やりたいことだけをやっていたら、それが仕事になっていた【2/5】 【ワーホリ、その後#002】
※本記事は全5回の第2回です。【→ 第1回を読む 】
■ 「なんじゃこりゃ!」タスマニアで衝撃の出会い
↑ タスマニア滞在中のひとこま。農場を手伝いながら3ヵ月を過ごした
行き先に選んだのは、タスマニア。
世界でも最も山岳地帯の多い島のひとつであり、太古からの自然が残る地としても知られている。なぜこの地を選んだかといえば、それは「偶然」なのだという。
「農場が数千件載ってる本を渡されて。でも当時、英語ができないから、どこ行ったらいかわからなくて。で、最初のページ開く、タスマニアって出てきた、はいもうここで、って(笑)。その中で唯一、説明に“beer”(ビール)って書いてある農場があったから、じゃあここで!って」
運よくすぐに受け入れ先が決まり、タスマニアへ移動。順調に農作業の手伝いなどをしながら、1ヵ月ほどが過ぎたころ、ある出会いが訪れる。
そのころもとさんは、以前、日本でサッカーをしていたときに痛めた膝の痺れが増し、2ヵ月ほどの間その痺れに悩まされていた。それをステイ先のオーナーに相談したところ、オーナーは、いつも自分が通っているというあるセラピストのところに連れて行ってくれたのだ。
そして、そこでの施術体験が、もとさんの人生を大きく変えることになる。
「もう、衝撃をうけて。なんじゃこりゃ!!と。ずーっと、2ヵ月も続いてた痺れが、体をほんのちょっと触るだけの治療で、一発でなくなって。それまで日本でも接骨院や整体院に行ったことがあったけど、こんなこと考えられなかったから。その瞬間にもう、習いたい!と思ったんだよね」
それが、ボウエン・テクニック(以下通称、ボウテック)と呼ばれるものだった。マッサージでも整体でもなく、筋肉や腱をごく軽く刺激することで細胞に働きかけ、体が本来持つ自然治癒力を高める、オーストラリア発祥の療法。「ボウテックを、習得したい」。強い気持ちがもとさんを突き動かした。
■ 大反対を押し切って、修業の道へ突き進む
↑ 東京・麻布十番に開業したクリニックでの施術風景。服を着たままの優しいボディワークであることもボウテックの特徴のひとつ
「でも、反対されたわけよ。その農場のオーナーにも、治療してくれたセラピストの人にも。『あなた英語ができないから、今すぐ習い始めるのはちょっと厳しいよ』と。でも自分はやりたくてしょうがない。英語がどう、とか考えないわけよ。やってみて、ダメだったらあきらめよう。とりあえずもう、やってみっぺと思って(笑)」
これだ!と思ったら、失敗してもいいからまずやってみる。その領域に足を踏み入れてみないことには、失敗だってできないから。これまでの転機エピソードを聞いていると、そんなもとさんシンキングが見えてくる。
「もう3ヵ月」のつもりで足を伸ばしたオーストラリアに、長期滞在することを考えたのは、この日がきっかけだった。
「資格をとるなら、長い期間オーストラリアにいることになるかもしれない。当時は3ヵ月農場で働けばセカンドビザというのがとれて、2年間はワーホリとしてオーストラリアに滞在できるというシステムだった。それを知って、まずは3ヵ月をそのまま農場で過ごして」。
いざ習わん、と一番近くで教室をやっている場所を探すと、シドニー郊外にボウテックの先生が開いている教室兼クリニックがあることがわかった。
3ヵ月後、セカンドビザの権利を取得して早々にシドニーへ飛び、その先生を訪問。修行の日々が始まった。
■ 技術試験をトップで突破。独立OKのお墨付きを得る
まずは都市部のシェアハウスで暮らしつつ、毎日約2時間かけて、郊外の先生のもとへ修行に通った。
距離が遠いのに加え、習っていくうちにますますボウテックへの興味が募ったことから、ダメもとで先生のクリニックに住まわせてもらえないかと打診してみると、答えは「OK」。クリニックの部屋をひとつ空けてくれた。
「言ってみるもんだよね、ラッキーだった」と笑って振り返る。何事もアクション。「とりあえず自分から言ってみる」の大切さは、外国で暮らしてみると思い知る。
「そこから住み込みがはじまって。先生の後ろで、技を盗みながらの毎日」。先生による実技講習のかたわら、英語のハンデを負いながら筆記試験に向けても猛勉強を続けた。
そして迎えた、数ヵ月後の資格試験。なんともとさん、そのとき唯一の日本人にして、その試験を首席突破。先生が当時教えていた28人の生徒の中で「技術試験はあなたがトップ」の評価を獲得し、「独立OK」のお墨付きを得る。
「たぶん言葉ができなかったから、逆に技術試験がトップになれたんだと思う。こっち(技術)で磨くしかないと思っていたから。他の生徒は通いだから、先生の技術をつきっきりで見られてるのも俺だけだし。そしたら技術試験トップ。筆記はギリギリだったけどね」
そのままそのクリニックで働き始めてしばらく経つと、徐々にもとさんの人柄や技術に惹かれてリピーターのお客さんがつき始める。状況の変化に合わせて、次第に郊外のクリニック拠点から、シティでの出張治療を主に行うようになっていった。
■ 激動の半年を経て、それを仕事に生きていこうと決めた
セラピストとして働き始め、次なる転機としてもとさんが挙げてくれたのは、「『Cheers』の取材を受けたこと」だった。
ここで、私の記憶ともとさんの記憶が一部重なることになる。
当時の私は、シドニーの日本人向けフリーペーパー『Cheers』でライターとして働かせてもらっていたのだが、編集長のたいへん粋なはからいで、知人でもあったもとさんを『Cheers』のインタビューページで取材させてもらえることになったのだ(当時の記事内容はこちら)。
『Cheers』に記事が載ったのが、2012年の3月のこと。 渡豪からちょうど、1年が経ったころだった。
ボウテックという治療法の存在を聞いたことすらない状態から、突然の出会いで興味を持ち、語学の壁がある中で勉強と実践を重ね、個人のリピーター客も数人つき始めて、まだ1年。恐るべき密度である。しかも、資格取得からの期間で言えば、たったの半年だ。
「確かに半年間の密度は半端なかった(笑)。あの、突き進み具合のエネルギーったらすごかったね。でも何にも考えてないんだよ、もうそれしかないから、やること」。
たいしたことないよという顔をして、もとさんは言う。でも、ちょっと自分ごととしてイメージしてほしい。何も知らないボウテックの修行を始めて、資格を取得し、それを趣味ではなく、きちんと相手が納得して対価を支払う“仕事”にし、しかもリピートして依頼がくる状態にするまで、半年。本人は、「マッチしてたんだね。奇跡だよね」とやっぱり気負いなく笑う。
ちなみに『Cheers』での取材当時は、シドニー近郊でクリニックを開業するかも、というタイミング。いろいろと検討した結果、最終的には出張治療の形を継続することにしたのだが、記事になったことで日本人のお客さんからの問い合わせが続々と舞い込み、3日で40件の予約がきたという。
シドニーの中心地に住むお客さんが多くなったため、独立後はシティの近くへ引っ越した。その後日本へ帰国するまでの3年間、お客さんが途絶えることなく出張治療を続けた。
■ 出張治療の傍ら、サッカースクールの人気講師に
↑ 運営していたサッカースクールの生徒たちと
もうひとつ、ぜひ紹介しておきたい側面がある。
それが、サッカー講師。そう、実はもとさん、セラピストの仕事が軌道に乗ってからの3年間、出張治療を続ける一方で、新たにサッカースクールの講師という一面も開花させてゆくことになるのだ。いったいこちらはどんなきっかけで始めたのだろうか。
「サッカーで活躍できる可能性を求めて、日本からシドニーにやってくる若いサッカー選手たちがすごく多くて。自分も3歳からずっとサッカーをやっていたこともあって、もともと彼らのケガを無料で診てあげたりしていたんだよね」
そうして出会ったサッカー選手のひとりに、現地で小学生の男の子5、6人を個別練習という形で教えている人がいた。だが、あるときその彼が別の国へ旅立つことに。
「じゃあその子たちを受け持つよ」という流れで、もとさんのサッカースクールがスタートした。2年ほど続けるうちにクチコミで評判を呼び、当初5、6名だった生徒は、帰国の頃には40名以上にまで増えていたそうだ。
クラスは、ビギナークラスとレギュラークラスの2種類。ビギナークラスは、8割を日本人以外が占める。ボウテックの修行のおかげで、「その頃には英語でも教えられるようになっていた」と、もとさん。外国語を学ぶのは目的ではなく手段である、とはよく聞くことだが、もとさんの話を聞くとそれを改めて実感する。
「ほんとそう、それは感じる。英語を話すのが目的になっちゃってたら、絶対話せてなかったね。『英語を話そう』じゃなくて、『ボウテックの資格をとろう』と思ってたから」。
リュックひとつを背に、「もう3ヵ月」の気持訪れたオーストラリア。結局、働きながら4年の月日を過ごし、サッカースクールの送別会では生徒とその親たち、70人近い人たちが送別会をやってくれた。「こんな幸せなオーストラリア生活なかったよね」と、しみじみと振り返る。
ボウテックと、サッカースクール。どちらも口コミで、人が人を呼ぶ形で人気を集めている。成功の秘訣ってなんだったと思う?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「まずとにかく、ふたつとも、好きだったよね。大好き。サッカーも、治療も、こどもたちも。とにかく『楽しかった』から。こどもたちはサッカーやっていたらすごい笑顔で、こっちもエネルギーをもらえるし。お客さんを治療してても、よくなったー、って言ってさ、またエネルギーもらうでしょう。それでお金もいただけてさ。こんな楽しいことないよね」。
本当に楽しんでいる。なんだろう、この、心の底から楽しんでいる人から伝わってくるエネルギー。そこに変なウソとか無理がない感じ。気持ちがいい。
(つづく)
■次回は明日6/13(水)にアップ予定です。内容はこんな感じ↓
やりたいことだけをやっていたら、それが仕事になっていた 【3/5】【ワーホリ、その後#003】
・ おなかすいたからカレー食べたい、みたいなシンプルさで働く
・ 郷に入っても郷に従わないスタイル
・ 失敗は、したときに考えればいい
・ やりたいと思っていることを、追求し続ける
2015年に実施したインタビューは第3回で終わりです。第4回、第5回は2018年の追加インタビュー分となります。ついでに予告!
第4回 <2018年追加インタビュー>
・ 事業を拡大、4本柱で展開中
・ 整体の知識を投入したサッカースクール、始動
・ 好きなことだけやって、生きてます
・ 技術を磨きつづけていれば、結果につながっていく
・ 奥さんの「どうにかなるよ」に励まされ
第5回 <2018年追加インタビュー>
・ 海外生活は、いまの幸せの起点
・ とりあえず一回、からっぽな自分になってみる
・ 今も常に、つぎは何をはっちゃけようか考えてる
最後までお読みくださり、ありがとうございます!次回もぜひ遊びにきてくださいー。
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<途中から読み始めた方へ>
※『ワーホリ、その後』を始めた理由はこちら
※マガジンページで、『ワーホリ、その後』シリーズ一覧できます
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。