない人からすると辛いし、そもそも選考に通らなかったりもする。
人はだいたい何かしらの「きっかけ」があって、興味や目的の種を手に入れていくモノ。しかし、それがないために、色々なチャンスを手放してしまっている状態はすごくもったいない。
そこで僕が広めたいのが「ワンダリングチャレンジ」というプログラムです。
簡単に言えば、「3人1組で期間中にどれだけミッションに挑めるか」を競う大会です。
ミッションは、ある論文に基づく「目的意識」を育むために必要な要素が鍛えられるように設計されており、舞台は地域全体になります。
ミッションに挑む中で、地域の人に出会ったり、
仲間と対話を通して自己理解を深めたり、
ミッションを達成し自信をつけていったり・・・
ミッションの挑み方はひとそれぞれ。
一人ひとりが自分の力で学びをつくりだしていく姿は、
毎回本当に感動します。
詳しくは前回のHPや、これまでの参加者の記事を御覧ください。
とてもシンプルで、しかし奥深いこのプログラム。
それぞれの地域で、このプログラムを応用しながら、
より多くの高校生達に届ける仕組みができれば、
このプログラムをきっかけに、自ら自分の学びの機会へと挑戦し始める様々なドラマが日本中にあふれていくと信じています。
アイデア② 横須賀中に、高校生が「教室」をつくる!世代を超えて「探究」する新たな仕組みづくり。
一人ひとりが自分の興味関心・理想に近づく学びは
「地域」とつながる中で獲得していくのではないかと考えています。
きっとこれからは、学校での学びをベースにしながらも
どんどん社会に飛び出して、
高校生が自ら“学んで”いく姿が当たり前になるはず。
もしそうなれば、きっと高校生は高校生同士で学ぶだけが当たり前ではなくなる。
だって、高校生の持つ問いは大人だって答えを探究したいものであることだって多いから。
高校生のために、高校生だから学ぶ、ではなく、
地域にいるみんなでその答えを探究する。
そんな姿が、もっと増えてもいいんじゃないかと思っています。
そこでつくりたいのが、
高校生を起点に、学校を超えて、世代を超えて、探究し合う仕組み。
その名も、ヨコスカラボ作り構想。
一つのイメージは、定期的に企業の空き会議室や事務所に高校生や大学生・社会人が集い、高校生が進行しながらゲストを呼んだり、ワークをしたり・・・そんなみんなでなにかの問いを深めている姿。
放課後や土日は、部活や塾だけでなく、「〇〇会社」に行ってくるわ!」そんな会話が当たり前になっている状態に。
学校も違う、年齢も違う「仲間」を多くの高校生が、興味・問いベースで持っている環境。
実際にその片鱗は、昨年よこすかゆめみらいというイベントで実現されました。上に書いたことは、もう、ただ妄想ではありません。
最初はコロナ禍でオンラインをベースにローカルをつなぐような形でこの妄想をカタチにすることになるかもしれません。
どういう形であれ、高校生一人ひとりが自分の興味関心・理想から様々な仲間と学び合う環境を、横須賀・地域に根ざしてつくりたいと考えています。
アイデア③” わたし”からはじまる学びを後押しできる「つながり」を、どこにいても、誰でも手にできるように。
今回のコロナ禍で持った仮説として、学校という場を失った時、「わたしからはじまる学び」を続ける上でそれを後押しする「つながり」があるかないかは大きな違いを生むのではないかということ。
こんなこと知りたい。
もっとこれを極めたい。
Youtubeとかインターネット上の様々なサービスで、
かなりなんでも学べるようにはなった今の社会。
しかし、たくさんの情報にあふれるからこそ、
その最初の入口となるサービス/後押ししてくれる人に出会えたかはとても大きな差を生むと感じています。
すでに地域や家庭にそういう伴走者とも呼べる人がいる場合は良いのですが、多くの場合、そういうつながりはない。だからこそ、こんなことやってみたいな、と思っても、自分にはできないと諦め、今できると思えることだけに目を向ける。
この状況を、僕はオンラインを活用すれば、ある程度の「意思」さえあればその状況を誰もが突破できる環境を作れるのではないかと考えています。
今は、高校生みらいラボというプロジェクトに参画し、
4月くらいからずっとオンラインで高校生に様々な面白いゲストの授業を届けたり、そこから一人ひとり自分のやりたいことを語り合う場を作り、人に応じてプログラムを紹介したり、一緒にそのテーマを学ぶ場をゲストを呼んで作ったりしています。
ポイントは「やりたいと言葉にすれば、自然と仲間やメンターと出会える場」ということ。
地域活性に興味あるけど、何から始めればいいの?
クラウドファンディングに挑戦したいけど、どうして良いかわからない。
クラスではもしかしたらそんなこと興味がある人は一人しかいないかもしれない、
学校の先生に聞いたってその答えやヒントを出せる先生がいることは稀。
そんなニッチだけど、その子にとってはもっと学びたいテーマも、
オンラインで多くの高校生やつながりある大人がいれば、すぐに仲間やメンターと出会えます。
どうやって仕組み化するのか、継続的なものにするのか。
いろいろな壁はありますが、これが実現すれば本当に地域差はかなり減少するし、
通っている学校、置かれた環境のせいで、その一人ひとりにとって求める学びを諦める必要はなくなる。
いわばみんなが通える「第2の学校」的なコミュニティに、オンラインだからこそできうると感じています。
最後に
前半で書いた通り、僕の軸はこれからもぶれないと自信を持って言えます。
行っていくプロジェクト自体はきっとまだまだ磨く必要がありますし、より本質的に価値を生み出すものに変えていく可能性はありますが、ほしい未来に向かってこれからも突き進みます。
今回のクラウドファンディングは、僕にとってはほしい未来に向かって挑戦を続ける本当に大きな力になります。
具体的には、今年度は上記の妄想を含め今取り組んでいるプロジェクトに関しては今年度は【お金】をそこまで気にせずによりプロジェクトに邁進できます。
また、新たな仲間をより安心して巻き込むことができます。まだ未確定な部分は多いですが、常勤/業務委託合わせて共に実際に体を動かす仲間を増やすつもりでいます。
チームだからこそ生み出せる力がある。
5年後、今回のクラファンを振り返った時、あれがウィルドアが組織としてさらに挑戦を加速させたきっかけだったと言っている。そんな未来が見えます。
残り1日(7月19日まで)。
まだ半分の達成と、焦る気持ちはありますが、
応援して頂ける関係性を一人でも多く増やし次に進めるよう、
声を上げ続けます。
どうか、一緒に、僕の/僕たちのほしい未来に、一緒に進む仲間になっていただけませんか??
ご支援のほどよろしくおねがいします!
https://camp-fire.jp/projects/view/295893#menu