自分を名前で言っちゃう?
記憶によれば、小学2年生くらいまでだっただろうか。
自分のことを家族に話すとき、「私」ではなく名前で言っていた。
「育ちゃんもジュース飲みたい」
「それ、育ちゃんのハンカチ」
こんな感じ。
これって何なんですかね。
発達心理学の先生とかなら、説明していただけるだろうか。
相手と自分の境界の認識が未発達で…とか。
ま、そんな理論は置いといて、3、4年生のころだったか、このままじゃマズイのでは?と思い、「私」に言い換える努力をした。
学校では「私」と言っていたはずなので、家族に対して、誰も強制しなかったけれど少しずつ言えるようにした。
そして高学年になるころには、もう「育ちゃんがね」は卒業していた。
こんなことを思ったのは、知人とのやりとりで、ん? は? と引っかかることがあったからだ。
少し前から気になっていたけれど、突っ込み損ねていた。
仕事で「〇〇の件は、ミタライまでご連絡ください」「私ミタライが承りました」みたいに自分の名前を出すことはある。
そういうんじゃなくて、ないですか。
「それは木村が許さないよ」
「木村としては、特に問題ないかな」
もちろん話してるのは木村さんで、「私」と言うところをあえて名前で言うのって、心理的にナンヤラが働いてるのを感じる。
自分を特別な感じに表現するソレ、やめようよと思うことがある。
でも言ってる本人は気分いいのかもしれない。
忠告やアドバイスはしないミタライとしては😆(ここで使う?)、変だよとも言えず、人は人でいいと思っている。
でも、聞いててこっ恥ずかしくなる時もあって💧まぁ親しい相手だけに言うんだからいっかーと、毎回やり過ごしている。
これは私が思ったことで、相手だって何か私のことで引っかかっていることがあるかもしれないんだし。
エッセイを書いていて思うことだけれど、こういったことは「ここぞ!」というところで使うから効果的なんじゃないか。
啖呵を切るようなときにね。
相手を変えようなんて、さらさら思ってないけれど、こんなことありませんか〜なnoteでした。