かもさん、あなたは一体、どんな人なんですか?【浅生鴨さんにインタビュー 本編】
そんなわけで、わたしはしょっぱなから圧倒されていた。
目の前に実体をともなってあらわれた、浅生鴨さん、その人に。
どこの馬の骨ともわからないあやしい一般人を前に、当然のように立ち上がり、わざわざサングラスをずらして目を見せ、お辞儀をしてくださった、そのふるまいに。
……そもそもこのカフェに足を運ぶまで、いったい浅生鴨さんというのはどういう方なのだろう、と思いをめぐらせ、もんもんとし続けてきたのだ。
だって『どこでもない場所』を読めば読むほど、わからなかった。
歯医者に行ったときのような日常の出来事を書いているかと思えば、めったに遭遇しないトラブルに陥った極限状態を描いた話もある。初めてひきわり納豆を食べたときのエピソードにのほほんと油断していると、人生を語る真剣な想いがふと出てきたりして、ハッと居住まいを正すことになる。
twitterのイメージではゆるいゆるいと言われたり、時にしたたかな面をのぞかせたりしつつも、ふとした文面から感じるのは自分への厳しさ、他人への優しさ。そのどれもが“かもさんらしい”ようで、結局どれも違う気もする。
事前に公開されていた書店員さんからのお便りでは、「失礼ですけど、面倒臭い人ですね」などと書かれていたから、どれどれどんな面倒くさい人なのか読んでやろうと軽い気持ちで読みはじめたはずが、笑い、味わい、ときに考えさせられ、最後のエッセイでは感動して泣きそうになっていた。
いったい浅生鴨さんという方は、ほんとうはどんな方なのか。わからない、わからない。読み終えてもなお、どこにも着地することなく、混沌とした空気のなかをふわふわとさまよっているようだった。
……今思えばかもさんの目論見に、まんまとハマったのかもしれない。
* * *
そんなもんもんとした思いを抱えたまま、福岡のカフェの片隅で始まった、ある日のインタビュー。
“浅生鴨さんとは、いったいぜんたい、どんな人なのか”。
もしこれを読んでくださっているあなたが、同じようにもんもんとした思いを抱えているのなら、これからお届けするインタビューのようすはそれを紐解くヒントのひとつ、くらいにはなるかもしれない。
※ちなみに本記事は、こちらの記事の続編です。お時間ありましたら、ぜひこちらから。
さあさあそれでは、インタビューのはじまり、はじまり。
あ、先に言っておくと、とっても長いです。
急いでいるときに読むとイライラしてしまうことになるかと思いますので、どうかくれぐれも、お時間のあるときに。
コーヒー片手に、のんびりとどうぞ。
※通常インタビュー原稿は読みやすさを重視して再構成したり、文字数を削ったりしてもっと「整え」るものかと思いますが、今回は悩んだ末、「とりつくろってもしかたない!」をモットーに、現場のリアルな空気感をお伝えしたいと思い、あえて「時系列」かつ「分割しない」でお届けしています。
読みづらいところもあるかと思いますが、たどたどしく質問をはじめた緊張ガチガチのインタビュアーぽこねんが、かもさんのふところの広さに安心したのか徐々にずうずうしくなり、途中からなぜかかもさんのおすすめ料理レシピを聞いたり、最終的には勝手な人生相談?をくりひろげることになる変遷もあわせて、どうぞお楽しみください。
<もくじ>
■ パリに行こうと思ったら、オランダにいた
■ 線を引かない。向こう側とこっち側を、わけない
■ 本とレゴ以外のおもちゃはなかった、子ども時代
■ 自分のとったメモを見ても、全然意味がわからない
■ かもさんのおばあさま直伝、お料理レシピ
■ 砂糖と塩は、両方あるからいいんだ
■ とにかく、役に立たないものを目指して
■ 迷えるって、ラッキーかも
■ 長いよ!エピローグ 〜インタビューを終えて思うこと
■ パリに行こうと思ったら、オランダにいた
ぽ:ええと、では直近のことから伺っていきたいのですが。今は熊本までの車旅の道中ですよね。そもそも、車で熊本まで行こうと思ったのはどうしてでしょう?
鴨さん(以下、敬称略):3月に、車で気仙沼まで行ったんですよ。この人も一緒だったんですけど(隣にいるほぼ日の永田さんを指しながら)。 それで車旅、おもしろいなと思って。 ただ、それだけ。はっはっはっ。
ぽ:車旅の、どのあたりがおもしろかったですか。
鴨:いろんなところを通るから、ふだん見ていないものが目に入るなと思って。飛行機や電車だとまったく目に入らないものが、見えるのがおもしろいなあと。あとは、熊本でも震災があったじゃないですか。だからそこに行きたいなと前から思っていて。で、気仙沼には車で行ったから、熊本も車で行かないと平等じゃないなと思って。
永田さん(以下、敬称略):そうなの(笑)? 平等ってなに。
ぽ:熊本の次は(先日地震があった)北海道にも行こう、とツイートされていましたね。
鴨:そう。北海道はちょっと、車で行くのは大変なので、向こうで車借りるのかもしれないですけど。だからね、(今回の車旅に)そんなに深い理由はないんですよ。
ぽ:ちなみに今回、旅している車というのは、エッセイに登場していた「オープンカー」ですか?
“「今日はどういうご相談でしょうか」従業員の男性が柔らかな笑顔で迎えてくれた。
「これください」僕はそう言って、オープンカーを指さす。
「え?」従業員はびっくりしたように僕を見つめた。目が泳いでいる。”
(左右社『どこでもない場所』2018 /「形から入りたい」p.108 より)
鴨:そう、そのオープンカーです。今は4日目なんだけど、もう日焼けが……こんなふうになっちゃって(くっきりとした時計の日焼け跡を見せてくれる)。昨日はちょっとすごい豪雨だったので、屋根しめましたけど。
ぽ:これまでの道中、何か印象的な出来事ってありましたか?
鴨:あの……。カーナビは偉大だなと思いました。
永田:持ってなかったんだもんねえ。
ぽ:(twitterを見ていたら)かなり直前に買いに行かれていましたよね。
鴨:ええ。カーナビはわりと、言うこと聞けば便利だなと。……あとは「こういう本を探してます」って言ったら、「うちにあります」っていう書店があって、そこに買いにいったりとか。
そういう、予定にはなく飛び込んでくるような出来事がいくつかあって、それはおもしろかったかな。でも、そんなにないかも。……僕ね、ほんとうにインタビュー受けるの下手なんですよ。
ぽ:いやいや、わたしの聞き方が悪いですよね。 すみません……。
永田:どっちも上手にやってますよ。その調子で(笑)
(ぽ:うわあああ。かもさんにも永田さんにも、上質な優しさでフォローいただいてしまっている……。いたたまれない!)
ぽ:すいません本当に。ではちょっとテーマを広げて、旅について。エッセイの冒頭に 「僕には主体性がない」と書かれていますよね。でもいろいろなエピソードを拝見していたらかもさん、かなり旅慣れていらっしゃる気がして。とくに一人旅って、主体性がないとできないように思うのですが……。
鴨:うーん、なんだろう。初めてひとりで海外に行ったときも、パリに住んでいるひとに「ちょっと相談事があるからおいで」って言われて。で、行くんですけど、何をしくじったのか最初、オランダに行っちゃって。
永田:ハッハッハッハッハッ(笑)。
ぽ:ええええ、そこ間違えます?!
鴨:どうも、安い切符を買ってオランダへ行って、オランダで買うともっと安くなるというのを試そうとして、失敗して。アムステルダムに数日泊まるはめになった。もちろん、パリにいる人からは「なんで来ないんだ」とかすごく言われて。
永田:フッフッフッフッフッ(笑)。
鴨:……みたいなところからスタートしてるので。もう最初から、自分で行きたくて行ってないんですよね。
ぽ:……成り行きで。
鴨:成り行きです。
永田:これは珍しく成り行きじゃないね? 今回の熊本旅は。
鴨:そう。でもどこの書店行くとかは、出版社が全部決めてくれているので。そうじゃないとたぶん、段取れない。
■ 線を引かない。向こう側とこっち側を、わけない
ぽ:今回、どうしてプロアマ問わずという形でインタビューを受けようと思われたんですか?わたしも、その恩恵をうけてこの場があるわけですが。
永田:うん。どうして?
鴨:……たぶん、やりたい人いるんじゃないかな、っていう。で、そういう人がやってくれると、新聞や雑誌じゃないところに届くなと思って。その人の友達とか、親とか。届く範囲はすごく小さいかもしれないんですけど、でもその方が「ちゃんと届く」気がしたんですよね。なんか、消費されずに終わるような気がして。
それに、「こんな本を書いた人に取材したんだよ」って、その本を何冊か買って配るだろうなとか、そういうヨコシマな考えもあり(笑)。そんな感じですかね。
ぽ:『どこでもない場所』の中の「困った人」っていうエッセイに「質疑応答も疲れる」みたいな話があったので、大丈夫かな私、インタビューってそんまんま質疑応答だし疲れさせてしまうんじゃ、と思って、ちょっと心配してきたんですけど。
永田:ハハハハ。でもあれは、聞かれた質問には「真面目に答える」って言うことも書いてあったよね。
“「それじゃあ、そこの、田辺さん」
「はい、えーっと、一番好きな食べ物は何ですか?」
「ありません」
まさかの質問にまさかの答えである。いくらなんでもそんな答えでは田辺さんに失礼だ。”
(左右社『どこでもない場所』2018 /「困った人」p.83 より)
鴨:そうそう、すごく真面目に答えてますよ!
永田: ……でも俺も、好きな食べ物って聞かれたら、ああ、考えるなって。
鴨:考えますよね。
<ここから永田さんは離席され、かもさんとふたりのトークに。>
ぽ:この「プロアマ問わずインタビュー」の話もそうなんですが、個人的にはかもさん、「一般人との距離のとり方」がすごく絶妙だなと勝手ながら思っていて。@NHK_PR時代に話題になった“ゆるいツイート”も、今のアカウントも、そういうコミュニケーションのとり方が、すごく……。
鴨:だって僕、一般人だから(笑)! 一般人どうし、普通にやりとりしてるだけ。うん。
ぽ:著名になられてもその感覚をお持ちなのがすごいというか。そうはいっても、例えばこういう、大手媒体でもなければインフルエンサーでもない私みたいな個人が、何冊も本を出版している方に直接インタビューするとか、そんな機会って世の中的にはまだまだ珍しいと思うんです。だからそのあたりのフラットな感覚というのはどうやって身につけてこられたものなのか、伺ってみたくて。
鴨:うーん……。もしかしたら、僕は職を転々としたこともあるし、友達が本当に、国会議員をやっている人からヤクザの下っ端みたいな人まで、いろんな人が知り合いにいるからなのかも。区別していない。それに、いろんな国をぐるぐる回っているから、国境って概念もないし。
前にスペインへ行って、ライブハウスにすごく上手なギタリストがいて。この人すごいミュージシャンだな、と思って仲良くなったのよ。で、ウチ来ない?と言われて、「遊びに行く〜!」ってついて行った。
そしたらその人の家はレモン農家で、普段はずっとレモンを栽培していて、ライブの時だけギターを弾く、みたいなライフスタイルだった。 どっちが本業かって聞いたら、別に「どっちも本業」っていうんですよね。
なんか結局、そうやって物事に線をあまりひかないので。それこそボーダーラインの向こう側とこっち側をわけないんだと思うんですよね。
ぽ:確かに。線を引かない。
鴨:うん。
ぽ:今回の新刊のテーマでもある“どこでもない”というか、浮遊感みたいなものはそういうところから来ているのかもしれないですね。
鴨:そうですね。
ぽ:これ、これ、これ、という明確な区別がなく。
鴨:ぜんぶモヤッと、いっしょ……みたいな。あの、コーヒーに入れたクリームの濃いところと薄いところくらいの差なんだと思うんですよ(目の前の、ホイップクリームを入れたコーヒーを見ながら)。ここからクリーム!みたいなのってないじゃないですか。なんとなく混ざり合って。
ぽ:ですね。……もはやこの質問はちょっとトンチンカンかもしれないと思いつつ伺うんですけど、今回の『どこでもない場所』の出版前後も、かもさんのツイートを軸に、ファンを巻き込んで「迷子」とか「迷いが楽しい」みたいなムードができていたなと思っていて(twitterの#どこでもない場所を参照)。
単なるいちフォロワーとしても、ああうまいなあ!と思いつつ、“販促の一環”とわかっていても自らその流れにのりたくなってしまって、そんなムード作りって本当にすごいと思ってしまうんです。そのムード作りには、意識していることってありますか?
鴨:たぶん、無意識のうちに意識していると思うんですよね。明確にプランを立てているわけじゃないですけど、自然にそうしようとしているのはあって。それはたぶん、僕には居場所がないってずっと思い続けてるから。今、自分がいる場所を居心地よくしようとする癖があるんですよ。
どこへ行っても“お前は仲間じゃないよ”って言われている感覚がずっとあるから、逆に、どこに行っても「そこにいる人たちを仲間にしたい」っていう。だから自然にそういうあざとさが身についてるんだと思うんですよね。
ぽ:今いるところを居心地良くしたい、というのは納得です。そこから自然と出てくる言葉たちなんですかね……。
鴨:わざわざマーケター的に考えて「こういうことを言ったらこういう反応があるだろう」みたいなことはあんまり、深くは意識していないはず。単にみんなと楽しくしたいってだけですね。
ぽ:その感じがまた、“みんな”に伝わってるんだろうなあという気もします。変にプランニングして、という感じがまったくないというか。
鴨:もう、今からかっこつけてもしょうがないし、 もう「ダメ」なのはバレてるわけじゃないですか。だからそこで気取ってもしょうがないなぁって。
(ぽ:まさに、今インタビューに挑んでいるわたしの心境がそれです……)
■ 本とレゴ以外のおもちゃはなかった、子ども時代
ぽ:わたし、今自分が1歳の子を育児中ということもあり、人が育つ環境に興味がありまして。今のかもさんにいたる生い立ちというか、どんな幼少期を過ごしたかを伺ってみたいです。
鴨:僕、父親は僕が子供のころに出て行っちゃったので、父親っていうものをほとんど知らないんですよ。だから、マッチョな感覚があまりないんです。男とは!みたいな。そのあたりは全然わからなくて。うちの母も「男の子だからこうしなさい」みたいなことは言ったことがない。だからジェンダー的には、すごくフラットな感覚なんだと思うんです、同世代の男性に比べると。
あとは僕、おもちゃをほとんど与えられなくて。もう本当に、本とレゴだけだったんですよね。
『キンダーブック』っていう、イソップ、グリム、アンデルセンのお話がだいたい5話くらい入っている大型の絵本があって。で、それが 全18巻だったかな、1年半の間、毎月家に届くんです。届いたその本を、その次の1冊が届くまで何度も何度もとにかく読んで。もう表紙は剥がれるは、ページは破れるは、ボロボロになったときに次の一冊が届いて、っていう。
あとはレゴ。レゴって正解がないから、自分で恐竜だと思えばもうそれは恐竜なので。お手本を見て何かやるとか、正解を探るとかっていうことをほとんどやったことがないんですよ。
かたや本を読んで、空想して面白いなあと思って、かたやレゴでは正解のないものを空想して自分の中でこれが正解って決める。だいたいそんな感じだった気がするんですよね。
もしかして、親に聞いたら「いっぱい買ってあげたじゃない!」とか言われるかもしれないですけど、まったく覚えていないので(笑)。僕の記憶に残っているのはそんな感じです。
ぽ:それが小学校入学前くらいですか。
鴨:そうですね。
ぽ: 小学校時代は、習い事などしていましたか?
鴨:うーん、どうだったかな。ちょっとだけ近所の人にピアノを教えてもらったのと、あとはサッカー教室みたいなのにもちょっと入って。でもなんかあんまりそういうのは合わないなと思って、やめちゃって。
ぽ:どういうことをするのが好きでしたか?
鴨:もうそのころも本当に、本を読んでいた。 本さえ読めれば幸せで。
ぽ:エッセイのなかにも、本をたくさん読んでいて褒められたというエピソードがありましたね。
“「うん。君はよく読んでいますね。すばらしい」先生はそう言って僕を座らせた。
同級生たちは不思議そうな顔をしていた。落ちこぼれのクラスメートが教科書にも参考書にも載っていない質問に答えたのだ。しかも先生に褒められている。”
(左右社『どこでもない場所』2018/「ひと言の呪縛」p.139)
鴨:ええ。 家にテレビもなかったので。 ときどきあったんですけど。
ぽ:……ときどき、あった?
鴨:ときどき、思い出したようにテレビが現れて。 しばらくするとなくなって、ていう。
ぽ:どこかに閉まっていた、ってことですかね?
鴨:閉まってたのかなあ。まあだから、テレビに対する興味がずっとなかったんですよ。それで28歳くらい、結婚するときに妻から「いやテレビはいるでしょ」って言われて、じゃあ、と秋葉原にテレビを買いに行って。
それでもう、夢中ですよ。「わぁ!テレビおもしろい」と思って。 もう、猿のようにテレビ見続けてましたから。 それで30歳過ぎてNHKに入るんだから、もうめちゃくちゃですよね、やってることが。
ぽ:見ていなかったからよけい、バネみたいに反動で弾けた感じがあったんですかね。
鴨:もちろん子どものときも、友達の家でドリフを見たとか、体験としてはあるんです。でもたとえば歌番組とかはほとんど見たことがなくて。同世代の人が知っていることをほとんど知らないんですよ。あのドラマこうだったよねとか、おニャン子クラブがデビューしたときこうだったよね、とか言われても、まったくわからなくて。だからそういう、ある種カルチャーをノスタルジックに語られても何も響かないんですよね。
ぽ:中高生時代は……。あ、高校時代はラグビー部だったんですよね。
鴨:まあラグビー部も、「入るな」って言われたから入っちゃったっていう……雑な入り方してるから。やりたくて入ったわけじゃないので、本当に辛くて、最初。
“「君たちは、何よりも勉強に力を入れて欲しい。部活をやるなとは言わないが、野球部やラグビー部のようなところには入らないように。ああいうところに入ると勉強が疎かになる」
それを聞いた僕は、それまでラグビーなど見たことも聞いたこともなかったのに、その日のうちにラグビー部を訪ね、そのまま入部を決めたのだった。”
(左右社『どこでもない場所』2018/「ひきわり納豆」p.55)
ぽ:でもやってみたら、のめり込んだタイプでしたか?
鴨:ラグビーって、もちろん体はすごく使うんですけど、体よりも頭を使うスポーツで。そこがおもしろかったんですよね。瞬間、瞬間の判断がものすごくゲームを分けていくので。ああこれはおもしろいなと思って。
■ 自分のとったメモを見ても、全然意味がわからない
ぽ:新刊『どこでもない場所』というエッセイ集についても伺っていきたいのですが。今回、「迷う」をテーマにした背景というのは?
鴨:いやもう、出版社から言われたから……(笑)。ほんとうに、あの、なさけない答えなんですけど。最初に出版社の担当 Mさんから、エッセイ書けって言われて、嫌だって断って、2ヵ月くらい放置して。でもなんか、書かなきゃいけなくなっちゃって。それで最初に2つくらい書いて。
もともと、編集のMさんは、“役に立たないで生きている人の話”みたいなイメージをしていたらしいんですけど。
実際いくつか書いてみて、それを自分で俯瞰したときに、ああこれは結局、迷い続けている話だなあ、と思って。Mさんに、これ迷ってる話っぽい、って言ったら、「じゃあそれを軸に書きましょう」っていうことになったので。
だから別に「迷う」をテーマにしようって最初に決めたわけじゃなくて、自分のことを書いてみたら、どうもそういう事なのねっていう。結果的に、自分は迷ってるんだっていうことがわかった、っていう。
ぽ:最初に2つ書いたというエッセイというのは、どういうところから引っ張り出してきたんでしょう。自然と出てくるものなんですかね……。
鴨:まあ何か書かなきゃいけないって言うから、何書こうって一生懸命考えて。とにかく自分のことを書くしかないので。じゃあ自分の体験の中から、おもしろかった体験とか、自分でも「これ不思議だな」と思っていることとかを、いくつかばあっと箇条書きにしてみて。その中から思い出せそうなものを書いていたっていう感じなので。
たぶん30個かもうちょっとくらい、書き出していたかな。でも、エッセイも結局本に入りきらなくて、3つぐらい余っちゃった。あんなに書け書け言われたから書いたのに、「すいません入りません」とか言われて(笑)。
ぽ:結構普段からメモはする方ですか? それとも、頭の中に残っている?
鴨:メモはすごくするんですけど、全然関係ないことをメモしていて。おもしろいことが起きても、そのことはメモしていなくて。
たとえば一昨日、大阪の阪急百貨店に行かなきゃいけなくて、場所がわからなかったんです。写真を撮ってtwitterにアップして、「今ここにいます。阪急百貨店はどっちに行けばいいですか」って言ったら、「その写真に写ってる右側の建物が阪急百貨店です」って言われて「これか!」となって。
……っていうできごとがあったときに、僕はそのことをメモには書かなくて、「丸い窓ガラスから外を見たら自分の絵がうつってる」みたいなことを書いているんですよ。
ぽ:え、そのときにですか?!
鴨:そう。だから全然関係ないことを書いていて。
ぽ:それは、なんで書くんですかね。
鴨:なんか自分の中に、「ふっ」てそのイメージが浮かんで。 それをただ書いてるだけで。僕、細かくいろいろメモをとっていると思われているんですけど、全然、何もとってないに等しいんですよ。それを見返してみても、もう全然意味がわからなくて。
ぽ:何かに使うんでしょうか。
鴨:いや、使うわけでもない。でも、ものを考えるときにはずっと、手帳に書いて考えるので。メモというよりは考えごとを、手で考えるっていう感じ……。
で、それを「こっちの紙」とか「こっちのノート」ってバラバラにしないで、もう一冊の手帳に、それこそ美味しいレシピ、自分で新しくこういうの美味しいんじゃないかなって考えたレシピから、宇宙の果てはどうなってるのかな、ってことまで、何もかもそこに書いてあるので。たまにそれを読み返すと、自分はこういうことを考えてたんだなっていうのがわかる。
■ かもさんのおばあさま直伝、お料理レシピ
ぽ:あの、完全に横道にそれるんですけど。 さきほどおっしゃっていた、かもさんの考える美味しいレシピというのが(主婦としては非常に)気になってしまったんですけど。 お料理もされるんですか?
鴨:僕、料理すごくします。
ぽ:おすすめレシピを教えてほしいです。
鴨:これねえ。うちの祖母から僕は習ったんだけど。じゃがいもを千切りにして、千切りというか、スライサーを使って刺身のツマくらいの細さに。その、ほそーくしたじゃがいもを、半日水にさらしてデンプン抜いちゃって、 そのあと乾かして、そこに片栗粉をばあっと振って。それを、ひとくち大に切った鶏のもも肉のまわりに。
ぽ:衣みたいに。
鴨:そう。するとね、ミノムシみたいになるんですよ。鶏がまんなかに入ってて、まわりを、藁で包んだように。で、それを揚げるんですよ。
ぽ:美味しそう!
鴨:うん。これはね、醤油で食べても美味しいし、小さい子どもだったらケチャップとかつけても美味しいし。これはけっこう、作ります。とくにお客さんがいっぱい集まるようなときは、もうそれをお皿にどん、と盛っちゃって……っていうのはよくやるかな。
ぽ:いいこと聞きました。でもけっこう、手間かかってますよね?
鴨:すごく手間はかかる。ほんと、2日前くらいから準備しないとできないんですけど。でもだいたいは、冷蔵庫の中にある残り物を使って、それなりのものを作るのが得意料理。
ぽ:すごい、家庭的!(わあ、主婦的な分野ですら気持ちのいいほどの敗北感!)
■ 砂糖と塩は、両方あるからいいんだ
ぽ:『どこでもない場所』というエッセイ集を、こういう人に、こういうときに読んでもらえたらいいなあというのはありますか?
鴨:なんだろう。何かやらなきゃいけないとか、もうこれ以外に自分は道がないって思ったときに……。もしかしたら就活中の学生さんとか、転職を考えている人とか、ちょっと今ここで人生決めなきゃいけないっていうような人がこれを読んだら、「まあ意外に雑でもいいんじゃない」って思えるかもしれない。
でもまあ、だからってその人たちに雑に生きろっていうわけでもないので。まあ「なんとかなるよ」っていうぐらいのことなのかなあ。あんまり明確に、この人にっていうのはなくて。むしろ出版社の担当に言われたから書いたっていうので。本当にあの、それ、僕のダメなところなんですけど。
ぽ:いやいや(笑)。……あの、なんか完全に、個人的な話なんですけど。わたしは、福岡にルーツがあるわけではなくて、数年前にここへ引っ越してきて。自分もまだこの街にちゃんと馴染めていない感覚というか、大通りを一人で歩いていると、あれ、自分どこにいるんだろうとか、ふわっとした浮遊感におちいってしまうことがあって。
なんというか自分の場合は、関東で生きてきた自分と、今の自分で大きな断絶が起きているんです。ライフスタイルも、引っ越す前は独身の記憶で、こちらへ来てからは家庭があって子供がいてっていう。時間の使いかたも、すべてが変わって。それでたまに自分がよくわからなくなると言うか、ポンって浮かんだ感じになっちゃう。
鴨:うん、うん。
(ぽ:かもさん、今日会っただけの、なんでもない自分の人生相談を、深く頷きながら聞いてくれるなんて、優しすぎるやろ……。)
ぽ:そういうときって、寂しいような感じもするときがあって。……っていうのがすごく、まさにあの本の中のエッセイ「どこでもない場所」にリンクするなあと思いながら読んでたんですけど。
鴨:うん、うん。
“子供のころからずっと僕は何かが違う気がしていた。ここではなく、今ではなく、僕は僕ではなく、僕が所属できる場所はどこにもない。あらゆるものから少しずつ距離を置いた場所に、どこでもない場所に自分はいるのだという諦めにも近い奇妙な倦怠感がずっと僕にはつきまとっている。どうやっても僕は現実に直接触れることができない。”
(左右社『どこでもない場所』2018/「どこでもない場所」p.177)
ぽ:あの……、人生の先輩というか、迷子の先輩から、アドバイスってありますか。
鴨:アドバイスぅ〜?!
ぽ:いや、すみません。 なんというか、そういうのとどう付き合っていったらいいのかなあ、と。そりゃあお前、そういうもんなんだよ、なのかなあとは思いつつ。もはやカッコつけても無意味なので、正直にさらけ出してお悩み相談させていただこうと思いまして……。
鴨:いや、でも、何かね。過去の自分とサヨナラをしてしまったような、寂しい感じというのは、きっと誰にでもあると思うんですよね。
それであなたの場合は、土地も変わりライフスタイルも変わりだから、同時にいっぱいさよならしちゃってて、それでたぶんすごく、寂しさが大きいんだろうな、っていう。
でね、多分その寂しさは、埋まらないと思うんだよね。 絶対。うん。 埋まらないままやってくしかないと言うか(笑)。
ぽ:そうですよね。それはそれとして。
鴨:うん。で、 新しい出会いとか喜びも必ずあるじゃないですか。でも不思議なもので、寂しい気持ちがあって楽しい気持ちがあったら、それは両方同時に存在するもので。
「楽しい気持ちが、寂しい気持ちを埋めてプラマイゼロ」にはならないんですよ。やっぱり、寂しいは寂しい、楽しいは楽しい。っていうのは、それぞれ存在するから。あの……、砂糖と塩を混ぜても、別に味が打ち消し合うわけじゃないじゃないですか。
ぽ:たしかに、甘くて、しょっぱいー!!みたいな感じ。
鴨:……に、なるだけなんですよ。両方存在するだけなので。 きっとその寂しさは埋まらないんだけど、でも、うまく言えないけど、その寂しさがないと 多分つまらない気がするんですよね。 要するにサヨナラしたらもう終わり、で、もうそれは全然思い出すこともないし、今がいい!ってなっちゃうと、何かそれはそれで、物足りない気がする。
でも「ふっ」て、その浮遊感というか、今自分はここで何をしてるんだろう?みたいな感覚というのは、誰しもあるんだと思うんですよね。
これが年をとって、たぶん60年、70年生きると、もっとその感覚が強くなるんじゃないかなっていう気はする。70歳の自分がふと、「今自分は70年生きてきてここにいる」って思ったときの、 不思議な充実感と寂しさ、みたいなものもきっとあるだろうなっていう予感はするんですよ。
でも、その両方がないと生きていることにはならない気がする。全然アドバイスにはなってないけど。
ぽ:いや、もう……(感動)。砂糖と塩の話だけでもなんだかしっくりきてしまいました。ありがとうございます。たぶん、他にも勇気づけられる方はいるような気がします。
■ とにかく、役に立たないものを目指して
ぽ:ちなみにこの本、途中に挟まれているグレーのページがあるじゃないですか。謎のフレーズが書かれている……。これはどういう着想なんでしょう?
鴨:これはね、僕が過去にいろんなところでツイートしたことばを編集者が選んで、はめているんですよね。とにかく意味のない本にしたかったんです。最後にスタンプカードがついてたりとか。まったく無意味じゃないですか。
ぽ:たしかに、突然感がすごかったです。その前ページまでエッセイで、しかも「弁慶」って感動ストーリーで、「ああ、あきらめちゃだめだよなあ!」ってしみじみしながらページをめくったら、いきなりスタンプカードで。
鴨:そう、そういう無意味なのを。あと扉とかも、ほら、そういうふうになってたりとか(※扉のタイトル文字が、すでに迷子になっています)。
ぽ:迷子感。あと、これも気になりました。(※カバーをとったときの表紙と、裏表紙。まだとったことがない方は、見てみてください)
鴨:そうなんですよね。それも、意味はないわけですよ。どんどん、無意味なことがいっぱい流れ込むようになるといいなあと思っていたので。
ぽ:それは何でしょう、読む人をちょっとした混乱におとしいれたい、みたいな……?
鴨:あの、清く正しく役に立つものを、作る気がなくて。そういうのはもう、いっぱいあるから。 どっちかというと、役に立たないことを全面に出したかったんですよね。
でも、そのグレーのページも何を入れるかとかは、全部編集者におまかせで。僕は素材として、「おもしろ系ツイートはこんなのだよ」って渡しただけで、後は好きにしてって。だから、「ああ、これ選んだんだ」って、あとから思ったくらいですね。装丁も、何も言っていないので。
ぽ:さきほど、「エッセイ嫌だ嫌だ」と言っていたという話がありましたけど、実際書き終わって出版されて、改めて、エッセイ書いてどうでしたか?
鴨:いやあ、もう、恥ずかしい……。 ひたすら恥ずかしい。
ぽ:そうなんですね。
鴨:…………はい。
(わたしの2倍くらいはありそうな、大きくしっかりとしたかもさんが、きゅうと身をちぢこめて、ほんとうに、恥ずかしそうに言う。失礼ながら、キャラクターのクマさんが怖がって身をすくめるようなその様子に、思わず“かわいい”と思ってしまった……のは、私がおばちゃんになったからだろう )
鴨:小説ならまだねえ、「いや、あれは小説ですから」って言えるんですけど。エッセイは自分のことを書いているから、もうごまかしようがないと言うか。 気取っていいように書いてもしょうがないから、もうそのままを書いたんですよ。 なのでちょっと恥ずかしいですよね。
ぽ:でも、 でも読んでほしいですよね……?
鴨:いや、 あの……買うだけでいいです (笑)。
ぽ:買うまでが読書(笑)。(←※かもさん語録より)
鴨:そう。
■ 迷えるって、ラッキーかも
ぽ:最後に全国の「迷ってる人」に向けてメッセージをいただいて終わりたいです。
鴨:迷ってる人にね。たぶん、迷うって……なんだろう……。
(腕組みしてしばらく考える)
あの、迷わない人生ってつまらないと思うんですよ。迷うって、選べるってことだから。それは本当はすごく、いいことな気がする。
一本道しかなくて、生まれてから死ぬまで「はいこのレールを歩きなさい」って、ただひたすらそこを歩くのではなくて、さあどうしようっていう選択肢がいっぱいあるって言うことだから。
たぶん迷うっていうのは、可能性があるということだと思うので。迷ったときはチャンスというか、ラッキーなのかもしれない。
で、だいたい僕たちは、迷ったときに選択をしくじるので(笑)。正しい道は選べない、必ず間違うって思っておけば、安心です。絶対、間違うから!
ぽ:ありがとうございました。
■ 長いよ!エピローグ 〜インタビューを終えて思うこと
仮にも書く仕事をつづけていると、いろいろな方にインタビューさせていただく機会に恵まれる。
もちろん丁寧に答えてくださる方も多いが、世の中にはいろいろな方がいらっしゃるのもまた事実。例えば「その質問、意味あるの?」とつついたり、「さっきも言ったけど」を多用したりして、意図的に聞き手にダメージを与えてくるような方も、ごく一部にはいらっしゃる。
それはわりと、“いわゆる仕事ができる感じの”かつ“忙しい”人に多くて、いかにも「こんな小娘で大丈夫なのかよ」「つまんねえ奴だなあ」「これだから仕事できない奴は」と思われているのがひしひしと伝わってきたものだった。そのたびに、かつての若かりし頃のわたしは、「ああ頭の悪い聞き方してごめんなさい」と、居心地の悪い思いをしていた。書くより話すのが圧倒的に苦手な自分は、そりゃ初対面の方にはつまんない奴に思われるだろうと自覚もあるので、そうやって攻撃されつづけると息が苦しかった。
だから今回も、正直お会いする直前まで、ちょっとした怯えもあったのだ。
著名な方、いわゆる“大物“が、何の媒体からの依頼でもない、またインフルエンサーでもないわたしの“個人”のインタビューに時間を割いて、答えてくれるということの貴重さを、痛いほどわかっていたから。
「つまんねえ奴だなあ、早く終わんねえかなあ」
またそんなふうに思われながらインタビューすることになるのかもしれない。そう思ってうじうじ悩んでいたのだった。まあ結局は、「別にそれでも失うものは何もない」と開き直って、インタビューの申し込みメールを送らせていただいたわけだけど。
* * *
だから、インタビューを終えて一番印象に残ったのは、どんな質問にも真摯に答えてくれるかもさんの姿だった。
くだらない質問にもひとつひとつ、ときに「うぅ〜ん」と腕を組んで言葉を探しながら答えてくれる。「(こんな影響力少ない一般人からのインタビューなんて)ちゃっちゃっと適当にやって終わらせよう」という意識が微塵も伝わってこなかったことに、わたしはひどく感動していた。
ほんとうにすごいひとは、自分より弱いものを攻撃したりしないらしい。そんなことをしても何の意味もないことを、当然のようにわかっていらっしゃるのかもしれない。だれかを攻撃することで自分のプライドを守ろうとするような人々とはまったく別のところにおられるのだな、と思った。
しかも、かもさんのさらにすごいところは、目線をだれにでもすっと合わせられるような感覚があるところだ。後半にわたしが勝手な自分のお悩み相談をしていたときも、自分の視線から、すーっと相手の視線まで降りていって、ことばを探してくれているのがわかった。
きっとそれも、「線を引かない」フラットさをもっているからこその、技なんだと思う。
* * *
インタビューを終えて永田さんと合流し、皆でエスカレーターを降りた。
目的の方向をご案内するつもりが、建物の名前をわたしが早とちりして、違う方向をご案内してしまったらしい。そもそも自分が方向音痴だというのに、でしゃばって案内しようとしたのがいけなかった。ごめんなさい。
博多駅前で、路頭に迷う3人。
ようやく目的の方向がなんとなくわかり、歩き出す。
「……みんな迷子じゃん」。
かもさんの口から放たれたつぶやきが、空気中にあてどもなく漂った。
(おわり)
profile:
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生れ。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクションなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。著書に『アグニオン』『猫たちの色メガネ』『伴走者』がある。
(左右社『どこでもない場所』2018 巻末プロフィールより)
▼noteアカウントはこちら。
▼『どこでもない場所』はこちら(←?!)。
※10/9追記:このインタビュー記事の編集後記を書きました。