見出し画像

「いっかいやすみ」執筆背景 その2 (村上式部)

遅くなりました。
執筆背景その2、今回で完結です。

前回の記事
https://note.com/pockiri_crayons_/n/nc696c526cbe8?sub_rt=share_pb

前回は、当日パンフレットで執筆背景載せたnoteあるよ、と予告したので、開場直前で急ピッチで書いていたのですが、これ落ち着いて書きたいなと思ったので、分けさせてもらいました。前も言いましたが、見てくれたお客さん向けに書いているので、ネタバレしていきますし、作品を見てくれた前提で、特に内容のことは説明せず、進めていきます。

結末を決めてから書くべきか問題

学生劇団でホン書いていた時から、僕はプロットある程度固めてから、ざっくり6-7割は物語の展開決めてから、書き始めてたのですが、前回公演からは頭から1/3くらいの展開が思いついたら、結末は書きながら考えるスタイルに変えていきました。
比較対象として、5年前に上演した「ワーク・スペース・フライデー」という作品を出すのですが、この作品はけっこう細かく話の枠組みを考えてから書き始めたんですね。このシーンでは、この情報とこの情報いれよう、そのあとの流れでこうしたいから、その前のこのシーンはこういうこと言ってもらおうとか、そういうのをあらかじめ決めて、悪く言うと、それを”処理”するようにシーンを書いていきました。
去年末に、この作品をあらためて見直したのですが、どうしてもキャラクターが言わされてる感が、部分的にあって。自分が書いた作品だからこそ、気になるのですが。。その5年前の時も、キャラクターが言わされている感は嫌だったんで、なんとか払拭しようと思ったし、その時はできる限りのことはした、なんだったら出来にけっこう満足いってたのですが、5年経って見ると、やっぱり気になるなと。

脚本書くときって、色んな視点があって、ある台詞を言うシーンがあるなら、
①その台詞を言ってる者の視点
②その台詞を受けてる、周りの人、環境での視点
③そのあとの展開に関わる、メタ視点(脚本家目線?)
④それを見てる観客視点
の4つが大きくあると思うのですが、その4つを全部考えながら書くのって僕のキャパシティ的に限界があるのかもと思い始めているのです。少なくとも①~④のなにに力点をおいて書くのか、考えるべきだなと。そうなった時に僕は、まずはシーンを書く時は①②の比重を大きくすべきなのかなと考えました。そのあとに改稿する前提で、とにかく①②を大事にしたいなと。それで、あとから③④は考えようかなと。小説家の西尾維新さんが、キャラクターを作る時は、まず会話をさせまくって、それで作者である自分自身がそのキャラクターがどんなやつなのか分かるってインタビューで話していたのですが、その影響も受けています。

ただ、このやり方はすごく時間がかかるし、労力が半端ないんです。そしてめちゃくちゃ改稿する。没になったシーンは、別ファイルで残してるんですけど、今回は2万字くらいありました。そして、シーンを書き始める時のモチベーションがすごく下がる。特に序盤。ああ、このシーン、ボツにするかもしれないんだよなーと思いながら、書くのすごく嫌です。けど、『希望にしては安すぎる』と『いっかいやすみ』を書いて、その没シーンを積み重ねながら、試行錯誤して書くことの手応えは感じ始めてるので、このやり方は続けていこうかなと。
台本書くのって大変なんですけど、蓬莱竜太さんが去年、『昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ』のアフタートークで、「これ書いてる時も大変だったし、新作書いてる今もどうしよう…ってホントに大変です。。」みたいなことを言ってて。その時の言い方が印象的で、大変ですでへへへ、みたいな感じじゃなくて、それ言ってるときだけ、いやホントにあのぶっちゃけアフタートークしてる場合じゃないっす、みたいな割と切実な感じに思えて。すごくそれに励まされています。大変なもんだよなあ、そもそもと。
もうとにかく、自分はシーンを、台詞を、書いて書いて書くスタイルでやっていこうと思っています。

役者さんに渡す余白、お客さんに渡す余白

前々回、前回と稽古が始まる段階では台本がまだできていないという状態が続いていまして。
まず、今後の劇団運営にも関わるので、言っておきますが、これは狙ってやってるわけじゃなくて、稽古前に脚本は最後まで書ききっておくべきだと思っています。
ただ今回は、まあ前回も、というか今までの公演は、”結果論”として、稽古が始まりながら、脚本も並行して書くことになりまして。
そのやり方で得たものもあるので、ちょっとそのあたりのことも書いておきたいなと。

書いておきたいこととは、キャラクターのリアリティっていうのは、ホンだけじゃないところでもあるなと。当然ちゃ当然なんですけど。
具体的なシーンの話でいうと、2幕目の終わり、直美さんが旦那に別れを告げるシーン。書く前は、ちょっと唐突かもなと思ったんですね。ホントはもっと前のところでシーン増やしたり、台詞で説明いれた方がいいのかもなと思ってたんですね。ただ稽古の前に台本書いてて、いや、この唐突な感じがいいのかなと。えいやで書いてみて、稽古で読んでもらったら、意外に成立してるかもなと。その時に思ったのが、役者の人となり、台詞の読み方だったり、仕草だったり、そのシーンの前にあった、夫婦のシーンの、2人の会話の印象で、その一見、唐突に思えるシーンが、一発で説得力あるものになっていたのかなと。

で、これはなにが良いかと言いますと、過度に説明しすぎないシーンを作りやすくなるんですね。もしかしたら、稽古始まってない段階で書いていたら、こういうシーンにならなかったかもなと。もっと説明しちゃってたかもなと思っているんですね。

じゃあ、やっぱり、稽古始まってる時に台本できてなくてもいいじゃん!
っていう話じゃないですよ。もちろん。
別に台本ができていても改稿すればいいんで。ただ、次回はこの改稿の時に、演者を見ながら”説明を削る”っていう視点で、見てもいいのかなと思いました。
あと、今話したのは、演者が実際に演じてみることで生まれる”余白”なのですが、観客に想像させる”余白”もあるはずなんで、次回の作品はそのへんも考えていきたいなと思っています。
もう一回言いますが、稽古前に脚本は最後まで書ききっておくべきだと思っています。次回はそうします。

これ弊害もあって、というのは劇団員で前回の公演も出ていた3名、加東さん、カメマル、星ノ谷の、作中での役割が前回公演とかなり近くなってしまったんですね。これはたぶん、前述の通り、演者の人となりに寄せていってるからなんだろうなと思っています。この3名は次回の作品は、今までと違う役割にしてみたいですね。

「いっかいやすみ」を書く上で参考にした作品

いつも企画考える時とかはこういう作品にしたいなとか、参考作品があるのですが、考えてるうちに全く違うものになるんですよね…。
一応、話すと、今回の元ネタの一つは玉田企画さんの『バカンス』という作品です。中身、全然覚えていないんですけどね。なんか「バカンス」ってタイトルがすごくぴったりな作品だったなってことは覚えています。あと、なんでバカンスでこの人たちはこんな話をしてるんだと思うような、身につまされる会話劇だったような気がします。たしか。
もう一つは、コーエン兄弟の『バートン・フィンク』って映画。ラストカットがすごく好きで、ああいう、一見楽園なんだけど、これってハッピーエンドなんだっけ?すごく嫌な終わり方なんじゃない?みたいな、見ている人によって感想が分かれるエンディングがやってみたいなと思っていました。
あとラストの夫婦の会話は『スティルウォーター』って映画から引用しています。お話がまったく違うのですが。そもそも父親と娘の話ですし。めちゃくちゃいい映画なんでオススメです。ラストシーンだけは、書き始めた時から閃いていて、書いていくうちに変えるんだろうなと思っていたのですが、割と原型が残ったまま完本しました。


というわけで、いっかいやすみの振り返りでした。
あらためて、ご来場いただいた皆さん、制作に携わってくれた役者の皆さま、スタッフの皆さま、劇団員の皆さま、ありがとうございました。
次回の作品は来年5月の上演を予定していますが、まだ今年もチラホラとイベントを予定していますので、もしも作品を気に入ってくれたら、注目してくれると嬉しいです。

また劇場でお会いしましょう。

いいなと思ったら応援しよう!