道すがら
午後に用事があり30分ほど歩いた。
用はあるが時間の指定はない。マフラーを巻いて動けばぽかぽか暖かい。冬の終わりの昼だった。
着く少し前にふと思った。
「私はぶらぶらしている。好きに歩いている。」
久しいようなこれまで知らなかったような感覚だった。
記憶にある私の歩き方と異なる。
時間ぴったりなように、安全なように、体が動いてるように、何か得るように、全体に「良い」ように努め歩いている。
このとき、早さも目線も消えていた。今までが自由じゃなかったのに気がついた。そして歩いているときは、私の中に自由だって存在しなかった。
ものさしは知らぬまに消失する。
そういうものだ。
後に思った。
気にする事柄が多いのは時代ではない。人類がヒトとして長く続き、すべて蓄積となるからだ。