Yoko Komatsu
「neumond」
それはいつか見た夕日のような
背中越しで囁いた風のような
温かな夜に映った三日月のような
なんか幸せだなって思わず笑った家の中のような
布団の中に包まって明日を待ち望むような
あの時の瞬間は美しくて切なくて言葉にできなくて
そんな心の風景のようで
自分は一生このシーンを忘れないんだろうなと予感する映画のような
言葉にならない心象風景がピアノによって映し出されていく気がして
ああそうかあの一瞬は本当にかけがえのないものだったのだと思い出す
それを思い出と呼んでも青春と呼んでも
宝物でも宝石でも永遠でも、言い方はなんでも
ただただ、その日々が眩しくも色褪せずに今こうして生きている私の
呼吸へとたどり着いたことが 奇跡のようで
すべてその一瞬は 決して無駄ではなかったのだ
たった数曲数分の積み重ねの旋律が
蘇った記憶を人生を肯定してくれるようで
このCDに出会えてよかった
映画の人生の何か風景のサウンドトラック
いつまでも吹き続ける風のような
美しい奏でがどうかいつまでもそこで
祈りだけが残るような
どうしてか
泣いてしまいそうになる
「cosui」
――まるで、降りしきる雨の中で、
その、霧の中で、見つけた、歌みたいな。
雨。でも冷たくはない。
独り。でも優しい時間。
揺れるような(光のような)雨の中へ
月が見守るような散歩道
歩くたびに浮かび上がる景色が白昼夢
暗闇は無音に似ている、けれどもそれもまた柔らかな夢みたいで
先へと歩いているのか、底へと沈んでいるのか、微睡みのような時の中を
雨の終わりは、そう。歌の終わり。
――ああ、なんて切ない。
甘くも、ほんのりと寂し気な湖に映った雲の揺らめき
でも、悲しくはない。
いつかの、彼方の、遠くの思い出のような、
愛しい日々の名残のような、失われたはずの、
けれども、こんなにも心の奥で月に映った湖のように揺れる
美しい、時間だったことを、思い出させてくれた
束の間の48分と、10秒の。残響。
「あえか」
素晴らしい音楽体験だった。
音楽だけで世界が変わるというと言い過ぎかもしれないけれど
音が心に映し出す風景は何か空気感というか、雰囲気を変えてくれる。
音楽というフィルターで世界が違って見えるというか。
こういう音楽は
例えばBOOM BOOM SATELLITESだったり、HOMECOMINGSだったり、SIGUR ROSだったり、思い浮かぶバンドがあるんだけど、
そういう感じ。
それは小説的で、映画的で、どことなく映像的だ。
現実とオーバーラップして世界の見え方感じ方、在り方が何か変わる気がする
音楽の前では日常の雑多な音が全て背景になるし、それも含めて全体で鳴るような不思議な気もするし
きれいだなって思わず見上げた空とか
一日が名残惜しくてついつい見てしまう夕陽とか
いくらでもおしゃべりできそうな親しい人と過ごす時間とか
ふと寂しいな、とか思いながら歩いているいつも通りの道端とか
わざわざ足を止めて見つけた花を摘んで選んだ花瓶とか器になりそうなものとかそういうものに差して置いた場所でほのかに漂う香りと置く前とちょっと変わった何か「感じ」にも似ているような
選び抜いた一音の連なりの背景が、どことなくすぎゆくものが消えてしまわないように、写真家が撮り集めた、画家が何時間でも描いて思い出にしたような、そんな音たちが、美しさの中で優しく煌めている。
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