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【原爆忌】広島や卵食ふ時口ひらく(西東三鬼)

8月6日。

広島原爆投下の日。

毎年、毎年、思い出す句がある。

広島や卵食ふ時口ひらく    西東三鬼(さいとう・さんき)

三鬼(1900-1962)は岡山・津山の俳人で、被爆した広島に寄ったのは昭和21年、原爆から一年後の夏。

自句自解では「未だに嗚咽(おえつ)する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、その大きさだけのくちを開けた」とある。

旅人とは三鬼自身と重なる。わたしも今朝は「うでてつるつるした」ゆで卵を、ひとくちひとくち、塩もつけずに無言で食べた。

原爆の惨状に、旅人は口を重く閉ざす。
それでも、目はそらしていない。
「広島や」と呼びかけ(三鬼は切れ字をあまり使わない特徴があるが、あえて使い)しっかりとフォーカスをあわせる。

「それでもなお」、生きている人間は、生きないといけないのだ。口は「食ふ」ときだけ、少しひらく。生きるために。

生き残ったものは生きないといけない。

これは当たり前に聞こえるかもしれないが、実はぜんぜん自然なことではない。

戦争に出た多くの日本兵が長い間「生き残ってしまった」と苦しみ続けた。

88歳(当時)の元日本兵の方について、記事にこうある。

「生き残ってしまった」との思いは消えず、戦友が眠る靖国神社にはなかなか足を運べないという。

この「生き残ってしまった」という罪悪感は「サバイバーズギルト(生還者の罪悪感)Survivor's guilt」と呼ばれる。

統計があるわけではないけれど、戦後詩だけでもこのサバイバーズ・ギルトが創造のエナジーになったケースは相当数あるので、全体でどれだけの数になるか、と思う。

宮崎駿監督の『紅の豚』には、人間だった頃のポルコが、戦死した友人たちや敵の乗った飛行機の群れを幻視するシーンがある。

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『風立ちぬ』のラストシーンにも似たような幻が。

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これらの幻覚も一種のサバイバー症候群だろう。
(この「飛行機の墓場」幻覚は世界中で報告されると聞いたような気がするけど、ソースがとれず。)

「生き残った」、それでも、「生きる」。
そのあいだには、とてつもない隔たりがあり、それを乗り越えるための一人ひとりのもがきがあり、納得するまでのさまざまがあり・・・。

そういう静かだけど烈しい心の働きが「広島や卵食ふ時口ひらく」の一句に凝縮されていると思う。

死者を弔いつつ、生きている人間は生きないといけない。
死者の声にresponseする責任(responsibility)がある。

そんなことを考えながら、今年もまた、卵を食らう。
生きねば。

西東三鬼について
西東三鬼(さいとう・さんき)1900-1962 岡山県生まれ。
歯科医として勤める傍ら、患者からのすすめで30代で俳句をはじめ(患者、ナイス〜!)伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。「水枕ガバリと寒い海がある (『旗』)」など教科書で見た人もいるのでは。こどものときからなんとなく好きで、おとなになってもっと好きになった俳人です。


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