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むすめ2歳の入院日記(10)術後7日目

9月4日(水)晴れ

早朝、隣のベッドから「ねえねえ」と言われて目が覚める。結局あのあと、深夜12時ごろにまた起きたが、その後は朝までノンストップで眠れたようだ。わたしも慣れてきたのか、付き添いベッド史上最高に眠れた気がする。

「ねえねえ」と呼ばれたので娘のベッドにのぼり、薄暗い室内でそのまま静かに寄り添ってまどろむ。娘ももぞもぞとはしながら、母が横に来て安心したのか目を閉じている。意識はあるけど完全に起きる前、互いの温もりを感じながらゆっくりと過ごすひととき。幸せ。

しばらくしてわたしが起きると娘も「おちゃ、のむ」と言って起きる。水分をとらせる前に体重を計りにいかなければならないので、抱っこで体重測定へ。通りすがりにナースステーションの看護師さんに「娘ちゃん、もう酸素外してもらってだいじょうぶですよ」と言われる。やった!

体重は昨日よりも減ってしまっていたが、まあこれからだ。それよりも酸素チューブなしでOKが出た喜びがまさる。鼻から酸素を供給するように顔にかけられていたチューブがなくなり、洋服を来ていれば見た目はいつもどおりに近くなってきた。

朝食まで絵本を読んだり、昨日もらった乗り物で遊んで過ごす。もらったトミカの中に工事現場で使う車があり、「こうやって土を運ぶんだよー」と夜に説明していたのだが、それを覚えていたらしく、朝、遊んでいるとその車を指しながら「ここで、つちを、はこぶ」と言うではないか。ちょっと本物のイメージを見せてあげたいなあと思ってYoutubeでその車の映像を見る。食い入るように見ている。

朝の薬が来たので、ヨーグルトをごほうびになんとか飲む。8時ごろ、ようやく朝食が運ばれてくる。完食とはいかなかったが比較的よく食べた。昨晩あまり食べなかったから、おなかもすいていたのだろう。

朝食後、初めて日中のプレイルームに行ってみる。入院している病棟にはプレイルームといっておもちゃや絵本が置いてある部屋があり、平日の日中は保育士さん1名も常駐しているのだ。わたしは後から知ったのだが、平日は決まった時間に日替わりで「プラバン」「壁飾りづくり」などなど、ワークショップ的なものもあるらしい。

……ということはまったく知らず、とりあえずおもちゃで遊んで気分が変わればと、プレイルームに入室。すでに数組の親子が遊んでいた。最初は穏やか遊んでいたのだが、しばらくして常連さんたちがやってきて、顔なじみ同士でわっとおしゃべりが始まり、ワイワイガヤガヤといった感じに。わたしたちは無理にその輪に入ることもなく。娘もマイペースにもくもくと、小さなキッチンにおままごとの食材を入れつづけ、ひとり静かに嬉しそうにニコニコしているのでよしとする。

それにしても、ほとんどの子が酸素供給チューブをつないでいる以外は、児童館と何も変わらないような光景。術後、前日までの静かな入院生活とは違って、入院生活の新たな「日常」をのぞいた瞬間だった。長期の方々は入院生活に慣れているぶん、そこで「小さな社会」が形成されているのをじわじわと感じはじめる。

特にとある常連さんは、看護師や医師とのつきあいも長いからか「あの若い看護師、○○のときに、✕✕してくれなくってさ。信じられない!いやー、アイツだめだわ!」みたいな会話を大声で堂々とする。途中で看護師さんが入ってきたときにむしろわざとその話題を繰り返す、というようすを見て、うわあ……と思ってしまった。ああ、大変だなあ、医療スタッフ……。

……と思う反面、もしかしたらすでに双方の信頼関係があって成り立つ、愛のあるいじりあい(?)のようなケースもないとはいえないし、ほんとうのところはわたしにはわからない。だから「うわあ」と第一印象では思いつつも、みんなそれぞれ、いろいろあるんだろうなあと思いながら見ていた。

自分には到底理解できないと思うものが混在している状態がほんとうの”多様性”だと、確かえらいひとが言っていた気がするし。きっと彼女には彼女の、わたしの想像をはるかに越えた事情がいろいろとあるのだろうし、わたしはそれを完璧に理解しなくてもべつにいいのだ、と思う。

個室にこもっていたときには自分の娘のことにしか目が向いていなかったが、状態が落ち着いて出歩けるようになると、入院病棟の日常や、長期入院患者さんの小社会みたいなところに少しずつ目が向いてくる。だれもがお互いに理解し合えるわけでもないけれど、みなそれぞれたくましく、それぞれの事情をもって、しゅくしゅくとここで毎日を送っているのだ。

手遊びうたが始まるタイミングで、娘は処置の呼び出しがあり、いったん部屋へ戻る。外科医が来て、皮膚から出ていたワイヤーを抜いてもらう。これは不整脈など異常があったときにすぐペーシングができるように、心臓の表面から外へ出されていたもの。異常がないかあとで念のため心エコーしますね、と言っていた。娘は処置の間は怖れて暴れていたが、外科医の手さばきはスピーディであっという間。このときは特に鎮静剤などもなし。でも処置が終われば引きずることもなく、手早い処置はありがたい。

プレイルームに戻ると、プラバンづくりの時間が始まっていた。用意してくれているいろいろな絵から好きなものを選び、それをなぞって、色を塗って、オーブントースターでチン!という手軽な感じ。途中からの参加だったけれどシンプルな絵柄を選んですぐに完成。プラバンなつかしいなあ。今でもあるんだなあと感動するわたし。この「日常」の中にいると、入院っていったいなんだろうという気分になってくる。

いったんわたしたちの自宅の方に泊まってもらっていたばあばが来てくれ、娘の相手をしてくれる。ばあばに娘の昼食をあげてもらっている間に、わたしは食堂で昼食。まともなごはんはちょうど1日ぶりでありがたい。

午後、レントゲンに呼ばれ、抱っこで撮影へ。もう覚えたらしく、心電図のシールを剥がされるときに嫌がったくらいで、撮影はまったく泣かず。

ようやくお風呂の許可が出る。もともとのアトピー体質もあり、最近になってあちこち痒がるようになってきていたので、いったん汗を流してしっかり保湿をしてあげたいなと思っていたので嬉しい。沐浴室でお湯をためてもらっていたが、連れて行くと慣れない場所で猛烈に嫌がる。結局看護師さんに謝って、部屋でシャワーをすることに。これも久々で「いや、いや」と言っていたが、なんとか遂行。さっぱり。

おやつに届いていた牛乳をおいしそうに飲んで、絵本を読んでいたら、そのまますうと寝てしまった。お昼寝していなかったし、眠かったんだな。「いや、いや」の連発は眠くて不機嫌なのもあったのだろう。

ばあばはまた明日といって帰宅。

ペーシングのワイヤーを抜いてくれた心臓外科の担当医がひとりで来てくれ、心エコー。娘はちょっと起きて嫌がったが、わたしが手を押さえるくらいでそのまま継続。手慣れた担当医、ぱぱぱ、と見て「問題ないです」と数分で終了。いつもこうやって、眠り薬なしで心エコーしてもらえたらありがたいのだけどなあ。昨日の心エコーは内科管轄だったからだろうか。ううむ。

そこで一度起きたはずの娘、体がまだ疲れているのかその後もそのまますうと眠りつづける。

帰宅中のばあばから、口唇ヘルペスが出てしまったとのLINEあり。看護師さんに確認したら、やはり2、3日はできれば付き添いを控えたほうが……とのこと。ばあばのヘルプを期待していたわたしはあーあ、と思うが、まあ、そのために飛んできた本人が一番がっかりしているので何も言えない。

夕食が運ばれてきて、しばらくしてから娘が起きる。夕食はまあまあ食べる。利尿剤が少し減り、1日4回から1日3回になったので、眠る前の服薬がなくなって嬉しい。前日までは夕食前後の服薬から、3時間以上あけてもう1度服用というのがあり、眠る時間とのやりくりがなかなか難儀だったから。

夜は添い寝。夕方眠っていたからなかなか寝ないかなと思っていたけれど、絵本を何冊か読んで電気を消したら、思いのほか普通に寝た。わたしもなんだか疲れと安心感とで、朝まで添い寝のまま眠る。ああ、そばにいられるって当たり前じゃなくて、なんて幸せなことなんだろう。噛みしめる。

(つづく)



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