アメリカンビューティー

私の好きな映画だ。「美」とは?と聞かれたら、どう定義するだろうか。なんだか芸術家しか使わなそうな高尚な趣のあるワードだ。ただ、私のような凡人も「美しい」なんて思うことがある。レア・セドゥやミシェルウィリアムズとかを見たとき、リルケの詩を読んだとき、他にだってたくさんある。美術館に赴いて、格式高い展示物をお目にかからずとも、高級ブランドのジュエリー店に足を運ばなくとも、それは世の至る所に散在している。最低限度の生活にでさえ、それは十分に感じられるのだとこの映画は教えてくれる。この映画の登場人物が鳥の死骸をビデオカメラにおさめながら、「美しい」と言うシーンがある。素敵だ。映画を仕上げるのは解釈、という私の考えを前提にものを言わせていただくと、このシーンの私の解釈はこうだ。亡骸、即ち魂がぬけた肉体。その肉体を目前にして、魂の存在、見えないものが確かにあるという実感を鮮烈に味わう。宿っていたものの喪失が、宿っていたという事実を証明するということ、物質的なものの圧倒的な実在に対置する非物質的なものの存在。それには御業と見紛うほどの神秘性があると、それに対し「美しい」と言っているのだと解釈した。鳥の死骸を前にして、鳥の魂を見ているのだ。

目に見えないものは美しい。私はそう思う。