note21 2024年も終わりますね①
早いもので、今年も終わりですね。つい「早いもので」と始めてしまいましたが、これは、どうしようもない実感としてありますね。年々、時間が過ぎるのが早くなっています。
夏の頃の回にも書きましたが、体調を崩してしまうことが増えてから、それがメンタルの不安定さにもつながっているので、どうしても日々の過ごし方に敏感になってしまいます。気温が上がってきたり、下がってきたりするだけで、体調がおかしくなるので、1年という時間の捉え方が数年前とはちがいます。いかに自分を安定させて仕事ができるかが、天気や気温に関係しています。慎重になっているというか……臆病になっていると言った方が良いかもしれません。そんな感じで日々を過ごすのは、しんどいけれど、「仕方がないのかな」と考えるようにもなったのも今年でした。
そんな自分も新幹線に乗り、東京に行く、ということを今年も何度かやってみました。飛行機とちがって、「具合が悪くなったら降りればいい」と思えるところがやっぱり大きいですね。チケットを取って、実際に乗るまではとてもナーバスになってしまいますが、これができないと「どこにも行けなくなってしまう」と自分に言い聞かせて、なんとかやってみました。
5月に行った時は小沢健二のライブを観るのが目的でした。その前に、東京に行ったのも昨年の10月、小沢健二の講義とライブを聴きに行った時でした。その講義とライブがとても素晴らしく、感動したので、「次も行きたい」と思ったのです。この「次も行きたい」というのが、いまのぼくにはなかなか難しいのです。だからこそ、そう思えた自分を大事にしたいと思い、チケットも無事に当たったので、行ってきました。そして、やっぱり、ライブは素晴らしいものでした。
昨年の講義の時にも感じた、小沢健二のヒリヒリした「なにか」。それが今回のライブでも感じられたのが、良かったです。バンドのメンバーや、スタッフ、会場に集まったファンを信頼して、たくさんの愛を与えてくれているようで、小沢健二から強く「ひとり」を感じてしまう。そんな瞬間が訪れると、そのライブはぼくの中で特別なものになります。
小沢健二のすごさは、いまさら言うまでもないことですが、ずっと追いかけてきて、ずっと気にしてきて、「あっ、やっぱり」と思えた時の小沢健二はとてもすごいのです。で、それがなんなのかをよく考えます。それは決してわからない、正解のないものだと思うのですが、ヒントになりそうなのは、彼が「いなかった時間」にとても惹かれているということです。
「いなかった」のだから、作品のリリースに興奮して、テレビや雑誌などでいつも目にしていた時とはちがって、手掛かりが少ないということなのですが、そんな時の小沢健二を考えることが、ぼくは好きなようです。
今年のライブは、春がブギーバックから30年、夏は『LIFE』から30年ということで、アニバーサリー的なものでもあったと思います。夏のライブは行けなかったけれど、5月のライブでもスチャダラパーが来て、とても盛り上がりました。と同時に、その「いなかった時間」も感じられたライブだったのです。
『LIFE』期の曲はたしかに盛り上がり、「ぶぎ・ばく・べいびー」も最高でした。「ある光」をじっくり聴きたかったけれど、みんなのホイッスルであまり聴こえず、ちょっと苦笑いしてしまいました。そして、本編が終わり、アンコール。そこで本編でもやった新曲を立て続けに弾き語りで再演した時に、ぼくはあの「いなかった」時を思ったのです。小沢健二の声も、ギターもとても強く、やさしく、孤独に思えたのです。
あと、昨年の10月は渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)。今回はNHKホール。仙台から東京へ向かうぼくにとっては、そのふたつの会場で観られたのも、うれしかったです。渋谷で観るオザケン。さいこー。
『LIFE』から30年ということですが、今年繰り返し聴いたのは、『犬は吠えるがキャラバンは進む』『dogs』、そして、その、リマスター版でした。