むすめ2歳の入院日記(5)術後2日目
8/30(金)くもり時々晴れ
9:25ごろ、待ちきれずPICU直通にTEL。
「○○ちゃんは、今日はお部屋の移動ありません〜!」とのこと。いきなりこのタイミングで一般病棟へ移動じゃなくて、かなりホッとした。昨日の看護師さんの口ぶりから、少なくともHCUには移動になると思っていたが、まさかの「移動なし」で、同時に拍子抜けもする。
「土日は移動なし、って聞いてるから、じゃあ部屋の移動は早くても次の月曜ってことだよね」と夫に話しながら、同時にむくむくと別の気持ちが持ち上がってくる。
「でもさ。これまでの”聞いていた話とちがう”ってくだりが繰り返されつづけてきたこの状況を考えると、もしかしたらまた、現場では『土日の移動もありますよ?』と突然言われるんじゃないかという気がしてきたよ……。だって、『土日の移動なし』っていうのはオペ室のドクターと、病棟で来てくれた看護師さんから聞いただけで、PICUの看護師さんからは聞いてない気がするもの……。きっとまた、現場に聞いたら全然違う、みたいなパターンがある気がする、いや、絶対ありそう」。そう言って、夫と苦笑する。
今日は日中に帰宅できる状況になったので、部屋干しにしていたどっさりの洗濯物を外に出す。長らく雨だったので、ほんとうにひさしぶりの晴れ。少しだけ気持ちが明るくなって、ありがたい。天気が気持ちにおよぼす影響って大きい。
午前中、夫は出社し、わたしは自宅で作業。
正午過ぎに2人で病院へ出発。今日は自宅から、たっぷりの絵本を持っていく。13:00ちょい過ぎに到着。
PICUの中に入り、娘のもとへ行く。娘はまた眠っていた。だいぶ昨日より、管類が少なくなっているように見える。
「朝、ちょっと『ママ、ママ』って言って泣いちゃってましたね」。看護師さんにそう聞いて、そうでしたか……、と応えながら、胸がぎゅうう、となる。
看護師さんによると、またドレーンの1本が抜けて、残りのドレーンは1本に。それも持ち運びできる形態のものにシフトされているので、順調に回復中とのこと。残りの1本も明日には外れそうな見込みと聞く。さらに尿の排出のための管も抜けて、オムツに自分でできるようになったとのこと。
その他にも両手や首の針たちが抜けて、昨日の寝返りも打てなかった拘束状態からは、だいぶゆるんだように思えた。何より、前日はまったく使えなかった両手がフリーになったのがうれしかった。これで指を使う遊びもできるようになるし、スプーンが握れるし、手が握れる。前日は手を握りたくても針が刺さって固定されていて、露出している部分に触れることしかできなかったから。嬉しくてすっぽりと包み込んで手を握る。
もろもろの管を抜くために、また眠り薬を使ったそう。その影響でいままだ寝ている感じです、という話を看護師さんから聞いていたら、話し声に気づいたのか、焦点が定まらないようなぼうっとした目で娘が目を開けた。目の前にわたしたちがいることに気づいたようだ。
状況を認識すると「まま!まま!」と怒ったように、でも弱々しく言う。
そりゃあそうだろう、と思いながら思わず軽く覆いかぶさるようにして、寝たままの娘をふわりと抱く。「ごめんね、ごめんね。来たよ、まま来たよ。娘ちゃんえらかったね。待っててくれてありがとう」。そうやって声をかけるものの、娘には届かず、ひたすら「まま!まま!」と言いつづける。
”昨日起きたらママいなかったよ? なんで寝てる間に帰っちゃうの? なんでわたし自由に動けないの? ちょっと前まで元気にあそんで楽しかったのに、なんでいまこんなにつらいの?苦しいの? 痛いこといっぱいあるんだよ。こわいよ。ひとりにしないでよ。いっしょにいてよ!なんで!? どうして?! こわい! つらい! もういや!!いやなの!!!”
娘のなかに言いたい感情はたくさんあるけれど、それを言い表す言葉がまだないだけだ。だからひたすらに「まま! まま! まま!」と訴えつづける。
わたしもその「まま!まま!まま!」の中にあらゆる感情を感じとって、責められているような気持ちにもなってしまう。けれど、そこでネガティブの方に落ちていってもいまの状況は何も変えられないから、なんとかフラットな気持ちに戻ろうとふんばる。
喉のあたりから、痰がからんだような音が聞こえる。手術の影響で痰が出ると聞いていたし、ほうっておけばそれが無気肺などの合併症にもつながることもある。だから看護師さんたちは機械で痰をとるケアをしてくれる。そのときも「痰、とろうかね」と看護師さんが言ってくれたので、じゃあお願いします、と言う。処置中はいったん部屋を出るように言われ、「まま!まま!」と懇願する娘を残して部屋の外のスペースで待つ。
ガラスの壁と、ブラインドのすき間から、ぼんやりとだけれど娘のようすは見えてしまう。鼻から痰の吸入が苦しいし痛いのか、体をぐるぐるのたうちまわらせるようにして嫌がる娘。合間に「いや!いや!まま!まま!」と聞こえてくる。見ているこちらの気持ちも苦しい。必要なことなのだけれど。
痰とりが終わって、再び中へ戻る。とたんに、「まま!まま!まま!」とまた訴える娘。”ほら! まま! 苦しいよ! 痛いよ! いや! いや!!”。
幸い、眠っていてお昼ご飯をまだ食べていなかったようで、配膳されていた昼食がそのまま残っていた。直接あげていいというので、少しだけ落ち着いたタイミングに、すかさず言う。「よし、ごはん食べてみようか」。
まずはスープから。口においしいものが入ってきて気分がちょっと変わったのか、その後は比較的落ち着いて過ごすことができた。スープに、おかゆ、ブロッコリーの和え物に、魚の甘酢あんかけ。朝食は主食のみしか食べなかったと聞いていたが、昼食はなかなかよく食べてくれて、嬉しい。
時折は自分でスプーンをつかんで食べる意欲も見られた。まだ、「傾斜を調節したベッドに寄りかかって寝たまま食べる」感じなので、すべてを自分でというのはむずかしいが、器を持ち、すくいやすい位置でスプーンをわたすと、自分ですくって口に入れることができて、少しだけうれしそうだった。
手術当日の朝まで、最近はずっと「じぶんで!」とか「じぶんで やる」が口癖だった娘。母や父がやってあげようとすると怒って、なんでも自分でやりたがっていた。一転して、いまは身動きすらとれなくなって、さぞ悔しいしもどかしいだろうな、と、スプーンを自分で扱う様をみて改めて思う。
でもその日の娘はかんしゃくを起こすこともなく、ちゃんとごはんを食べ続けてくれた。結果、ついに完食。スープの1滴も、春雨1本も残さなかった。すべての器が、ぴっかぴか。入ってきた看護師さんに、「(PICUで)こんなにぴかぴかに完食したの、初めて見ました」と驚かれる。食欲が出てきていることがとても心強くて嬉しく、励まされる。
ごはんのあとは恒例の絵本タイム。
今日は家の絵本を12冊持ってきた。もうどれも見知った絵本ではあるから、数を多く持っていくことで飽きさせないようにしようと思ったのだ。結局、すべての絵本を読んで面会時間の終わりごろになるという、ちょうどよい量だった。
夫とたまに交代しながら、絵本を読んでゆく。娘も指さしたり、興味をもったりしてくれていたので嬉しかった。後半はちょっと絵本自体に飽きてきていたと思うけれど、それでも小さな声で「ちがうの、よむ」と次の絵本をねだってくれる。母や父が自分のために一生懸命何かをしてくれているという状態を、心地よく感じてくれていたのかなと思う。
全部の絵本を読み終わった14:50ごろ、看護師さんがおやつのゼリーを持ってきてくれる。このゼリーは全量食べて大丈夫です、という。「ゼリー、食べる?」と聞くと「うん」と言ったので、ぶどうゼリーをあげる。完食。
食べさせながら、もうすぐ帰らなければいけないということを話す。「このおへやでは娘ちゃんに会える時間が決まっているからね、今日はもう、パパとママは帰らなくちゃいけないんだ。ごめんね。でもまた明日来るから、待っててね」。
そのときは落ち着いて聞いていた娘だが、ゼリーを食べ終わり、いよいよ帰るタイミングになると、やっぱり泣きはじめてしまった。再び、「ままー!ままー!」の声。どうしようもない。どうにもできない。しかたがない。
自分で自分を納得させて、むしろ未練たらしく目の前にいるより、サッと出ていってしまったほうがまだいいような気がして、後ろ髪をひかれながらもすぐに病室をあとにした。病室に泣き声を残して。
PICUの出口を出て、思わずふうっ、と深呼吸をする。また明日来よう。それだけを思う。だって自分にできることは、それだけなのだ。
PICUに預けていたゼリーやヨーグルト類の残りが少ないので、今日の帰りに補充してください。そう面会中に言われていたので、エレベーターで下に降り、売店でゼリー飲料とみかんヨーグルトを買う。
それを持って、またPICUへ戻り、入り口のインターフォンを押すと、中から看護師さんが受け取りにやってきた。
「あ、ちょうどよかったです!さっき土日のお部屋移動はないって言ったんですけど、ちょっと変更があって、もしかしたら日曜日に一般病棟の方に移動になるかもしれないです」
これを聞いたとき、思わず「き、来た!」と思ってしまった。朝、夫と話していた内容が目の前で展開されている。やっぱりあるんじゃん、土日の移動。現場レベルでは、あるんじゃないかーー!!
その時点で更新された情報では、こうだ。日曜日に移動になるとしたらHCUではなく一般病棟。もし日曜日に部屋の移動をしなかった場合は、月曜日に病棟に移動するか、または病棟がいっぱいで入れない場合はHCUに移動する見込み。ただいずれも、その日の朝9:30に電話で確認してくださいとのこと。
うん、わかった。わかったよ。ダイジョブ、この感じ慣れてきた。
娘の回復の具合を見ていても、日曜日くらいから付き添いでずっと一緒にいてあげられたほうが、やっぱりいいかもしれないとも思い始めていた。巻きで仕事を進める必要はあるけど、娘にとってはそっちのほうがいいのは確かだ。
いろいろとバタバタはあるけれど、いちばん大切なのは娘のからだと、こころだ。ただそれを守るために、自分のメンタルと体力のコントロールも必要で、その自分のメンタルを健康に保つうえで、わたしの場合は文章を書く仕事をするっていうことを、完全にはゼロにすることもできなくて。
だからぐるぐるしてしまうときもあるけれど、やっぱり、娘の近くにいてあげたいよなあと思うのは、まぎれもなく事実だ。
今ごろまた、泣いているだろうか。夕ごはん、看護師さんからでもちゃんと食べられたかな。苦しい思いをしていませんように。怖い思いをしていませんように。あなたの努力には、母は何もかないません。いっしょにいてあげられなくてごめんね。ひとりにしてごめんね。また明日、会いにいくからね。
そんな思いが何度も何度も頭の中に押し寄せるけれど、「今」いっしょにいられない事実は変えられない。どう埋め合わせをしたらいいのか、いったい何をしたらいいのかと考えていても、結局は、PICUを出られてから、一生懸命向き合って思う存分甘えさせて、たくさん遊ぶしかないなと思う。
今はこんなに胸がしめつけられる思いにかられていても、順調に回復してから、付き添いデイズの中で、それから退院してからの日々の中で、数時間はしっかり向き合っていても、疲れがたまってくるとつい適当に対応したり、イラッとして理不尽に怒ってしまうこともあるだろう。そんなとき、何度でも思い出したい。思い出さなければならない。
手術とPICUでの日々、どれだけ娘ががんばって、どれだけ我慢して、どれだけ寂しい思いをしてきたかを。それを伝えたくても伝えられずに、どれだけ悔しくて、どれだけもどかしかったかを。
どれだけ強い感情を抱いても、ひとは忘れるようにできている。だからわたしは、こうして日記を書いている。
(つづく)
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。