まち歩き×詩のワークショップ「なつのまちをゆけば」/異化と創造的誤謬
こんにちは。詩のソムリエです。産後、約半年ぶりに詩のワークショップを再開しました。まちに「言葉」を集めにいくと、驚きとワクワクが広がっていました!その様子をすこしお伝えします。
みんなで読むと、深まる深まる
今日のテーマは「まちを歩く」。というわけで、八木重吉の「なつのまちを ゆけば」をまず参加者の皆さんと読みました。
「燈はどんな感じ?」「時間帯は?」「どんなくだもののイメージ?」と対話を繰り返していくと、「3行目から視線が変わるね」という気づきへ。
さらに、からだが「あかるみ」は身体が透き通ってしまったような感じがする。夏だからお盆に帰ってきた幽霊かもしれない、という話に。
「燈は、お盆の提灯かもしれない」「なつのまちを『歩けば』ではなくて『ゆけば』を使っているのは幽霊だから?」。ホッとやわらかいのに、切ない感じもするこの詩の読みが深まりました。詩のソムリエからは、八木重吉という人がどういう人生を送ってきたのかについてもすこしお話し。
実際に、「なつのまちをゆけば」?ことば集めにでかけよう
今日のメインテーマは「まちを歩きながらことばを採取し、詩をつくる」こと。住み慣れている町も、よくよく注意してみると、さまざまな言葉が。ふだん目にしている地名やサインも、あらためて眺めてみるとおもしろいものばかり。気になった言葉をスマートフォンで撮影し集めていきます。
参加してくれた方が作ってくれた詩は…
保育園のモットー「あそぶ わらう まなぶ」から、自販機の「マイルドセブン」にあわせ7文字を選び、詩をつくってみた人や…
自動販売機に「ぐんぐんグルト」と「さらさらトマト」が並んでいることに気づき、オノマトペを使ったリズミカルな詩を作ってくれた人。
「この先通り抜けできません」という看板から、7月の風が通り抜けるさわやかな詩を作ってくれた人。
わたしは、「(環境に)やさしいポール」と保育園の「小さな芽を大事に育てます」というスローガンから詩を作りました。
思いがけないことばへの出会い直しから始まる冒険に、わくわくしっぱなしの時間となりました!
「異化」と「創造的誤謬」で、まちの詩情と遊ぶ
今日起こったことを振り返ってみると、「異化」と「創造的誤謬」という二つのキーワードが湧き上がってきました。
「異化」とは、「すでに知っていると思われているものを未知のものに変えて、驚きを生み出すこと」。ロシアの言語学者ヴィクトル・シクロフスキー(Viktor Borisovich Shklovskiy 1893-1984)が提唱し、ドイツの劇作家ブレヒト(Bertolt Brecht 1898-1956)も演劇理論の中で用いた言葉です。私たちが見慣れている常識的な日常を、見たこともないふしぎなものに変えてしまう作用である「異化」は現代美術を観る上でも外せないキーワード。
今日は、実際にそのまちに住んでいる人たちと歩きました。撮影した言葉は、ふだんの生活のなかでいつも「目にはしている」もの。地名や禁止事項など、ただサインとして受け取っているもの。でも、まっさらな瞳で見つめ直したとき、「異化」がおこり、驚きや笑い、インスピレーションをもたらしてくれるものになったようです。
たとえば、「なごみ入り口」は、ふだんは「なごみ」という地域案内センターの近く、というくらいの"サイン"ですが、それをいったん忘れてじっくり見てみると「なごみの入り口」とは、ふわふわのぬいぐるみで囲まれたファンシーな門が浮かんできました。
もう一つは、「創造的誤謬」(誤謬…誤りのこと)。これは、イタリアの詩人・作家ジャンニ・ロダーリが『ファンタジーの文法』のなかで述べたもので、綴りまちがいといった過失が想像力を刺激し、物語が生まれたり新たな展開がはじまったりすること。その説明が美しいので引用。
今回、「環境にやさしいポール」の「環境に」がはがれかけていたり、「正直亭」(旅館の名)を「正直者」に見間違えたり、「あそぶ わらう まなぶ」の縦文字看板を横に読んだりと、あらゆる種類の「誤謬」が起こり、それがファンタジーの旅行のはじまりとなりました。
さらに、参加者同士のシェアで、思わぬ掛け合わせやアイディアが生まれていました。
楽しい「まち歩き」×詩、またいろんなまちでやってみたいなぁ。今年はいろんな詩的実験を重ねていきたいと思います。「うちのまちでやって!」というお声も大歓迎です!お気軽にお問い合わせください。