むすめ2歳の入院日記(3)手術当日
ひさびさの付き添いベッドはやはりよく眠れず。寝返りが打てない細長いソファベッドなのでちょくちょく目が覚める。まあ予想の範囲。2時間起きに看護師さんの巡回もあり、ひとの気配でも起きる。浅い眠りと腰痛で朝。
水分がとれるのが朝7:00までだったので、そこでの6:30にアラームをセットしていたが、結局5:30くらいにまた目が覚めてしまう。もはや全然眠れないがなんとか体力を温存したいとぎりぎりまで横になって、6:15に起きる。のそのそと準備をはじめてしばらくしたら、娘も目を覚ました。
起き抜けいちばん、寝ぼけながら発した言葉は、「まま、おちゃしゃん(お母さん)」で。慣れない部屋で起きて、わたしを探したのかもしれないと思う。それをたまらなく愛しい、と感動する一方で、明日からの朝は隣にいてあげられないという事実が頭をよぎって、とても複雑な気持ち。
起きてしばらくして、娘に手術のことをもういちど、話す。
今、いっぱいいっぱい働いてがんばりすぎちゃっている娘ちゃんのしんぞうを治療すると、もっと元気になって、たくさん走ったり遊んだりできるようになるのだということ。そのために、今日手術をするのだということ。痛かったり大変なこともあると思うし、しばらくは歩いたりできなくなってつらいかもしれないけれど、そのあとは今よりも元気になるんだよということ。
手術が終わってから、とくべつなおへやに行くこと。そこでは父母がいっしょにいられないけれど、看護師さんやお医者さんがだいじにお世話をしてくれるから、しんぱいしないでねということ。パパとママも、決まった時間には会いに行くから待っててねということ。だいじょうぶだからね。だいじょうぶだからね。むしろ、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言う。
100%なんてもちろん、伝わった実感はない。でも最後に「だから今日、しゅじゅつ、がんばろうね」というと、彼女は「うんっ」と、力強くうなづきながら言った。やっぱりこの話をしているときは、私の声のトーンや表情からか、他のときとは違い、しっかりと目を見ながらじっと黙って聞く。何かを感じとっているのは間違いない。不安はいろいろとあるけれど、もう、がんばってもらうほかにはない……。
手術の話をした流れで、手術の前は朝ごはんが食べられないことを説明し、前夜に買いに行った、果肉の入っていないりんごジュースをコップで計量してから、与える。ごくごくと一気に一杯飲み干し、「もっと、ちょーだい」と言うので注ごうとしたら、「いらないの」と言う。あれ。ほどなくして看護師さんが常用の飲み薬を持ってきてくれた。それをお茶に溶かし、飲む。
朝7:00、おなかをからっぽにするために、看護師さんにより浣腸。
入院してから毎日、お尻から薬を入れられ眠らされてきた彼女は、お尻から薬という感触がその後のぼうっとする体験にもつながりトラウマのようになっているのか、全力で抵抗する。「イヤー!!イヤー!!まま!!!まま!!!」。看護師さんと私で押さえて実行しようとするも、力が強く、ぐるんぐるん体をねじり蹴って抵抗する。途中で看護師さんがヘルプを呼びに行って人員を追加し、なんとか浣腸終了。
しばらくして、無事用を足す。ナースコールで報告して、看護師さんが排便量を確認に来る。
その後、沐浴室へ体重を計りにゆく。からだをふくウエットティッシュのようなものと、手術までに着る服をもらい、体を拭いて着替えさせる。
部屋に帰って遊んでいたら、朝食をすませた夫と義父がやってきた。ふたりに娘と遊んでもらっているうちに、こそこそと自分の朝ごはんを片隅で食べ、エネルギー補充。娘は最近、パズルが大好き。「パズル、しよ?」と言って、義父にも自分が得意なパズルを「これ、ここ!」と指導(?)し、とてもいきいきと楽しそうにしていた。
8:30、うとうとするための薬をお尻から注入する時刻。いよいよだ。
看護師さんが入ってきたとたんに、もう何かを察知し、部屋のすみでうずくまって抵抗する娘。今度は夫がいたので、夫と看護師さん2人の3人体制で、泣き叫ぶ娘を押さえながら薬を注入する。これは、必要なこと。わかっていても、理解していても、気持ちはやっぱり少しずつすり減ってゆく。
8:50ごろ、娘を運ぶための移動用ベッドがやってくる。わたしが抱っこしてそこへ寝かそうとすると「いや!いや!!」と泣いて暴れる。危ない。看護師さんが「じゃあ抱っこでいきましょうか」と言ってくれ、手術室前まで、エレベーターを降りて、抱っこで移動。夫と義父もいっしょに。そして手術室の入り口前で、看護師さんに抱っこのまま、娘をひき渡す。
娘はうとうとする薬で目はぼんやりしてきていたものの、それでも状況はわかっているようで、「いや!いや!いや!いや!」と繰り返し叫ぶ。それでも、なるべく笑顔で見送ることしかできないわたしたち。ああ覚悟していたつもりだけどやっぱりわたしも泣いてしまいそうだ、と思ったが、必死で鳥瞰図的な意識をもってきて、ぐっとこらえる。だって泣きたいのは、自分の意志とは関係のないところでいろいろなことが進んでゆく娘のほうだろう。いま目の前で見ているのはわたしたちの選択の結果じゃないか。せめて笑顔で勇気づけなくてどうする。
なんとか笑顔をつくって、嫌がる娘の手をとって夫、義父、わたしと「タッチ」してもらい、手術室の向こうへ連れていってもらった。手術室の入り口で、まだいやいやと叫びつづける娘を、ベテラン手術スタッフの方々が明るく迎えてくださる。足に油性ペンで書いた名前と、ニコちゃんマークを見つけ、「あ、ニコちゃん書いてあると?かわいいやん〜」と娘の気をそらしてくれている間に、自動ドアが閉まっていった。よろしくお願いいしますと、頭を下げた。
*
いったん部屋の荷物の整理に戻り、病棟を退室する。PICU(小児集中治療室)やHCU(高度治療室)に入っている期間は、病棟には部屋がなくなるのだ。子ども用の荷物は3点まで預かってもらえるとのことだったので、娘の備品はスーツケースとバッグに入れて預ける。
その後はひたすら、家族まちあい室というところで待つ。手術中は必ず、父か母のひとりはそこに待機をしていなければならないことになっている。
部屋のなかにはすでに何組もの家族が待機していた。兄弟の子連れで待機している家族もいて、そこの空気は思いのほか普通というか、ピリピリとはしていなくてホッとする。
前に進行状況をあらわすステータスディスプレーというのが設置されていて、その日にどの部屋で何のオペが行われるような予定になっているのか、またその進捗状況を大まかにだけ知ることができた。患者の個人名ではなく、「患者ID、何歳何ヶ月、性別、主治医の名前」で表示されている。
少なくとも表示されている範囲ではオペ室は7部屋あって、その6部屋で手術がほぼ同時進行していた。年齢も、7ヵ月や9ヵ月という月齢の子もいれば、5歳、7歳、10歳という子もいる。分野も、我が家と同じ心臓外科だけでなく、耳鼻、整形などいろいろと表示されていた。手術の内容によって所要目安時間はさまざま。やはり心臓外科は耳鼻や整形などに比べるとかなり長く、最初の表示の時点でも我が家の場合は9時に入室、終了見込みが12時半ごろと表示されていた。実際は10分ごとくらいでその画面が更新されてゆくので、最初の表示はあくまで参考程度。
計画的に予定されていたオペは黒文字で表示されているのだが、なかには赤文字で表示されているものもある。それは緊急手術なのだという。ステータスディスプレーを見ていたら、午後に1件、緊急手術が予定されていた。「1ヶ月/男」とあった。でもディスプレーは刻々と更新されてゆくので、いつのまにかその予定が消えていたりする。例えば薬が効いて、手術の必要がなくなったのかもしれない。いろいろな事情で延期になったのかもしれない。けれど、もしかしたら、そうではないかもしれない。いろいろなことを想像してしまって、深呼吸をする。いくつもの闘いがリアルタイムで、この病院内では起きている。何件ものステータスが刻々と更新されてゆくディスプレーを見ながら、たくさんの命のことを思う。
娘の場合は結局、9時に入室後、麻酔の手順が開始され、手術開始のステータスになったのが10:20頃。
それを見て、いよいよだと思う。ああ、もうメスは入っただろうか。胸骨は切られただろうか。人工心肺を使いはじめただろうか。前夜に聞いた説明が頭の中でよみがえり、胸がつまるくらいに想像をする。けれど結局は、今の自分にできることはなにもない。いくら心配をしても、無力すぎてほんとうに何もできない。プロフェッショナルたちを信じて任せるしか。せめて気落ちしすぎないよう、なるべく平常心でいなければと、読み慣れた文庫本をひらいて気持ちをチューニングする。平熱感のある文章に少し気持ちが落ち着いて、ああ自分もこういうものを書けるようになりたいのだと願う。
交代で昼食をとり、9時過ぎからひたすら、一心に待ち続けること5時間40分。14:40ごろ、いまオペを終えたのではないかと思われる担当医が直接まちあい室へあらわれて、びっくり。他の家族の場合は、看護師さんが名前を呼んで、外へ出ていくという形だったのに。わざわざ担当医が、しかも普通の眼鏡の上に、オペ用の拡大鏡のようなものをつけたままの状態で登場。急いできてくれたのかもしれない。
「いま終わりました」「穴の大きさは結局見てみたら1cm×2cmくらいあって大きかったので、心膜を切り取ってあてる形でふさいでいます。漏れなどもなく、無事にふさげました」と、ざっくりと説明を受ける。何か、特に気になるような要素はなかったかと質問すると、「人工心肺を使用して復帰させるときに、脈のはじまりが少し弱く、遅い状態だったので、術中はペーシングをしていたとのこと。ただ、今はそれを外して自分の脈を取り戻してきているので、このままようすをみておそらくだいじょうぶだと思います」とのこと。
昨日の説明では、手術当日の夜から翌朝ごろにかけて合併症などのリスクが高いので近隣で待機するように、という話だったから、まだ全然安心しきれないが、とりあえずは無事に終了したことに感謝する。
状態が落ち着いてきてから、まずはモニター越しにようすを見ることができるということで、となりのモニター面会室に移動して、また数十分待機。
なかなかうつらず、気持ちをやきもきさせているところへ、やっとのことでモニターにパッ、と娘の顔が映し出された。
手術直後はたくさんの管がつけられているというのは事前に書類でも知っていたから覚悟しておこう、となんども自分に言い聞かせていたのだけれど、いざ首の太い静脈にも点滴が固定され、口にも鼻にも管が通った娘の顔といきなり対峙するのは、やはりショックがある。麻酔が徐々に浅くなっているのか、ときどき首を動かして、はなや口の違和感に苦しそうな表情をしたり、泣いているようなシーンがあって、やっぱり見ているだけでも胸が痛い。今朝、つい数時間前に「パズル、しよ!」とはりきっていた娘のいきいきとした表情や、にこにこの笑顔を思い出すと、もうろうとしてたくさんの管がつながれ苦しそうな娘の様子を見守るというのはつらい。その落差に、目の前がくらくらする。状況が状況だと頭では理解していても、気持ちが追いついていかないだけだ。
がんばったね。がんばったね。がんばったね。聞こえなくとも思わずひとりでそうつぶやきながら、モニター内の娘を見つめる。あとは娘ちゃんの回復力を信じるしかないね、もう、それしかない。そうやって夫に話しかけながら、自分自身の心を保とうとしていた。
16:30ごろ、ようやく、両親のみ数分の面会あり。入念に手を洗い、PICUへ入る。
娘は術後すぐだからか、PICUの中でも一番奥の、特別ユニットのようなところにいた。担当医の先生が横についてくれていて、また説明をしてくれる。口にはまだ呼吸サポートの管がつながれていたが、自発呼吸がちゃんと戻ってきているので、じきに呼吸のチューブは外せそうな見込みと聞き、安心する。それぞれのチューブは必要性があってとりつけていると理解しているのだけれど、親の感情としてはやはり、意識がもどったときに、少しでも、少しでも、楽な状態であるようにと願ってしまう。
なでていいですよと言われ、夫が静かになで、そのあとでわたしがなでる。思わず「がんばったね。がんばったね」とまた声をかける。「また明日会いに来るからね。また明日ね」。眠っているけれど、もしかしたら聴力ははたらいているかもしれないという思いをこめて、語りかけ、病室をあとにした。
またモニター室にもどり、しばらくして口から入れていたチューブがはずれたのを見、自発呼吸も安定しているとの報告をもらって、今日は病院をあとにする。
夫、義父、わたしでごはんを食べに行き、義父はいったん県外の自宅へ帰る。
夫とわたしは緊急連絡がないことを祈りながら、こども病院に隣接するドナルド・マクドナルド・ハウスに宿泊。気疲れでベッドに体を投げ出したい欲求をおさえて、日記を書く。
(つづく)
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。