計画された偶発性
まだ世の中にインターネットが普及していなかった1990年代後半、某新聞社が運営する「パソコン通信」のサークルに入っていた。
パソコン通信とは、電話回線を利用してネットワーク上の掲示板やチャットで交流するものだ。
パソコンがなくても、当時まだあったワープロ専用機でもアクセスできたらしいが、1枚の写真を表示するのに1分以上かかった。
写真以外は白と黒、テキストだけの世界。
まだ20年ちょっと前に、そんな時代があったなんて、今では信じられないかも。
ちょっとハイソな“にちゃんねる”みたいな感じだろうか。
音楽や旅などといったテーマに沿って語り合う場所で、読むのも書くのも楽しかった。
その後、瞬く間にインターネットが普及すると、今度は自分のホームページを作りブログで文章を書くようになった。
友達から「オタクになっちゃったの?」と変な顔をされた。
でも、多少パソコンができたおかげで、派遣講師や幼稚園のおたより作りの仕事をさせてもらい、その関係で今の研究室を紹介され秘書になった。
思い返せば、今までの仕事人生、恵まれていたなと思う。
必死に探さなくても、高望みしなければ、都合よく仕事が目の前にあったような気がする。
秘書になったころから、何かを書いて表現したい気持ちがあった。
ある日、新聞で見つけたエッセイ教室のドアをたたいた。
毎月原稿用紙3枚の課題を書き続けること十数年。
良い先生に巡り合い、褒められても直されても楽しかった。
さらに勧められて、カルチャー教室の講師もさせていただいた。
ジョン・D・クランボルツ氏が提唱したキャリア形成に関する「計画された偶発性」理論。
産業カウンセラーの養成講座で、初めて聞いたときは、偶発を計画するなんて矛盾していると疑問に思った。
そんな偶然を生むために必要なものは、「好奇心」「持続性」「楽観性」「柔軟性」「冒険心」だという。
「計画された偶発性」とは、予期しなかった偶然がその人のキャリアを決めることを言っている。
私自身、本当に偶然が重なり、周りに支えられここまで来たと、今振り返ってそう思う。
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