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【あなたに贈る詩】ダークでダメダメで、台風のような詩

SNSで「どんな詩が読みたいですか?」と呼びかけたところ、リクエストをたくさんいただいたので少しずつお答えします!

▼これまでのリクエストはこちらから

「ダークでダメダメな不良の詩」をIDEA R LAB大月ヒロ子さん、「台風のような詩」を大学生の山川真生子(やまかわ・まおこ)ちゃんからリクエストいただきました。

となれば一択、ロートレアモン伯「マルドロールの歌」。これしかありません。



『マルドロールの歌』はフランス人のロートレアモン伯(ペンネームです)が書いた、六つの歌からなる長編詩集です。1ページめくると、まず「ひ弱な魂よ、この前人未到の荒地にこれいじょう奥深く踏み込まぬうちに踵をかえせ、先へ進むな」(心してかからないと)書物の致命的放射能が魂に沁み込む」と脅されます。ひええ。

作者本人による煽りに負けず読み進めましょう。

マルドロールが、幸福に暮らしていた幼き日の数年というもの、どんなに善良だったかを、すんでしまったことだが、ごく簡単にたどってみよう。間もなく彼は、邪悪な生まれつきに気づいた。数奇なる運命!

そして邪悪な性格を押し隠していた"マルドロール"は、「決然と悪の生涯に身を投じ」る。悪行と呪詛と叫びのオンパレード。びっしり300頁にわたって暴風雨が吹き荒れるかのごとし(翻訳者は精魂枯れ果て、病院に運ばれたらしいです…)。

それでも時折、荒波の間から切ない心の叫びが垣間見え、その痛烈な美しさに涙してしまうことがあります。「ぼくに似た魂を地上の隅々まで探し求めたけど、見いだせなかった」こと、人間性の最も美しいものへの嫌悪と拒絶。そして、殺人を犯しながら「ほんとうはこんなに自分は凶悪ではないのだ」と荒ぶる心。あがき苦しみ、心の美しさを激しく拒否しながらも求める、そんな二律背反の嵐を感じます。

ふと、涙してしまうのはそこに少なからず共感できる時代を過ごしたからなのかもしれない。

『マルドロールの歌』は、生への方向性をもった、人間の悲惨と醜怪の認識の書なのだ。そこに、この書物が不朽の生命をもっている理由の一つがある。(訳者・栗田勇氏による後書き)

ロートレアモン(イジドール・デュカス)は早死したため、『マルドロールの歌』含め2作品しか残っていません。中二病をギュッと凝縮したいまだ謎だらけの本ですが、シュルレアリストのバイブルといわれ、「現代フランス詩人でこの歌の奇怪なる詩的風土をさまよわなかったものはいない」(訳者後書きより)とも。

日本の詩人にも影響をおよぼしており、寺山修司は

私は少年時代にロートレアモン伯爵の書を世界で一ばん美しい自叙伝だと思っていた。そして、私版『マルドロールの歌』をいつか書いてみたいと思っていた。(『田園に死す』後書き)

と言っています。寺山修司の長編詩『地獄篇』はマルドロールの歌を意識したと見られますが、これもまた狂気に満ちています。マルドロールが荒れ狂っているのに対し、こちらは静かな恐怖という感じ。

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⬆「ギ」で埋め尽くされた1ページ。

ちなみにわたしの研究対象です。女子大生が持ち歩くにはあまりに表紙がすごいので、ムーミンのブックカバーで隠していました。
(装丁は栗田勇訳の『マルドロールの歌』と同じく、粟津潔氏によるもの)

『マルドロールの歌』の文学的価値はさておいても、ときどき「うわー、今心が荒れ狂ってるわ〜」というとき取り出して適当なページを読むと、「ヤバいなぁ…」と苦笑し、なぜか元気が出てくる。一種の鎮静剤のような役割を果たす本で、引っ越しして本棚に『マルドロールの歌』をおさめたらホッとします。わたしはちなみに、翻訳者ちがいで3冊もっていて(狂気)、栗田勇氏の訳がいちばん好きです(マニアック)。

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ロートレアモンの研究をしている慶応大の先生が、『マルドロールの歌』について「読まないほうがいいです」って書いていて大笑いしつつ同意しました。『地獄篇』も当然、決して万人にはすすめませんが、もしよろしければ、ぜひ、地獄のぞきをしてみてください。

では、ヒロ子さんも、まおちゃんも、元気でまた会いましょう!

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