むすめ2歳の入院日記(9)術後6日目

9/3(火)晴れときどきくもり

昨晩は夫が付き添い。夫は朝10時からの社内会議にリモート参加したいということで、わたしはそれまでに交代できるよう、朝8時ごろ家を出る。その時間帯はアクセスのよいバスがあり、1時間15分ほどでスムーズに到着。

娘は朝から採血やレントゲン。ちょうど病棟の入り口で、採血が終わった娘を抱いた夫に遭遇。レントゲンまでは夫に託し、わたしは病室で待機。

その間、部屋の換気をし、机に散乱した薬の空袋を捨てたり、使ったままのスプーンやエプロン、コップなどを洗い、もろもろの付き添い環境を快適に立て直す。

む、なんか臭うなと、ベッドに干してあった娘のズボンをくんくんとしてみたら、あ、これはおもらししたなと察する。とりいそぎハンドソープで手洗いしてシャワー室に吊るす。

しばらくして夫と娘が帰ってきた。「娘ちゃん、おはよう。来たよ。検査がんばったんだってね」というと「うん」と言う。

夫に「あ、娘ちゃん、おもらしした?」と聞くと「あ、やっぱりそうだった? めっちゃ汗かいたのか、どっちかなと思ったんだけど」と夫。いやいやいや、と思うけれど、これが男女の嗅覚差だったりするのだ。気づけば布団もびっしょりと濡れていて臭う。スタッフさんに布団の交換をお願いする。

来て早々、感謝から入るべきところでつい口うるさくああだこうだ言ってしまった自分を反省しながら、でもここに日常が戻りつつあるのを感じていた。ささいなことを気にできるのは、平和な証拠ともいえるから。

夫をリモート会議に送り出し、娘と遊ぶ。「えほん、よむ」と言えば絵本を読み、「かみしばい、よむ」と言えば紙芝居を読み、「ぱずる、しよ?」と言ってパズルをする。ふつうに遊んでいたが、突然ちょっと不機嫌になり「いや、いや」と言い出す。お絵かきに遊びを変えて少しだけ気持ちを持ち直したが、また「いや、いや」とぐずりはじめた。

たしかに、ひたすら景色の変わらない同じ病室の同じベッドの上で1日を過ごし、遊びの選択肢もルーティンでネタも出つくしていて、飽きを感じはじめているのだろう。いつまでここでの生活がつづくのかも、彼女には見通しがたたないだろうし。もう全体的に「いや、いや」となるのも無理はない。

心電図モニターは持ち運びできる小さいものにしてもらっているので、あとは酸素のチューブが外れれば、かなり身軽に出歩けるようになるのだけど。酸素ボンベをわざわざ借りて出歩くのはなかなか億劫に感じてしまうが、まだまだ続くようなら、ボンベをひいてプレイルームや病棟内のお散歩にいけるようにしないとなあ。新たに頭を悩ませつつ、でもこんなことが考えられるようになったのは回復の証拠だなあ、としみじみ思う。

遊びに「飽き」るほどの体力がついてきたこと。そして「出歩く」が選択できるのは、安静状態から脱したということ。PICUでひたすらベッドに横たわっていたところからたった数日間だというのに、すごいことだ。

会議と昼食を済ませた夫が病室へ戻ってきた。ほどなくして、昼食が運ばれてくる。娘のリクエストにより、今回は母がごはん担当。ちなみに朝ごはんは完食したと言っていた。昼食は完食とはいかなかったが、昨日よりはだいぶ食欲が戻りつつあるのを感じる。少しずつ、少しずつだ。

途中でゼリーを欲しがる。「ゼリーはおくすり終わってからね」「いや、ゼリー」「おくすり終わってからね」の攻防を何度か繰り返し、なんとか薬を飲ませる。昨日からの、リンゴ果汁粉末をプラスした薬+ごほうびのひと口ゼリー作戦で、なんとか口から薬が飲めている。リンゴ果汁粉末とそれを教えてくれた看護師さんに感謝。そして早い段階で夫にスーパーでひと口ゼリーを買ってくるよう指示を出したわたしはグッジョブだし、それを快く引き受けてよさげなゼリーをチョイスした夫もナイス。何よりいやいや言いながらもちゃんと飲もうとがんばる娘もスーパーナイス。つまりみんなえらい。

再び夫に娘を任せ、わたしはいったん昼食休憩に出る。病院の食堂で日替わりランチを食べ、ラウンジで少しだけPC作業。ちなみに明日からは夫が1週間ほどの出張だ。それにあわせ、今日はわたしの実家の母が、飛行機の距離から到着することになっていた。

部屋に戻ると、すでに母が到着。そして娘はベッドの上で、真新しいSL汽車を手に遊んでいる。

娘が最近、電車や汽車が好きという情報を共有していたので、ばあばとじいじが相談して選んでくれたものだという。他にもトミカのバスや車など。ちょうど「飽き」が強まってきたタイミングに、救世主あらわる。熱心に手で汽車を走らせて遊ぶ娘。よかったねえ、娘ちゃん。

おやつは牛乳と黒糖蒸しパン。

大好きな牛乳は全量飲みきる。表に水分量を記録しながら、なんと朝に350mlも飲んでいることに気づいて愕然とする。上限900mlからこれまでの摂取量をひくと、翌朝6時まで飲めるのはあと165mlほどじゃないか。いきなりのプレッシャー感一気に強まる。食事は水分量に含まないというので、夕食にどうかスープが出ますようにと念じる。

母が来てからは、初日ということもあり母にほぼ任せっきりで、娘と遊んでもらう。娘もひさびさでうれしいのか、「ばあば、えほん」などといってばあばを指名。乗り物遊びのあとはまたひととおり、ばあばと一緒に紙芝居、絵本、お絵かき、パズルのフルコース。

今日はまだ心エコーもあると聞いているのだけれど、なかなかお呼びが来ない。おそらく眠り薬使用になると思うので、お昼寝の時間だと嬉しかったのだけれど、そううまくはいかないものだ。でもこれから眠り薬になると、夕方起きずに、夕方の服薬と寝る前の服薬の時間もずれて、眠るのが遅くなる……というパターンだよなあ、きっと。

15:30を過ぎたころ、心エコー呼ばれましたと連絡あり。眠り薬は座薬にしてもらう。お尻から薬を入れられるのを察知した娘は、「いや!いやー!!!」と泣き叫んで全力で抵抗する。3人がかりで拘束され、薬を入れられる。

娘がこれほど抵抗するのは、おそらく「今」の、お尻から薬を入れられる苦痛だけに対するものではないだろうなと、その姿を見ながらわたしは感じていた。彼女はお尻から薬を入れられたあと、自分がぼうっとして眠ってしまうのをもう知っている。しかも直近の記憶では、そうやって眠らされたあと、起きたら、体中に何本もの針や管がつながれていて、元気だったはずの体はしんどくなり、両腕も固定されて寝返りすら打てず、しかも周りには家族もおらず、知らないひとに囲まれ、痛くて苦しいことをたくさんする日々が始まったのだ。それが眠り薬から起きたときの直近の記憶。ぐるぐると転げまわらんばかりに必死で抵抗する彼女は、それを説明することばを持たないだけで、またあの状態になることを怖れているのではないだろうか……。

その証拠に、すでに座薬を入れ終わったあとも、彼女は「いや、いや、いや」と必死に繰り返しつづけていた。看護師さんやばあばや夫は、座薬を入れ終わって「ほら、もう終わった!終わったよ〜!」と言っているのだが、わたしは思わず「娘ちゃん、抱っこしようね」と言って抱き上げた。ふだんの娘は採血や注射も、針を指している瞬間は泣くが、針を抜くと一瞬でケロッと泣き止むタイプで、基本的には引きずらないタイプ。だから今彼女が嫌がっているのは、そういう「今の痛み」のことじゃないのだ。きっと信じてもらえないだろうけれど、それでも娘にちゃんと伝えなければいけない。

「娘ちゃん、不安だよね。前に起きたら、パパもママもいなくて、痛くて怖かったんだもんね。でもね、だいじょうぶだよ。今日は、検査するだけだからね。だから、眠って起きても、痛くないし、前のお部屋にはいかないよ。今日はママとお泊まりだって、お約束したよね。もうずっといっしょだよ。だから、だいじょうぶだからね。手術は、もうおしまい。今日はね、娘ちゃんのしんぞうがちゃんと元気になっているかな〜?っていう確認をしてもらうだけだよ。だから、起きてもまた、ママといっしょの、このお部屋で、いっしょにお泊まりだからね」

抱っこしても「いや、いや、いや……」と繰り返し、すぐには落ち着かない娘に、何度も何度も、どうやって噛み砕けば伝わるだろうかとことばを変えながら、そんな内容を伝える。それでも怯えて不安そうなようすのままの娘。「だいじょうぶだよ」と言われながら、手術直後の状態だけを考えれば全然大丈夫じゃない状況にぽん、と投げ込まれた彼女にとって、親の言う「だいじょうぶ」なんて今はそう簡単に信用できるものではなくなっているのだろう。

それでも、パパとばあばの応援も受けながらみなで必死に話している間に、娘も少しずつ落ち着いてはきた。単に薬が効いてきてぼうっとしてきたのかもしれない。起きている間に、パパは明日からお仕事旅行、ばあばは明日も会いに来てくれるよ、とバイバイをする。

ふたりになってもしばらく抱っこをしていたが、腕が疲れてきて「ごろんして絵本読もうか」というとまた「いや、いや」と言う。手術前は同じ状況でもリラックスして横になって絵本を読めたので、そうして離れたがらない状態にも、娘の不安の強さをひしひしと感じとる。必要といえど、やっぱり相当つらい思いをさせたのは事実だなあと、その度に何度でも思う。

それでも薬が効いてきたのか、ごろりと横になって腕で包み込むように添い寝をしながら子守唄を歌っていたら、寝た。看護師さんを呼び、酸素ボンベにつないで、心エコーの検査室までは抱っこで移動。わたしは部屋に戻って待機。

40分ほどで検査が終わって、迎えに来てくださいと呼ばれる。片手で娘を抱っこし、片手でボンベを転がして歩く。片手抱っこはもう重さ的にしんどく、何度も立ち止まりながら病棟まで帰還。

ぼうっと目覚めた娘は、とりあえず母といっしょにいることは理解したよう。ただまだ頭がぼうっとしているのか、「いや、いや」と不機嫌。夕方の薬を飲ませようとするも、もちろん「いや」という。何か気分を変えるものは、と考え、ばあばにもらったばかりの乗り物おもちゃを見せる。まだ新鮮なので、それで少し興味が変わったよう。しばらく寝そべったまままったりと遊ぶ。

まだ未開封のおもちゃがあったので、「おくすり飲めたら、ゼリーも食べて、ばあばのプレゼント、見てみよっか!」作戦で聞いてみると、ついに「うん」と言う。今日はほんとうに、ばあば様さまである。実際に薬を溶かしはじめるとまた「いや」、口へ運んでも「いや」と言うが、ご褒美の効力でお薬達成。

夕食はいつにもまして食べず。念願のスープがあってホッとするが、まともに食べたのはほんとうにスープの汁の部分くらい。あとはおかずとごはんもほんの少し。まだ薬の影響が残っているのかもしれない。明日の朝はしっかり食べてくれるとよいのだけど。

食事後の計量をして表に記録をしていたら、内科の医師が訪問。今日から、担当医師が外科から内科に変わるらしい。今日の心エコーでも、観察の結果特に問題はないとのこと。心臓の穴を縫い合わせた部分に漏れなども見られず順調らしい。はっきりそう聞けると安心する。

また、酸素チューブも明日の朝には外せそうと言われ、思わず「ああ、うれしいです!」とつぶやく。実は夕方、外出するために酸素ボンベの扱いなどを尋ねて簡単なレクチャーも受けていたのだが、そもそもチューブが外れてくれるなら嬉しい誤算だ。回復がうれしいし、出歩けるようになるのも嬉しい。心電図のモニターはまだついているから身ひとつではないけれど、持ち運びできるのでさほど問題ではない。

「やったね娘ちゃん!明日これ、はずしてもらえるかもってよ」と娘に言うと、何か感じとったのか、娘も一瞬にやりとしたように見えた。

それからはまた絵本を読んだり、乗り物のおもちゃで遊んだりして過ごす。夕方の服薬から最低3時間をあけて寝る前の薬というのを飲まなければならないので、なんとか寝かさないように、遊んで過ごす。

3時間経ったころに待ってましたと服薬。ごほうびのちっちゃなひと口ゼリーを食べて、歯みがき。

添い寝をしながら絵本をまた何冊も読む。21時ごろ、看護師さんが夜の検温などにやってくる。それが終わって、電気を暗くして、子守唄を歌っていたらすうと寝た。PICUから帰ってきたばかりのおとといの夜はその後何度も起きたけれど、今日は大丈夫だろうか。

今日はよく眠れますように、と思いながら今この日記を書いている。さっき一度泣きながら起きかけたが、声をかけてトントンしていたらすぐに寝てくれた。嫌な夢でも見ちゃったかな。その後は今のところ、ぐっすりと寝ているようだ。少しずつ、少しずつ、安心できるようになっていってほしいな。

ああ、明日の酸素チューブが外れるのが待ち遠しい。

こう書いて終わりにしようとしていたら、さっそく娘が暗闇の中で「いや、いや、いや……」と苦しそうに言いながら足をばたばたしはじめた。押さえつけられて処置をされる記憶が度重なっているから、夢の中でも出てきてしまっているのかもしれない。

だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよと声をかけて、頭をなでたりトントンしながら子守唄をワンコーラス歌ったら、また眠った。しばらくは続いてしまうかもしれない。仕方がない。退院したら、いろんなところへ行って、あた楽しいことでたくさんたくさん頭のなかをいっぱいにしてあげたいなあ……。

(つづく)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。