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ルーティーンを作る実験

人様にご紹介できる日常がない。
自分がしっくりくる日々の説明はある。できそうなときに何かして、とてもできないときは「すません」と心の中で呟きひたすらに休む。それだけなのだ。
洗濯は比較的やってる。大物洗いは私担当。排水溝など汚れ仕事も私。だが超不定期。動かないが食べる。心がぶよぶよしてると、体もぶよぶよ方向へ向かうようだ。

無職なりの、私の日常をイメージした。何時までに起床、ご飯は昨日の残り物を食い洗濯をする。午後は歌や曲のことを考え、余裕があれば軽いストレッチをし、残り野菜等でおかずを作る。
こんな生活に憧れて○○年だ。

ルーティーンをこなそうとすると出来ない。やるべき事にしてしまうとやらない。
だから観測者の立場を貫くことにした。日々いろいろやりたい気持ちは否定しない。しかし、あくまで設定したルーティーンと私を観察するのだ。

切実にやらないとヤバいと思ってることは除外である。いくら太股の肉を筋トレで削ぎ落としたくとも、暗譜をせねばと思ってても、やらなくてはならぬと感じると、ただただタスクとなって頓挫する。

どうでもいいことのルーティーン化を試みる。
観察の結果が、今日は○○ができたとならぬようにする。しようとして、できたかできなかったかを観ない。したか、しなかったか、そのときの状況とどんな気持ちだったかを観察するのだ。

やってもやらなくても別によいこと、しかしやらないよりはやった方がよいこと
やる負荷が限りなく低いこと
やりすぎるないように注意できること
を考えた。

吟味したルーティーン

・1回/日、検温する
・ソーラーパネルで動く置物を動かす
・体を捻る、力を入れる、動かす動作20回する。ただしそれ以上はダメ
・うがいするときに声を出す。ガラガラしながらアーっと言い続ける
・アクアリウム水草辞典を眺める

以上の項目を、1日3種類までする、設定。

果たして未来の私はいかに。

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