マグカップと湯気と「慣れ」
日常の中にありふれているなんでもない光景に、ときどきまじまじと見入ってしまうことがある。
よく晴れた朝に光を受けとめるレースカーテンの陰影とか、お風呂に入っていてふと見つめる水面のゆらめきとか。
この前はマグカップに白湯をそそいだ瞬間、立ちのぼる湯気の美しさに「ほうっ……」と見入ってしまった。
たまたま気温が低く、背景に黒っぽいものがあったから、いつもよりよく見えたのかもしれない。
丸いマグカップの口から、上へ、上へ。
もくもく、すうーっと立ちのぼって、次第に広がり、空間に消えてゆく。
でもそのルートは一律ではなくて、瞬間、瞬間、空気の動きによって常にふらふらとゆらいでいて。立ちのぼりはじめすら一定ではない。狭いマグカップの中のいろいろな方向から、さまざまな濃淡でゆらゆらと放たれてゆく。
なんだろう。ろうそくの火を見つめているときのような安心感。
立ちのぼる湯気を眺めていたくて、何度もポットから熱いお湯を注いだ。
*
他にもたとえば、台所で何気なくかぼちゃを切っていたとき。
ここから先は
2,010字
どうでもいいことをすごくしんけんに書いています。
とるにたらない話をしよう
¥400 / 月
<※2020年7月末で廃刊予定です。月末までは更新継続中!>熱くも冷たくもない常温の日常エッセイを書いています。気持ちが疲れているときにも…
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。