何となく死にたい今日も何となく生きてみる
最近になって気がついた「何となく死にたい」という感情。
突発的でも、感情的でもないので、「本気で死んでやる!」とはならないし、行動にも結びつかないのですが。死ぬ場面を想像すると「怖いな」とも感じます。
それでも、たまに何となく「あー、死にたいなー」みたいな感情が湧いてきます。
共感できる人がほかに居るのかも分かりませんが、今日はそんな感情に向き合ってみようと思っています。
【何となく死にたいとき、私の場合】
で、こんな「何となく死にたい」状態になったとき、私の場合はずっと
自分は境遇も恵まれてると思うし!
世界には行きたくてしょうがなくて、でも死んでしまった人だってきっといるし!
死にたいなんて誰かに話したら、重い話だと思って引かれちゃうし!
私がこんなネガティブだったら周りにも良い影響与えないし!
なんて考えて、なんとかポジティブに立ち直ろうとしてました。
今でもそう思うときもあります。
しかし、最近、それやめようかなと思うようになったのです。
部屋でぽつーんと1人で居るのに、一体「誰に」迷惑をかけたくなくて、私は自分の「何となく死にたい」って気持ちを押し殺してるんだろう。
「ポジティブじゃなきゃ」なんて、誰が決めたんだろう。
そんな決められたものでもないのに、何で私は必死に気持ち押し殺すことにエネルギー使わなきゃいけないんだろう?
そう思うと、私は誰に気を使いたかったのか分からなくなってやめたいと思うようになりました。
誰しも何となく「辛い」を感じる
私は、人は誰しも「何かしら」を抱えて生きてるもんだと思っています。
「あの人は幸せそうだなぁ」なんて人も、何かに悩んで生きた日もあっただろうと思います。
そんな風に色々「悩み」とか「辛さ」とか抱えて生きる状態って割と「突発的というよりは慢性的なもの」だと考えています。
突発的な、一時的なショックで作られるものではなく、過去のいつかの時点でひょこりと心の中に入ってきて、それから自分の中でしっとりと育てられてきた「何か」。
自分の心の中で、いつも扱おうとすると息苦しくなる「何か」。
そんな何かは定期的に心の中に表れて広がって、私は「何となく死にたいな」なんて感じるんだと思います。
心の痛みに対して頭が麻痺して行くようなことなのかもしれません。
もう頭ではパッと理由が言葉に出来ない、あるいはしたくないほど、慣れてしまった悩みや辛さ。でも心だけはじんわり痛くて、理由は上手く言えないんだけどちょっと死にたい、みたいな。
そんな風に付き合うだけでも大変な「死にたさ」を、更にエネルギー使って無理やり否定なんてしなくていいのでは。
ポジティブじゃなきゃだめなんて
そんなルールはどこにもない。
だから、私はせめて、最近何となく死にたいと思っていることを、そのままに受け止めたいんです。これで、自然なんだと。
この感情を駆逐する必要は無い、頑張ってポジティブに互換する必要もない。
そんな曖昧な感情がわかるなら
前向きになることが、負荷にならないなら
多分だけど前向きに生きる方がいいのかもしれません。
でも、周りのプレッシャーや義務感で「私は前向きでいなきゃ」みたいな状況なら、さっぱり前向きを諦めてそのままでいるのもまた、自分を大切にする一つの選択なんじゃないかと、私は思います。
なんとなく死にたいとき、キラキラした未来を頑張って想像するより、安心して絶望してていいと、私はちっともキラキラなんてしていないけど、それでいいんだと思える方が、よっぽど私は救われる気持ちになりました。
楽しいこともある、
自分は恵まれていると思う、
でも何となく死にたいときだってある。
思う存分振り回されて生きていくことも、
一つの選択であることに何ら大差は無いんだと思います。
さいごに。
今回書いた感情を言葉にして書いたものをみると、改めてネガティブな言葉を選んだもんだな、と我ながら思います。
でも「嬉しい」や「楽しい」「生きたい」と同様に「悲しい」「痛い」「死にたい」も私にとって自然な感情であることに違いはないとやっぱり思う。
こんな感情を持って生きてみてもいい。
そんな風に生きる人がいるのも別に悪くない。
私は1日前も、何となく死にたかった。
でも今日も生きてる。
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