にやにやエリア
子どものころ、新品の洋服についているタグを集めるのが好きだった。
タグといっても、縫いつけられているものではない。洋服を買った日に、はさみでちょきんと切り離してしまう紙のあれである。多くのひとは、おそらくそのままごみ箱にポイしちゃうであろう、それである。
しかしなかなかどうして、紙タグの片面はブランドごとにいろいろとデザインの変化に富んでいて、わたしはそれを眺めるのがとても好きだった。
集めはじめたのはたしか、小学校二、三年くらいのころだと思う。子ども服や靴下のタグにはキャラクターが描かれたものもあったから、もともとはそれを捨てるのが惜しくて集めはじめたのかもしれない。
ところでなつかしき当時の学習机って、机表面にはまず緑色のシートがひかれ、その上にキャラクターなどの絵が印刷された大きな紙がひかれ、さらにその上に透明なビニールカバー、という三層構造のカバーが載せられたものが主流だった(本筋じゃないけど、最近の学習机っていつからあんなにおしゃれになったのですか。この前家具売り場で見てうらやましくなった)。
で、わたしはそのシートにはさみこむように──つまりキャラクターが描かれた紙の上に紙タグを置き、上から透明シートではさむ形で、所せましと紙タグのコレクションを並べていった。キャラクターはどんどん見えなくなったし、その上で書きものをすると、鉛筆がひっかかってがたがたした。
成長とともに、少しずつタグの好みも変わっていく。中学生くらいになると、紙質やフォント、レイアウトなんかも見る視点が加わり出す。
でも当時はそんなこと、言語化なんてできていなかった。言ってみればただただ感覚的に「なんとなく好き」で、その「なんとなく好き」なタグはやっぱりなんとなく捨てられず、なんとなく大事にとっておいた。
「なんとなく好き」が机一面を埋め尽くす。自然と目に入る。たしかにごちゃごちゃしていたけれど、案外わるくなかったなと今は思う。
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もうひとつ、捨てるに捨てられず学習机の中にとっておいたものとしてすぐ思い出すのは板ガムの特別パッケージだ。こっちはたぶん、小学校高学年から中学生くらいのときだっただろうか。
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