新卒研修で感じる『正論』の刃
学生が終わって早1ヶ月、
私は新入社員になりました。
今は所謂「新入社員研修」期間です。
新入社員研修、受けた人も受けていない人も思い出す、あるいは想像してみて下さい。
印象に残っていること、あるいはイメージとして浮かんでくるものはどんなものなんでしょうね。
私は今研修を受ける中、一つ感じた違和感について、今回みなさんと共有します。
新入社員研修、そもそも何するのか
同じく就職した友だちの話を聞いていると、
一言で「新入社員研修」といっても
とても幅広いものだと感じます。
私はITの会社に就職しました。
研修ではシステムとかネットワーク、
製品やプロジェクトマネジメント手法
なども学びます。
基本的に「新入社員を戦力にする」という
目的を持って内容は組まれています。
そんな中、「基本的ビジネスマナー」に関する研修もありました。
所謂「新卒研修」なんていうと、この辺のイメージは強いかもしれません。
このビジネスマナーに関しては、外部の研修として行われました。
他の企業に就職した新入社員さん達も一緒に受けます。
基本的に皆さんIT企業の方でしたが、色んな会社の新卒の方とグループを組み、何回もグループワークを行いました。
協働したい人は、どんな人ですか
その研修中、グループであるテーマについて話し合う機会がありました。
「あなたが協働したい人は、どんな人ですか?」 と。
なかなか深いテーマだと思います。
考えることが楽しかったです。
考えた結果、私は、1人ひとりの考えを尊重してくれる人と働きたいと思いました。
他にもグループで色んな意見が出ました。
「人の話にも耳を傾ける人」
「自分にはない考えを持っている人」
などいろいろ。
そんな中、グループの1人が
「私は、時間を守れない人とは働けません」
と言いました。
周りのみんなは彼の意見に、「確かにそうだね」と次々賛同していました。
私は、なんだかその言葉に固まってしまいました。
上手く頷くことができませんでした。
モヤモヤとしたまま、この広がるモヤモヤは何だろうとぼんやり考えて研修を受け続けました。
時間を守ることがとても苦手な人がいる、それはどうするのか
モヤモヤの原因は彼の断言した言葉にあるような気がします。
小さな約束を守ることは、たしかに大切だと感じます。
ただ、それが出来るか出来ないかがその人を信頼できる基準のすべてかと言われると、それは違うと思います。
私はたまたま時間を守ることが得意です。
でも苦手なこともあって、歌を歌うことは苦手です。
それと同じように、世の中には時間をきっちり守ることが苦手な人もいる、ただそれだけの事実があることは忘れない方がいいと思います。
時間を守ることが苦手な人だから、その人と働きたくないかと言われると、私はそんなことありません。
苦手がある代わりに、その人に発揮できる得意もある。優しさもある。その人にしか見えない視点がある。
「苦手」があるかどうかは、私にとってその人と働きたいか、そうでないかを決定する要素にはなりません。
きっとこんなことを言うと「時間を守れない人とは働けません」と言った彼は「そう言うことを言いたいんじゃない」と言うかもしれない。
きっと何の皮肉もなく、その言葉を言ってくれたんじゃないかと感じています。
そもそも時間を守ることが大切なのは、一つの価値観だと思います。
それは、それでいいと思います。
でも引っかかるのは、
「そういう人とは働けない」と
言い切ってしまう言い方にあります。
そう言い切ってしまうと、
それ以上に議論は伸びません。
「そうだね」 終了です。
正論は時に刃にもなる
あまりに真っ当な正論を言われると、
人はなかなか言い返せないと思います。
でもそれは、少し寂しくもある。
「時間通りに動くということが、その人のただ一つの特性として苦手な人もいる。その人達と協働するにはどうしたらいいだろう?」
その議論が生まれないことが寂しいんです。
黒か白かだけで語れない、グレーな背景をたくさん抱えて人は生きていると思うのに。
私は色んな人の背景を含めて議論できる、そんな優しい世の中が好きだなと、研修を受けて改めて思いました。
あまりに真っ当な正論は、
時に人を傷つける時もある。
正論は正しい。
しかし、全てではない。
なんだか、そんなことを頭の隅で
考える1日になりました。
『正論』を武器にしていないか
図書館戦争という本が一時期大好きでした。
有川浩さんの本です。
その中で、堂上教官が部下の手塚に
話したセリフが印象的でした。
昔は読んで直ぐに腑に落ちる感覚がなかった言葉だったけど、それでも何となく胸には残っていて、そして今ようやく頭と体に馴染んできたような気がします。
人間関係において「これが正しい」なんて
圧倒的な価値観はないんじゃないかと、私は改めて思います。
自分にとっての正しさが、
誰かにとっても「正しい」なんて
それは違う。
こんなことを言葉にすると当たり前すぎて、いつも簡単に忘れてしまう。
「正論」は正しすぎて、それを疑うことを忘れてしまう。
それくらい簡単に、絶対的で正しくみえる。
もしかしたら世の中は、正論通り生きることがなんの苦にもならない人が大多数なのかもしれません。
でも、だからといって正論を全てのように語ってはいけないと思います。
じゃなかったら、正論通り生きることが苦手な人の居場所はこの世界で一体どこへ行くんだろう。
『私は正論を武器にしていないか?』
いつも自分に問える人でありたい。
そんなことを考えた新人研修でした。
いい研修です。
研修から何を学ぶかは、人それぞれ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?