意味はなくてもいいじゃない。楽しいんだから。
彩り豊かな季節だから紅葉を見に出かけた。カサカサに乾いた枯れ葉のじゅうたんの上を歩くのは気持ちいい。サクサクのクリスピーチョコを食べているのと同じくらい。緑、黄、赤の3色がはいった一枚の葉っぱをみつけた。色の移り変わりで老いへ至る過程を見せているような葉っぱを拾ったとたん、落ち葉拾いという遊びのスイッチがオンになった。もう一枚、もう一枚、拾う、その繰り返し。手のひらに葉っぱが増えていく。どんどん楽しくなってくる。この前やった海岸での貝殻拾いと同じだ。
子供の頃によくやったどんぐりだの石ころだのを拾って集めるのって、調べてみたら男の子がよくやることだって。狩りの時の戦利品みたいな感覚で、拾って集めるっていう本能が残っているらしい。
遊びって子供の発達に必要不可欠だという。夢中で遊んだ落ち葉拾いや貝殻拾いはいつからやらなくなったんだっけ?
「こんなものを集めてなんの意味があるのだろう」とか「こんなことをする時間がもったいない、他の有意義なことをしよう」とか自然に思うようになったのかな?
何ゆえ落ち葉を拾うのであろうか、
この収穫物をいかように使おうか、
そんな小難しいことは頭にはない。ただ単に、膨大な数の落ち葉の中から選りすぐりを見つけて拾う。今、夢中になっているのはそんなたわいもないこと。だけど、雑念、不安や恐れなどが一切ない、とてもピュアで清らかな状態のようにも思える。
案の定、家に帰って落ち葉たちを見たら、拾っていた時のワクワク感を全く感じなかった。きれいなものを拾ったはずなのに、色あせてカサカサの老いた葉っぱにしか見えなかった。
あの時は楽しかったこと。
あの時はきれいだったもの。
もう時が移り変わったから「あの時」は追わない。今は、「今、楽しい」と思えることをやろうっと。
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