周りとわたし、わたしと社会、音楽とわたし
text : akira
学生と言われていた頃のわたしは、人と仲良くすることがかなり苦手で学校に行くことは苦痛でした。
どちらかといえば家で母の買ってくれたニュートン(科学雑誌)を読んでいる時間の方が好きでした。
読んできた文章とか得た知識はだいぶ抜けてしまい、人と仲良くすることが苦手、ということを残しながら時間だけ過ぎました。
周りとわたしは、かなり違うもので周りはみんな”普通”だと思っていました。わたしの受けた教育がクラスの同級生と違うものだったとも思わないし、友達がいなかったわけでもない。ただ、なんだかできないことがありそうな、それは何か、わからない。と、ぐるぐると回らせては空になり、疲れてしまう。
これは今でもあります。
わたしと社会、社会というものはか小さくも大きくもある。家族、という社会もあります。
わたしにとって、家族はとても大きな社会で息が詰まり、それでいてなんだか落ち着けない。
なので、自分の居場所ってどこなのかなと探し回っていました。ここにわたしの入る隙間あるのかな、この人たちにハマれるのだろうか、と、
本業のイラストレーターとしてもそんな考えでいました。隙間の位置に入ること、ハマること、気に入ってもらうことが何より大切なことか。
今でもこれは大切なことではあります。
イラストレーターと言い張り始め10年経ちました。言い張っているだけなのですが、キリのいい数字に乗せられています。
何か特別なことをしようとかはないのですが、ありがたさを感じています。
イラストレーターと言い張る少し前くらいに楽しく音楽を聴けるようになりました。ポピュラーな音楽(?と自分が思う音楽)が好きなようです。
心地よい音の中に何かしら自分を組み込まれていくことで、そしてそれが自分にとっていいな、と思い繰り返し聴く。
繰り返し聴いてみるとまた知らないことが見つかるような感覚がイラストレーションを描くことと同じような何かがあるなと思いました。
例えば、雑誌の中にわたしの挿絵を入れられるようにスペースを作ってもらうこと、または描いたイラストレーションをそこに配置してもらうこと、
自分で個展をするために描く作品としてのイラストレーションも、これらは隙間にハマっていくことではなくて、
無理に自分で探さなくてもちゃんと席を用意してもらうことで、
それが常に繰り返しているものが社会なのかもしれないです。
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社会の中での音楽って何だろう?といことを探していうようなものではないです。
それは、共有を求めているわけではないからです。
でも、これによる会話はしたい。
わたしの社会の中で自分の席を探す旅のようなものです。
社会の中の自分の席を見つけた感覚は、靴屋さんで自分にぴったりなサイズや形、デザインのものが見つかった感覚と近いものです。
はっと見つかるわけではないし、誰かがあなたの席を用意するために費やすものがたくさんあったわけでもない。けれども、偶然そこにぴったり丁度いいようなゆっくり感じて、
誰もがそれを無意識に受け入れていくものだとわたしは思うのです。
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