むすめ2歳の入院日記(6)術後3日目
8/31(土)晴れ
朝10時の開館と同時に夫と図書館へ。家にある絵本はもう娘も何十回と読んで知り尽くしているし、入院前に借りた絵本もだいたい読んだので、面会で娘にとって新鮮な絵本を読んであげたいと思ってのこと。
ふと紙芝居コーナーが目にとまる。ふだんはまだ落ち着いてストーリーを聞いていられないのでスルーしていたけれど、動き回れない今はむしろおもしろいかもしれない、と、夫と2、3歳向けの紙芝居を吟味する。その後、絵本も棚の端から端まで見て、じっくりと選ぶ。さくっと選ぼうと言っていたが、むしろ大人だけでいると集中して選べるので、気づいたら1時間以上たっていた。紙芝居3つと絵本13冊を借りる。
車でこども病院方面へ。近くの喫茶店でランチ。
13時の面会に向けて病院へ。土曜日は外来は休みだけれど、相変わらず駐車場にはずらずらりとたくさんの車が停まっている。それを見るたび、病棟やPICUやHCUやNICUや、病院内のいろいろな部屋に入院している子どもたちの多さ、そしてそれぞれの家族の多さをいつも思う。
友人や知人に入院や手術の話をすると「大変だね」と言われるけれど、入院や手術は決してめずらしいことじゃない。これほど多くの子どもや家族が、日々ここで時を過ごしている。年単位で入院して、それを日常として過ごしている子たちもいる。それを支える医療従事者のみなさんにとっても、そうやって日々命と向き合うのが彼らの”日常”で。
13時、PICUのインターフォンを押して入室。
初めて、来訪のタイミングでしっかりと起きていた。ドレーンの残り1本はまだつながったままだから、今日は眠り薬を使用しなかったのだろう。
静かにしていたが、視界にわたしたちが入ったとたん、「うぅっ、うぅっ」と泣きそうになり、声を出して訴えはじめた。それまでおりこうにしていたけれど、寂しい思いを必死で我慢していたのがわかる。どれだけ心細い思いを押し込めていたのか。やっと甘えられるひとが来て、「なんでよ、寂しかったよ、ひとりにしないでよ、もうここいや、いや、いや……!」という思いを伝えてくる。
近づくとまた「まま!まま!」と訴え、わたしに抱きつこうともがもがしはじめる。傾斜をあげたベッドにもたれていた娘に、また思わず覆いかぶさるようにして声をかける。「来たよ。来たよ。ごめんね。待っててくれてありがとうね。寂しかったね。娘ちゃんいっぱいがんばっているの、知っているよ。今日もたくさんがんばったね。えらいね」。頭や背中をなでて、なでて、なでながらずっとそんなふうに言葉をかける。
その間も、「まま!ままー!」と訴えつづける娘。そうだよね。
看護師さんが「もう、抱っことかしてもいいですよ」と言うので「そうですか!」と喜び、抱き上げる。先に夫、そしてわたし。術後すぐからはだいぶ管がいろいろと抜けたといっても、まだまだ足には点滴がつながれているし、鼻には酸素サポートのチューブがついているし、心臓付近からはドレーンやペーシングのためのワイヤー、皮膚には心電図モニター、指先にもモニターもつながれているので、あっちやこっちが引っこ抜けたりからまったりしないように注意して抱く。
ひさびさに娘のぬくもりを直に感じてホッとする。重い重いと言っていた娘、たしかに重いが、心なしか軽くなった気がする。よく見たら、目の周りもくぼんでしまって、痩せてしまっているのを見た目にも感じた。看護師さんに聞いてみると、やはり1kgほどは落ちているという。術後だからしかたないし、これから食べられるようになって回復していくのだと思っているけれど、やっぱり、目の周りがくぼんで元気をなくし、笑顔のない娘を見ているのはリアルタイムではとても切ない。手術直前まで、元気いっぱいににこにこ動き回っていたから、よけいに……。
それでも、昨日まではベッドに固定された娘にひたすら絵本を読んでいたところ、今日は抱っこしたり、ひざに座らせたりしてよくなったので、だいぶ気持ちが違う。娘をひざにのせて、絵本を読んだり、パズルをしたりして遊ぶ。そのうちに少し疲れてきたようなので、抱っこしてゆらゆらして過ごす。眠るかなと思ったけれど、眠らない。
少しわたしが疲れて、自分で支えながら、ベッドのはじっこに腰掛けさせる。娘はわたしの背中に手を回して、しっかりと、はなれないように抱き寄せようとする。背中にまわる小さな手を感じて、その気持ちをとても感じる。静かに黙ったまま、ただただ、しがみついている。
まま、寂しかったよ。まま、もういやなの。まま、どうしてこんなふうになっちゃったの。おうちにかえりたい。まま、行かないで。ひとりにしないで。寂しいの、寂しいの、ここにいて。何も言わない娘の、ただ静かにわたしを抱き寄せる手から、感情がどくどくと伝わってきて。ひたすらわたしも娘を抱き寄せて、声をかけながら、背中をずっとさすりつづけた。娘の頭のぬくもりを、あごに感じながら。
「まま!まま!」と糾弾されるのもこたえるけれど、こんなに静かに訴えられるのはまた、これまで一緒に暮らしてきた中でも初めてのことで。ことばがなくてもこれほどに、沁みるように感情というのは伝わってくるものなのだなと知る。
ちなみにこの日は、朝ごはんは完食したが、お昼ごはんは半分くらいしか食べなかったとのこと。看護師さんには「朝ぜんぶ食べたので、お昼はあんまりおなか空いてなかったみたいで」と言われたけれど、ふだんの食欲から考えると、お腹が空かないわけではないような気がする。表情的にも昨日より元気がない印象なので、精神的なストレスがさらに強まっているようで心配。
じきにおやつのウエハースと牛乳が運ばれてきた。
娘は牛乳が大好きなのだけれど、昨日、おやつのときに運ばれてきていた牛乳、そういえばいつのまにかどこかに持っていっていかれてしまっていた。まだ水分制限が厳しいのかなと思っていたが、おやつやごはんはもうしっかり食べているので、牛乳、飲ませてあげたいなあと思っていたのだが。今日も、おやつのウエハースは渡してくれたものの、牛乳は別の机に置かれたまま。また持っていかれてしまうかな。
大好きなもの、飲ませてあげたいなあと思い、看護師さんに「牛乳はまだ飲めないんですか……?」と聞いてみる。と、「あ、いいですよ!どうぞどうぞ」と言われ、普通に飲めるらしい。あれ?じゃあ昨日までも、わたしたちがいた時間に飲んでいないだけで、飲ませてもらえていたのかな……?
そう思ったけれど、娘が牛乳をごくごく飲む様子を見て、看護師さんが「牛乳、好きなんですねえ!まだ3本くらい(娘に運ばれてきた)牛乳ありましたよ!」と言う。つまり、3回分の牛乳を、娘は存在を知らずにスキップしていたことになる。うーん。
手術翌日は飲水制限厳しかったからそこは理解できるけれど、昨日はいったいなぜ。今日も、わたしから聞かなかったら、たぶん存在を知ることもなく冷蔵庫にしまわれていただろうしなあ、ともやもや。もちろん医療的にわたしの知らない事情があるのかもしれないし、とは思いつつ。
でもやっぱり、見た目にも痩せてしまった娘にショックを受けているだけに、カロリーもあって大好きな牛乳がもうちょっと前から飲ませてもらえていたらなぁ……なんて細かいことを考えてしまうのが親という生き物だったりね。いやいや、過ぎたことはしかたない。今日聞いて、娘が牛乳をめっちゃ飲むことを知ってもらえて、よかったと思うことにしよう(ちなみに、その数日後、量は変われど水分量の制限が続いていたということを知った。そういう情報って、リアルタイムで共有してもらえたら、もやもやせずにありがたい……と思ってしまうのはやっぱり欲張りなんだろうか)。
15時すぎ。おやつを食べさせているうちに面会時間を過ぎてしまい、娘に別れをつげる。土日は特別に夜間も少しだけ面会時間があるので、また18時過ぎに面会する予定だが、いったん退室しなければならない。
わたしたちが帰ろうとするのがわかった途端、ウエハースをにぎりしめたままの娘は「まま!まま!」と叫びはじめる。「娘ちゃん、きょうはまた、あとで来るからね。また、あとで来るよ。夕ご飯食べたころに来るからね」何度もそう言うけれど、もちろん一度離れたらなかなか会えない日々を送っている彼女には届かない。
次第に「まま!ままー!!」と、声が大きくなってくる。体力が落ちていて、さっきまでわたしにしなだれかかるようにして、弱々しく静かにしていた彼女。そんな自分の持てる体力の極限を引き出すようにして、「ままー!!ままーーー!!!」と泣き叫ぶ。
あまりに苦しくて、もう一度だけベッドに近づいて頭をなでる。でもどうしようもない。看護師さんに笑顔であとをお願いしますといって、さっと病室をあとにする。PICUを出てしばらくは放心。
気持ちを切り替えて、近くのショッピングセンターへ移動し、カフェでそれぞれPC作業。
18時に再びPICUを来訪。娘は静かで、昼間よりもさらに言葉少なで、昨日よりも元気がない印象……。さすがにこの環境が長く続くことに疲れてきたのかもしれない。手術前、つまりほんの数日前とは打って変わって、目に力のない娘の表情を見ているのはきつい。それが紛れもなく「わたしたちの選択の結果」なのだと知っているけれど、それを思うとさらにつらい。どうしようもない。
夕ご飯が運ばれてきていたので、「ごはん、食べる?」と聞くと、かろうじて「うん」と言う。よし、食べようかと言って食べさせる。
最初は食べてくれたが、昨日の昼のような食欲は見られない。結局半分ほど残して、もう口を開けてくれなかった。看護師さんの報告を聞く限り、体は少しずつでも回復の方向へ向かっているはずなのに、やっぱり気持ちの面が弱ってきてしまって、食欲が落ちているのかもしれない。時折うつろな目をして、ぼうっと遠くを見ている。見たことのない表情。目に輝きがない。
彼女にとってみれば、毎日ひとりきりで知らないひとたちに囲まれて、ベッドの上に拘束されて過ごし、苦い薬を飲んだり採血されたりレントゲンをとられたりを繰り返すだけの日々が、どこまで続くかもわからず、呆然としているのかもしれないと思う。しかも、彼女は数日前まで元気だった。とても元気だった。踊ったりタタタッと走ってニコッ!と笑えるくらい、とっても元気だった。はずなのに、突然、目覚めたら体中のありとあらゆるところに針がさされ、管がはりめぐらされている状態で、体調もしんどくてつらい。父母もたまにしか会いにこない。何が起きているの、なんで?なんでこんなふうになっちゃったの……??そういう気持ちでいっぱいなんじゃないだろうかと思い、その状態を彼女に与えているのは紛れもなく親である自分なのだという事実を思い、胸がつぶれそうになる。つらい。つらい。
ごはんを食べ終えて、絵本を読んで、最後は抱っこでゆらゆらしつつ、ジブリの歌で子守唄をーーとなりのトトロ、さんぽ、やさしさに包まれたなら、君をのせて、ルージュの伝言……までを、極力スローテンポでゆったりと歌ったけれど、娘はついに眠らなかった。ストレスで眠れないのかもしれない。
眠ってからバイバイしたかったけれど、結局夜間面会タイムオーバー(すでに看護師さんの了承をとり大幅に延長していた)で、娘が起きた状態のまま、また病室を去ることに。「明日になったら、お部屋をうつって、パパやママとずっと一緒にいられるようになると思うからね。今日このお部屋でもう1回ねんねしたら、明日になるからね。また明日ね」
そんな説明にもちろん納得するわけもなく、泣きはじめる娘。
「まま!ままー!!」
すがりつくように泣き叫ぶ、その声が何度も、何度も繰り返しがんがんと響いていて、頭がわれそうにつらい。笑顔をつくって娘に手をふり、病室をでてゆく。
つらい、つらい、つらい、つらい。
体は回復傾向にあるはずの娘が、目の前であれほど元気がなく、目から力を失った表情をしていることがとてもつらい。そしてその表情をさせているのが、数日前のいきいきとしたあの表情と踊れるほどの体力をうばったのが、親である自分の選択の結果だということがつらい。自分で選んだのだからつらいという資格なんてないと思うからよけいにつらい。
ごめん、やっぱりつらいや、と夫に言う。過去は変えられないし、今現在の状況が変わるわけじゃないから、言ってもしかたのないことは言いたくないのだけれど、それでも今日は「つらい」って口から出てきてしまうから、先に謝っておくね、ごめんと言った。夫は「いいよ。押し込めておくよりよっぽど」という。ありがたい。
「……これでよかった、って、いつか言いたい」とわたしが言うと、「うん。でもそれは今はまだ言えないから。いまは、つらいはつらいで、そのままでいいんだよ」と夫が言う。ああそうだなあ、それでしかないよなあと思う。ああつらいなあ、つらいなあと噛みしめる。つらいものは、つらいんだ。
家に帰ってから、遅めの夕食を兼ね、いつぶりかというくらいものすごく久々に、夫と外で1杯だけお酒を飲んだ。行きの道のり、ずっとわたしは「つらい、つらい」と言っていてとても食欲がなかったけれど、お店に入ってお酒をなめて、あえて仕事関連の話を聞いたりしたりするうちに、少しずつ気分が変わってきた。
事実には色がない。それをどんな色でみるかは、そのひとの捉え方次第だ。すべては何が起きるかではなく、それをどう受け止めるかなのだ。いろいろなひとがいろいろなところで言っているそんなふうなことを、改めて思う。
娘の今夜の状況は、いまわたしがどれだけここで心を痛めたところで、変わらない。今夜娘はひとりでさみしく心細く眠る。それは変えられない。変えられるのは、病棟にうつってからや、退院して家に戻ってからのこと。そしてそのときになったら、存分に娘を甘えさせてあげたい。娘はたぶんもう、10年分くらいを一気にがんばった。その事実を忘れてはいけないと思う。
何も変えられないとわかっていながらわたしが「つらい、つらい」とその感情を繰り返し認識するのは、その事実を忘れないためでもある。ひとは簡単に忘れる動物だからだ。今これほど切なく思っても、たとえば完全に元気に戻ったら、ちょっとしたことにイラッとしてカッとなってどなる、そんな自分が想像つく。そんなときに、このときの「つらい、つらい」を引き出せるようでありたい。そして思い出したいのだ。ああそうだ、娘はもう10年分を一気にがんばったのだということを。
昨日の朝の時点では、日曜日に病棟へ戻ることにちょっとした懸念すら示していたわたしは、今日はもう180度変わって、明日病棟へ戻れることを強く強くのぞんでいる。娘と一緒に過ごしたい。付き添いベッドで腰が痛くなっても睡眠不足でもいいから、娘のそばにいてやりたい。
どうか明日には、病棟へ戻れますように。
(つづく)