むすめ2歳の入院日記(14)術後11日目
9月8日(日)快晴
深夜に起きてしまったのでふたりしていつもより遅い起床。といっても6:30。出張中の夫から連絡が入ったので、ごろんと寝転がったまま娘とパパのビデオ電話。真顔、ときどき、笑顔も見せる娘。そろそろパパにも会いたかろう。
ところで、わたしがこの遅れてアップし始めた入院日記を、途中から1日2本の投稿にしてタイムラグを減らしてきているのは、夫が出張で不在の1週間のうちに、リアルタイムになるべく追いつかせようと思っているからである。
彼がいま参加しているのは彼にとって、単に仕事という意味を越えてとても大事なプログラムであることは重々承知している。それでもこちら(娘の入院)も超重要案件であるので、夫不在の間、娘がどんな日々を過ごし、妻が何を考えているかを少しでも知っておいてほしい。だから夫はこの入院日記を読め、だし、さすがにPICU期間の娘も見てきている彼は、今回ばかりは自分からも、娘の日々のことを知りたいと思ってくれていると信じている。
ビデオ電話後、おむつを取り替えて、体重測定の部屋へ行く。数百グラム増えていたが、このくらいの増量は続いているし、そのたびにレントゲンも問題ないので、よく食べるからだろう。だいぶ完食できるようになってきたし。
昨日、宿泊施設のほうから借りてきた絵本『そらまめくんのベッド』と『おひさま あはは』をわりと気に入ったようで、何度も読む。娘も「べっど、なくなっちゃった」とか、「おはな、あ、は、は?」とたどたどしくも絵本の世界に参加しようとしてくれるその姿勢がとてもかわいらしい。
朝食には初めて、ふりかけがついていた。
「あ、ふりかけついてるよ!」と言うと、その袋をしゃかしゃか振って、ニコニコと嬉しそうな娘。さっそくごはんにかけて食べると、まあ、昨日の納豆ごはんについで、めずらしくごはんの売れ行きがいい。納豆やふりかけは偉大。勢いで他のおかずもほぼ完食。ついでに昨日の夕方食べそびれて残っていたおやつのドーナツも半分食べた。頼もしい食欲。
昨日から利尿剤は1日2回に減量されている。痰切りの薬ももう終了したし、少しずつ薬が減ってきて、飲ませるのも楽になってきた。ひとくちゼリーを武器に、朝の服薬も完了。
外は快晴。
ここ数日、病室の窓から見える小さな中庭のような場所に、時折すずめが来たり、オレンジ色の蝶が飛んできたり、黒っぽいハトがやってきたりしていたので、それを娘に教えていっしょに観察する、ということをしていた。すると娘も、自分からたまに「ちゅんちゅん、みる」などと言って、窓のほうに来ようとするようになった。
今朝も「ちゅんちゅん、みる」と言うが、あいにくすずめは来ていない。「ちゅんちゅんいないねえ。お散歩いっちゃったのかなあ」というと、「おさんぽ、いっちゃった?」と言う。最近の娘はなんでも繰り返す時期だ。ことばのカード、自分の中にためて言っているのかなあ。
循環器科の担当医が、昨日の採血の結果をわたしにきてくれる。「縫い直しになった部分があったので炎症の数値(CRP)があがっていたら抗生剤などを入れなきゃいけないかなと思っていたが、その数値も術後順調に下がってきており、問題なさそう」とのこと。それ以外の数値も問題なし。
明日またレントゲンと、眠っての心エコーをしっかり見て、退院時期を外科の先生とも相談してみますとのこと。外来でも来れる距離なので、昨日縫ったところの抜糸は1週間後くらいに、外来で来てもらう形になるのではとの見解。
シーツ交換のひとが来てくれる。汗や一部尿でなんだかなあと思っていた寝具が一新されて、しゃっきり。きれいな寝具で気分も変わる。こどもは汗っかきだし、ベッドの上で食事をあげたりするからどうしたって汚れやすいので、週1じゃなくてせめて週2くらいで替えてもらえるのがデフォルトだとありがたいんだけどなあ。
今日は午前中〜お昼すぎごろまでをばあばに付き添い交代をお願いしており、9時過ぎごろにばあばも合流。
そのころちょうど、さきほどの中庭にオレンジ色の蝶が遊びにきた。「あっ、娘ちゃん、ちょうちょ来たよ」と教えると、窓にかじりつく娘。遠いのでよく観察しないとなかなか見えないが、途中で近くのほうにも飛んできてくれて、「みえた?」と聞くと「うん」という。外に鳥や虫が遊びに来る。その小さなできごとが、変化のない静かな病室のなかではとても大きなエンターテイメントだ。画面の中を見ているのともちがう、ライブのエンターテイメント。
朝のおやつはヨーグルトだった。朝の検温と血圧などのチェックが終わってプレイルームで遊べる許可をもらってから交代にすることにし、しばしわたしも部屋で待つ。
検温が終わってから、なかなかママと離れたがらない娘の気分を変えようと、娘、わたし、ばあばの3人でプレイルームまで行く。プレイルームを見た娘はそちらに気をとられたようで、無事にバイバイ。わたしは外へ。
ところで母(ばあば)に、(術後9日目の日記に書いた)骨のもりあがりが気になっていることを話した。その話の流れの中で母に「学校の先生とかに、ちゃんと話しておかないとだねえ」とサラリと言われて、ああ、そうか日本はそういう国だった、と反射的に思う。
学術的なことはわたしにはわからないけれど、単純に島国、同一民族のこの国は、やっぱり異質なものに敏感な空気があると感じる。均質、均一なものが好まれる。発達の遅れも経過観察している娘は、そもそもふつうの小学校に通えるかもはっきりと今の段階ではわからないけれど、通えたとしても、そこで進度のみならず、胸の傷や骨のもりあがりのことで周りからからかわれたり嫌な思いをするのかも……しれない。
もし話し合いや意見を出すことで解決の糸口が探れることであれば、おそらく家族で話し合いながらサポートしていきたいと思うが、もしほんとうににっちもさっちもいかないことがあれば、わたしは闘おうというよりも、娘と一緒にぱっと逃げよう、と思っている。
海外で少しだけ暮らして何がよかったのかといえば、それは「他の土地で生きられる可能性がある」ことを、知れたことだ。たとえば移民が多い国では、そもそも学校の中も多国籍で、それぞれ英語を共通言語としつつも、家の中では親の母国語を話していたりと、「みんなそれぞれ違う」土壌があたりまえにある。「あの子は違うから」というよりも「ひとりひとり違うから」という考え方に、日本よりはよほどなりやすいと感じる。
だからほんとうににっちもさっちもいかなくて生きづらいなあ、ばかばかしいなあ!と思うようなことがあったら、娘を連れて違う国で生きる選択肢だってあると思っている。もちろんいろいろと障壁はあるし、簡単なことではないけれど、その手段があるということだけは常に、頭の片隅においておきたい。夫よ読んでいますか。
でもまあ、住み慣れた日本が生活しやすいのは確かだから、この国の中でもいろいろやりようはあるんじゃないかと思っている。学校がもし嫌な場所になることがあれば、そんな学校行かなくていいと言いたいし、その分、外の世界に連れ出したい。魅力的なおとなたちや、子の同世代と、同じ地区の学校なんて枠にとらわれずに出会ってほしいし、そのためのサポートがしたい。
幸い今の時代は、わたしたちが子どものころよりよっぽど、それがしやすい時代になってきていると思う。以前、別のnoteで書いた「こどもばんぱく」の主催の子だって、もともとはいじめにあって不登校になり……という背景があって、今は学外でパワフルに活躍されている。親のほうが学校で要求される均質・均一になじめないことを肯定さえできれば、きっとこの国でも、楽しく生きられる方法はたくさんあるんじゃないか……?
まずはその視点を、持ち続けていたい。
環境があわないなら、無理やりその環境にあわせるんじゃなくて、環境のほうを変えればいいんだ。ひとり旅をしていたときの身軽さとはいかないけれど、そのフットワークの軽さと考え方はほんとうに、忘れずにいたい。
まだ何もはじまっていないのに、日記を書いていたらそんなところまで脳内がずんずん妄想を膨らませていた。
昼過ぎ、病室へもどる。
ドアをあけたら娘は寝ていた。聞けば昼前まではプレイルームで存分に遊び、昼食の途中からうつらうつらしていて、その後はそのまますうと寝てしまったそうな。やっぱり昨日は深夜に起きてしまったから、いつもより眠かったんだろうなあ。わたしの話し声がして気づいたのか、目を開けた。
「おはよう、娘ちゃん。お母さんもどってきたよー。おやつまでに戻ってくるって約束したから、ちゃんと戻ってきたよ」と声をかける。朝、離れるのをしぶっていた娘、その後も何度か「ままは?」と聞いていたと聞いて思わずそのまま覆いかぶさって、よしよし、なでなで。
まだベッドにぺたんとしたまま、若干ぐずっている娘の気分を変えようと、また新しく借りてきた絵本『おおきなかぶ』を、ばあばと寸劇もどきをしながら読む。声を出しての笑顔が見えてホッとする。
ほどなくしておやつが運ばれてきた。今日はマリービスケットと牛乳。ビスケットは3枚入っているうちの2枚半を食べた。牛乳はもちろん全部飲む。
ばあばと交代。
窓の外にすずめが遊びに来ているのに気づき、娘に知らせる。しばしの「ちゅんちゅん観察」。今日はかなり近くのほうまでやってきてくれたので、娘もはっきり見えたようだ。地面をつっついたり、小さく舞い上がったりして移動しながら植物や虫を食べているのだろうか。娘も途中、「あ、とんだ!」などと言ってよく見ていた。すずめってこんなかわいかったっけ、と思うわたし。緑の草むらですずめのグループがごはんタイムらしき団らんをしているのをガラス越しに眺めるのはなかなか和む。そういえば最近、昔ほどすずめを見なくなった気がする。暮らしている場所の問題かな。
お絵かきやパズルをしたり、オムツを捨てがてら病棟内を散歩して、プレイルームでまた少し遊ぶ。午前中に遊びつくしたからか、あまり執着もなく。夕飯前にばあばから手作り弁当の差し入れをもらって部屋へもどる。
18時に娘の夕食が運ばれてくる。いつものように食べはじめるが、まあなんとも、進みが遅い。昨日も食べ終わらないんじゃないかと思うほど食べるのが遅かったが、今日も時間がかかりすぎる。ずっとごはんをちまちま口の中でもぐもぐもぐもぐしながら、一向に飲み込まないのだ。
1時間を過ぎ、わたしも疲れてきて何度も「もうごちそうさま、しようか?」と聞いてみるのだが「まだ、たべる」と言うので、つきあう。喉が痛くてごっくんがしづらいとか、別の原因があるのじゃないかと途中から本気で心配になってくる。「ごっくん、痛いの?」とか「じゃああとでお医者さんや看護師さんに言ってみる?」と聞くと「うん」と言ったり、言わなかったり。
結局2時間ほどかかった。絶対に食べ終わらないだろう、と思っていたが、そのくらいの時間をかけてほぼほぼ完食。おなかは空いているけれど、飲み込みがしづらいのか、はたまた病院食やいまの環境に飽きて食の勢いがないだけなのか。ただ眠いだけのようにも思えるけど。あとで相談してみよう……。
その後、夜の検温で回ってきた看護師さんにその状況を共有。「うーん、なんでしょうねえ。一応明日、先生に喉みてもらいましょうかねえ」とのこと。手術の影響で食道の位置とかに影響が出ているとかそういう話ではないといいのだが。明日、チャンスがあったら医師にも直接聞いてみるかな。まだ気持ちを自分で伝えられないこどものことは、こちらで想像するしかないことも多くいろいろとやきもき。杞憂だといいな。
2時間もかけて夕飯を食べた娘、お昼寝も短かったから眠いのか、歯みがきをしたらわりと素直にベッドにあがり、めずらしく自分から「ねんね、する」といって布団にぺたん。
『おおきなかぶ』の絵本を見せると「とっとこ、しょ!」みたいなことを言っていて何かと思ったが、「うんとこしょ、どっこいしょ」のことかと気づく。添い寝して絵本を数冊読み、電気を消して歌を歌ったらすぐに寝た。すぐに起きるつもりがいつのまにか寝てしまい、深夜12時ごろ起きてシャワーを浴び、浴室前でこそこそと日記を書いている、いま。
(つづく)
P.S.みんなのフォトギャラリーからお借りした、泳ぐペンギンのヘッダー画像。陸の上ではトテトテとしか歩けなくてバカにされてもおかしくないペンギンだけど、水の中だとすごいスピードでのびのび泳いでいたりするよね。そのひとにとって泳ぎやすい環境を探すって、だいじなんだろうな。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。