自分の中にポエジーがあるということが、人を自由にする。<PSJ2018ファイナリスト・鏡花>
ポエトリースラムジャパン(PSJ)2018年東京大会Bに初出場し、その声の響きや佇まいの優美さで一気に注目を集めた鏡花さん。実は声優・沢口千恵としてテレビや映画の第一線で活躍される一方、作詞家としての顔もお持ちです。
また写真家・大泉美佳さんとのプロジェクト「言奏幻写」では、言葉とビジュアルによる幻想的な作品を作り出し、さらにその世界をライブでも展開。多方面に才能を発揮しています。
そんな彼女のルーツを紐解くと、声と言葉への深い愛情があふれ出てきました…。朗読に愛し、愛される鏡花さんのストーリーをご紹介します!
「詩を朗読する特別な感じ」の芽生え
―詩との出会いについて教えていただけますか?
鏡花:初めて詩が特別になったのは小学校か幼稚園くらいの時、貸本屋の店主さんから中原中也の詩集をもらって。全然わからなかったんですけど、これはすごく大切なものに違いないと。
小学2、3年の授業で詩の音読をしたとき、クラスの男の子たちが騒いだことがありました。「あいつの顔見てみろよー!」って。私がその世界に完全に入っていたから(笑)。もともと本がすごく好きで、音読していました。なかでも詩を朗読する特別な感じっていうのは、代え難いものがあって。
小学校で歌詞のコンペもあったんですが、その時はうまく書けなかったんです。「こんなに書けないはずはない」「見えている世界があるのに、言葉に置き代わらない」というジレンマを感じて。小5の終わりか小6くらいから、自分で詩を書き始めたんですよね。
その頃、ポエトリーリーディングが女優さんたちの間で少し流行っていました。小川範子さんのミニアルバムに、川村真澄さん作詞のポエトリーリーディングが2曲入っていて。よく聴いていたんですけど、「音としゃべるタイミングがずれてる!」とか「このメロディにはこの音で読みたい」っていうのがあって。自分だったらどう読むかな…みたいな。それで音楽に合わせて自分も読むようになりました。
―早い! すでにポエトリーリーディングに目覚めていますね。
鏡花:インストの曲を借りてカセットテープで流して、もう一つのカセットで朗読を録ってました(笑)。
中一くらいからは、女の子4人で詩の交換日記をしていましたね。小さいメモ帳に、なぜかみんな詩を書いて、どんどん回してそれを読む。ほかの人の詩を読むのはすごく楽しみでした。批評するわけではなく、こんなこと感じてるんだ、とか。ほんと心の切れ端。
交換日記も好きで、いろんな人と交換日記していました。それほど仲良くない子とも(笑)。手紙が好きだったので、雑誌のペンパル(文通友達)募集から、文通もしていましたね。会ったこともない人と。
―書くことが好きだったんですか? それともやりとりが?
鏡花:やりとり…すべて。読むのも好きだし、書くのも好きだし。
で、そのうち戯曲に没頭していくんですけど、演技したいというのも「セリフを読みたい」なんですよ。中二くらいから演劇を習って、高校卒業してからは、杉村春子さんとお仕事されていた小林豊さんという演出家について、基礎から教え直してもらいました。
中学までは放送部だったんですけど、高校の時には、私が授業で朗読してたら、放送部の先生がドアをガラッと開けて「放送部に入ってくれ!」って。それでコンクールの時だけ、たまに参加していました。
自分の詩も誰かの言葉も隔たりなく、読むのが好き
鏡花:演劇をやったあと、みんなに「声の仕事の方が向いてるんじゃないか」と言われて。調べたら声優っていうのはアナウンスもナレーションもできるし、芝居もできる。それでソニーのオーディションを受けて、声の仕事をはじめました。
そうしたら『Boys Be…』というアニメの原作の先生から、ポエトリーリーディングのCDを作りたいっていう話をいただいて。三姉妹の役を、富沢美智恵さん、桑島法子さんと私の3人で。ほかのレコード会社でも、ポエトリーCDシリーズの話があって。私が朗読好きなので、たぶん生き生きしていたと思うんですけど(笑)。いろんな声優さんが出る企画のなか、私だけレギュラーみたいに何作か読ませていただいて。時にスタジオで、時に屋外で。
―外でのレコーディングっていいですね!
鏡花:すごく楽しかった! 風の音をどれくらいリアルにするかとか、試行錯誤して。テレビでも、ひめゆり部隊の手記を読む仕事をいただいたりしました。私の中で、自分の詩を読むのと、誰かが書いてくださった言葉を読むのに隔たりが全くなくて。両方すごく好き、どっちかというと人のものを読むのが好きなんです、まだ、たぶん。
―なるほど! 声優や芝居を経て、ポエトリーリーディングに至った感覚ですか?
鏡花:最近は一緒ですけどね。もともと声に出すのが好きというところから始まって、戯曲になりセリフになり、アナウンスになり、書くのも同時並行して。20年くらい前に組んだバンドがきっかけで作詞を始めたんですが、それと同時に詩も書いて。心にあるモノローグのような言葉…それを詩としていただけるなら詩だし、詩じゃないと言われれば詩じゃない、みたいなものをずっと書いて。声優仲間の声をイメージして書いた作品を、声優雑誌で連載させてもらったりしました。自分のステージでも発表するし、人に読んでいただくこともあるというのを、物心ついたときから、同じようなリズムでやってきていますね。20年以上、淡々と…。
「戦いなのに戦いじゃない」世界
―PSJエントリーのきっかけはなんでしたか?
鏡花:もともと詩のボクシングは知っていました。ただ、私にとって言葉は戦うものじゃないというのがどうしてもあって、ちょっと違う世界だなと思っていたんです。でも私も20年間、こういう活動をしている人に出会うことがなくて。同じようにものを書いて読む人に出会いたい。どういう方たちがどういう作品を、どういう場所で発表していらっしゃるか、すごく興味を持って。かなりの恐怖感を抱きつつ(笑)、もう戻れないところに自分を置いてみようと急に思って、エントリーしてみました。
―そして挑んだ東京大会、いかがでした?
鏡花:全く新しい世界で、何を読んでいいかもわからなかったですね。制限時間3分と聞いていたから、20秒くらいかなと思っていたら、みなさん3分ギリギリ朗読される姿を見て「え、どうしよう」と思って。会場を抜け出して、実は近くのカフェに行って全部書き直したんです(笑)
―そうなんですね!
鏡花:だから、殴り書きだったんです実は。ステージで読みながらも、前の方がこういうこと読んでいるってなったら、途中で違う詩、違う行を入れ込んだりしていました。
―その場で詩が生まれていたんですね! それもスラムの醍醐味かもしれませんね。そして、そこで勝ち上がって…。
鏡花:びっくりでしたけど、すごく情熱的な流れの中でやらせていただいたのが、ラッキーハプニングだったと思います。演劇や音楽をやってきたので、流れがあるものだと、その中で自分が何を表現できるか、チーム戦を考えるんですよ。前の人がこういうこと読んで次の人がこういうことをやってという流れ、そこで私はどういう表現をしようかな、と集中しやすい。
―あの日の大会自体が、一つの舞台みたいな感じですね。
鏡花:なんか、その場のグルーブがあったというか。「勝つ」とかじゃなくて、その中の役割として、私がここに立たせていただいている偶然。どんな言葉で私が生きることが許されるのかな、みたいな。あとから読んだら、本当に詩としては全然成立していないと思うんですよ。あの場所、あの空気だからこそできたもの。実際、何をどう組み合わせたかもう思い出せない(笑)
―その一回性というのは、全ての舞台表現に共通するかもしれませんね。
鏡花:そういう意味では、思った以上に、戦いなのに戦いじゃないというのも知って。ああ、こういう世界もあったのか。詩って、その人の心の言葉にならないものが詩だから、その人が自分に向き合ったときにそこに詩が生まれていいんだっていう、ものがすごく自由になった気がします。「あなたの書いてるのは詩じゃないよね」と言われることもすごく多かったし、私が書いているのを詩だと言えなかったんですよ。
「言葉にならない言葉に耳を傾ける」を、もっと身近に
―ご自身はどんな詩がお好きですか?
鏡花:私は昭和の詩人がすごく好きで…石垣りんさんや新川和江さん、立原道造さん。文字が震えている感じというか、一文字読むごとに情景が広がって、芳醇さがあって、一文字読むのが惜しいという読み方をずっとしてきて。自分はそれに至らない、そこまで一文字に向き合えていないから、自分の書くものを詩と言えたことが実は一度もなくて。ホームページに載せているものも、詩のような言葉とか、言葉の羅列としか言えない。ただポエトリースラムに出て、みなさんの作品を見たときに、え、こんなのまぎれもなく全て詩じゃないかって思う部分があって。そこで私の中でガラガラガラッて崩れるものがあって、自由になれたんです。
―そんな風に大会を受け止めていただいて、とても嬉しいです。全国大会はいかがでした?
鏡花:やっぱりフランスに行きたいという思いが、すごくあったんです。日本語を母語として持っていて、この風土で育っている中での、日本の神話みたいなものとか、日本の詩がこういう声や語感や響きを持っていることを、海外の方に伝えたいというのがずっとあって。
声優やナレーションの仕事をしていると、共通語とか基本アクセントをすごく叩き込まれるわけです。日本人の普段の言葉も、海外の方が聞くと「モールス信号みたいだね」って言われる。でも私は、それは戦後に奪われたものと思っているんです。地域の言葉のほうがもっとメロディアスなんですよね。でも標準語の中でも、選ぶ言葉によっては音色がつけやすかったりする。日本語の音階みたいなものを、表現したいというのがすごくあります。いまやっている「言奏幻写」の活動も、韓国や中国まで含めての古代オリエントというイメージがすごく強くて、そこから発信できるものを表現したくて。
全国大会でほかの方を見て、もっとダイレクトに肉体感のある言葉とか、生い立ちを曝け出すようなものを作っていった方がいいのかなとも思ったんですけど、最終的に「なんか異質だけど、こういう人もいるんだ」でいいやと思って。今回読んだのは詩じゃなくて、今回の言奏幻写LIVEのパンフレットのあとがきの文章。「いま私が詩に対して、現代に対して思っていることはこれだから」って。意外に攻めてるんですよ(笑)。
―攻めてますね!(笑)
鏡花:これが私だと思って。あと、私は女ですけど、男性の中にも女性がいると思っているんですね。誰の中にもある女の部分に語りかけたいというのもあったりして。何が正しかったか分からないですけど、すごくのびのびと挑戦はさせていただいて。なんか、いまは自分を肯定しようと。年齢的にもお姉さんチームですし、生きてきたそのままで淡々と、いま一番自分に近い言葉を話すのがいいのかなって思って。また一人一人の戦いでしたから、あれは。東京の大会とは違って、一つ一つの宝石でしたから。
―今後やりたいことはありますか?
鏡花:やっぱり私は詩がとにかく好きだし、救われてきたんです、詩に。詩であったり、言葉のあわいにあるもの、言葉にならない言葉に耳を傾けるっていうのを、もっと身近にしたいっていうのがずっとあって。詩って恥ずかしいものでも難しいものでもないし、誰の胸の中にもあるっていうことを、もっとカジュアルに楽しんでもらいたいという思いから、25年前からこういうことを始めているので。だから、より身近にお届けできる詩の表現方法をこれからも模索して生きたいし、自分の中にこんなにポエジーがあるっていうことが、人を解放するというか、自由になれるんじゃないかという。
プラス、自分たちのこの体と文化と受け継いできた言葉の中で、自由な発想で、できるものをありのまま表現していきたいっていうのは変わらず、今後も挑戦していきたいと思います。なので、フランスには行きたいです! 自腹でも(笑)。
【プロフィール】
鏡花(きょうか)/沢口千恵(さわぐちちえ)
幼少期から言葉の体感を意識しポエトリーリーディングに目覚めたのは9歳。以後、役者として、声優・ナレーターとして、作詞家として、コンサートの演出家として声のある言葉を生業とする。ひとのいる言葉、たましいの震える声につねに惹かれてやまない。 2019年10月4日から9日まで新宿眼科画廊にて初の個展を開催。 生と死を動機として、生きるための言葉を模索する。
【取材・原稿 村田活彦】